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22.彼が願うこと


「みっともないとこ見せてごめん」

「聞き飽きました」


 患者や他の見舞客に奇異の目で見られながらも歩は病室にたどり着いた。

 ベッドに倒れ込んでしばらく歩は言葉を発することができなかった。

その間、小百合は黙ってそばにいた。ナースコールを押そうとしたが、歩に「ごめん、やめて」と言われていた。命にかかわりそうな状態ならば止められようが看護師を呼ぶが、そういった様子でもなかったので見守るだけにとどめていた。

 格好悪いところを見せてしまった、病室まで運ばせてしまった。そんな思いから謝罪したが、にべもなく切り捨てられる。しつこいほど謝っていた自覚はあるので反感を覚えることすらできない。


「ごめん」

「また言った」

「…………」


 ごめん以外に言うべき言葉が浮かばなかった。

 きっともっと他に言うべきことがあるはずなのに、頭の中はぐちゃぐちゃになってその言葉を見つけてくれない。

 黙りこくってしまった歩を気にした様子もなく、小百合が口を開いた。


「それで、どうしたんですか。病気の発作とかじゃないんですよね」

「うん、病気は関係ない。エントランスで怒鳴りあってる人たちがいたと思うけど、あれ僕の両親なんだよね」

「なるほど」


 小百合の耳にもひどい罵り合いが聞こえていた。聞きたくなくても聞こえてくるほど大きな声で、嫌でも耳をつく強い声だった。看護師が何人かで仲裁に入っていた。

 聞こえてきた内容を考えれば歩がああなっていた理由も想像がついた。

 ショックだろうな、と思う。何度も見舞いに来ていたので、歩の話を聞くこともあった。何度か両親については聞いていたが、いつも助けてくれることをありがたく思っているとか、何か恩返しをしたいとかそんなことを言っていた。

 小百合が「また一緒に出掛けられるといいですね」と言うと、歩は「それだ!」と明るく言っていた。リハビリにもそれまで以上に打ち込んでいる様子だった。

 それが罵り合いだ。たまたまとか歩と関係ない話題とか考える余地もなく、歩を疎んでいた。

 どんな言葉をかければいいか分からない。小百合は黙って椅子に座っていた。

 一方で歩は失敗したと感じていた。真治から家庭の事情を打ち明けられた時に、どう反応すればいいか分からなかった。小百合もきっと同じ気持ちでいる。

 どこかで他人を気遣っている場合じゃないのに、と考える歩がいた。きっと両親のことを考えないように気を紛らわしているんだろうなあと思っていた。


「そういえば、松葉さんはどうして僕のお見舞いにきてくれるの」


 とっさに楽しい話題は出て来ず、ずっと気になっていた疑問が口をついた。


「学校でプリントとか出るので、それを届けるためです」

「それなら同じ日に発行されたプリントを別の日に持ってくることないよね」

「それは」


 小百合は頻繁に歩の病室を訪れていた。

 学校の配布物を届けに来た、と言っていた。実際に学級通信や保険だよりを持ってくるので嘘ではない。

 しかし、小百合には不自然な点があった。

 たまに発行日が同じプリントを、別の日に持ってくるのだ。

 ほとんどの学生はプリントの発行日なんて気にしないが、暇を持て余した歩はプリントを隅から隅まで熟読していた。そして以前から疑問に感じていた。

 小百合は見舞いに来るとき、ほとんど制服を着ている。学校から直接病院へ来ているからだ。そしてクリアファイルに綴ったプリントを丸ごと渡してくる。

 一枚二枚の渡し忘れなら不自然ではない。小百合自身のプリントと重なってしまっていることだってあるだろう。

 ただ、それが頻繁にあればおかしいと思う。

 渡すのを忘れていました、と土曜日に病院へ来ることもあった。

 今日まではもしかすると小百合が自分を好きだから会うために、なんて考えられた。

 冷え切った思考は全く別の答えを導き出していた。


「……家にいたくなかったんです」


 プリントに発行日が書いてあることすら気付いていなかった小百合が語りだす。

 もともと嘘も誤魔化しも得意ではない。あまり話したいことではないがうやむやにできる気がしない。

 何より今の歩に嘘をついてはいけない気がした。


「前にちょっと話しましたよね、私には兄がいるって」

「うん、聞いた。あんまり折り合いがよくないんだよね」

「兄はまだ高校生で、同じ家に住んでいます。そうするとどうしても顔を合わせることになります。わたしはそれがたまらなく嫌でした」

「だからここに来てたんだ」

「……はい。プリントを届けに来るとか、ただの口実です」

「うん、納得した」


 もともと歩の妄想には無理があったのだ。

 小百合は病室に来て歩と話をしてくれた。

 それはほとんどクラスで起きたことについてだった。もし歩に好意があるなら、もっと自分のことを伝えようとか歩のことを聞こうとか考えるだろう。

 小百合はそんな言動を一切取らなかった。それどころか病室に来て二人で黙々と勉強していることすらあった。

 兄と同じ家にいたくないから歩のところに逃げていた。

 ならばあらゆる意味で納得がいく。同級生男子の家に上がり込めば身の危険がある。小百合はあまり女子グループとのかかわりにも積極的ではなかった。

 思春期の自意識は恋人ができたという幼馴染の家に立ち入るハードルを容赦なく上げる。図書館や学校の施設はどうしたって利用時間が限られる。思えば小百合が来るのは学校が閉まった後の時間が多かった。

 この病院は見舞いの受付時間は午後八時まで。学校が終わってから立ち寄るにはちょうど良かったのだろう。歩は学校の話をすれば喜んだし、何を言ったりどんな態度を取ったって歩から同級生に伝わることはない。何より症状の関係で歩は安全だった。


 小百合は初めてこの病室に居づらさというものを感じた。

 これまで歩はどんな話題でも楽し気に反応していた。それどころか小百合が無言でも「そんな気分の日もあるよね」と笑っていた。

 黙っていれば空気のように静かで、小百合を責め立てるようなことはなかった。

 今は違う。歩はとげとげした雰囲気を放っている。

 きっとそれは内向きのとげだ。少しずつ引き締められて歩を突き刺していく。

 小百合にはそれをどうにかするすべはなかった。


「前島くん、今日はこれで失礼します。また来ます」

「うん。気を付けて帰ってね」


 なんてことのない言葉にもとげを感じてしまう。小百合は逃げるようにその場を後にした。


 残された歩はぼんやりと真っ暗になった外を見た。

 両親は歩を疎んでいた。

 真治にとって歩は世話を焼く相手の一人でしかない。

 小百合が求めていたのは歩ではなく逃げ場所だった。

 結局のところ、誰も歩を求めてはいなかった。

 両親に疎まれていたと知っただけで、これまで歩が自分を肯定する要素として捉えていたものが全てなくなった。

 自分一人では何もできず、誰にも必要とされない子供に生きる意味なんてあるのだろうか。

 そんなことを考えていると時間が異様なほど長く感じられた。

 世界が滅ぶまであと一年。

 これまで目標を達成するためには一日たりとも無駄にできないと思っていた。たったの一年しかないと感じていた。

 世界が終わるまであと一年もあるのか、と途方に暮れる。


 なんて空虚な人生だろう。両親が喧嘩しているところを見ただけで目標も拠り所もなくなってしまった。

 両親と出かけたいという目標はなくなった。両親がそんなことを望んでいないと分かってしまった。歩を疎む両親と薄っぺらな笑顔を張り付けてまで出かけたいとは思わなかった。

 小百合は別に好きな人がいて、歩にさして興味を持っていない。歩けるようになってどこかに誘っても「無理しない方がいいですよ」と袖にされるのが目に見えた。

 歩けたところでもう行きたい場所はない。たとえ歩けても存在しない目的地にたどり着くことはできない。

 前島歩という人間は考えるほど空っぽだった。

 誰かから与えられたものにすがるだけで、自分で何かを決めたことも、成し遂げたこともない。自分が行きたい場所も自分がしたいこともろくにない。他人に依存した価値観しか持っていない。

 だから、他人とのかかわりの希薄さを実感した瞬間にすべてがどうでもよくなっていった。

 一年という時間は、何かに打ち込むには短く、ぼんやりとベッドで過ごすには長すぎた。

 隕石は歩を一人で終わらせないために降ってくるのではないかと考えたことがある。

 もしもそうならば。


「もっと早く来てくれないかな」


 ぼんやりと外に視線をやりながら、歩はひとりで呟いた。


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