2.学校
きんこんと電子音のチャイムが鳴り響いた。
授業の時間はあっという間に過ぎる。
そもそも教師がおらずコマ数が少ないのだ。
あと一年で世界が滅ぶという状況で学校に来なくなるのは生徒だけではなかった。教師も多くが辞職した。
無責任だとなじる人がいる一方で秀人は仕方ないことだと考えていた。仕事を放り出して遊び惚けている連中が辞職した教師をなじっているのだから、教師をやめたくなるのも道理である。
そんな中でいまだに教師を続けているのは、まだ世界が滅ぶと受け入れられていない人か、仕事以外にすることがない人、教師が天職であり世界が終わるまで続けたいと考える人が大半だ。
その大半に含まれない教師がチャイムの音で講義を止める。
「もうこんな時間か。……おいそこ、まだ号令してないぞ、席を立つな!」
「えー、でもチャイム鳴ったし、センセの話いっつも同じじゃん」
「大事なことだから毎度言ってんだ。手短に言うからもうちょいマテ」
はーい、と不承不承ながら席に着くのが可愛げだ。
ごほんと咳払いして教師が生徒に向き直った。
「さて、ここにいる生徒は、世界が終わると喚くものばかりの世の中で学を修めようとする学習意欲旺盛な若者たちだ。そんなきみたちにお願いしたいことがある。もしもこの滅亡の危機を回避する方法を考えついたら私に教えてほしい。どんなにばからしく思えるものでもいい。ちょっとしたアイデアでも構わない」
「でもセンセ、俺たちが思いつくようなことなんて本職の研究者の人たちが試してるんじゃないですかー?」
「そうかもしれないが、研究者でない君たちなら研究者には考え付かないようなアイデアを出してくれるかもしれない。出してくれたアイデアはまとめて私の知るあらゆる研究機関に送ると約束しよう。もしうまくハマって滅亡を回避したら、世界中の歴史の教科書に載る英雄だぞ?」
あはは、と乾いた笑い声が響く。
生徒たちは誰も真に受けていない。
滅亡の回避を真剣に考えている教師の表情も張り付けたような笑みに変わる。
ここにいる生徒のほとんどは惰性で学校に通っているだけの生徒だ。学習意欲に燃えているわけでもなく、かといってひとりでいれば不安に押しつぶされる。自分で未来を選ぶことも、誰かに選ばれることもなかった子供が身を寄せ合っているにすぎない。
ほとんどの生徒はもう学校に来ない。
明確に終わりが定められた人生で成し遂げたい何かがある者はそれにかかりきりになった。
死ぬまでにやりたいことがある、行きたい場所がある人は学校なんて来ない。
学校の授業も様変わりした。
ここにいる生徒たちはどれほど頑張って受験勉強しても入試を受ける前に世界が終わる。受験向けの授業ができる教師も減った。学習指導要領を守る意義もなくなり教師は趣味の授業に走るようになった。生徒も興味がある授業、興味がなくてもにぎやかしになる授業を自分で選んでいる。
担任教師は自分でも滅亡を回避する方法を研究しているが、話した言葉に偽りはない。自分にない発想を誰か教えてほしいと真剣に思っていた。自分の授業をわざわざ受けてくれるような子供ならあるいは、という期待もあった。
その期待がかなったことはただの一度もないのだが。
笑みを張り付けたまま教師は言った。
「ま、そういうわけだから何か思いついたら相談してくれ。今日の授業はこれで終わりだ」
「きりーつ、れい」
『ありがとうございましたー』
雑な号令に合わせて気の抜けた礼がされた。
今日の授業は午前で終わりだった。授業できる教師が少ないし、授業内容を考えるのだって時間がかかる。宣告以前の授業をするなんて無意味である上に不可能だった。
質問を受けることもない教師がそそくさと教室から立ち去るのを尻目に健治が後ろの咲希に振り向いた。
「咲希、朝の話の続きなんだけどさ、また商店街に新しい店ができてたんだ」
宣告が下ってから実生活や将来性を考えた進路を放り捨てて自分の夢に走る人が増えた。将来なんてもうないのだから必然なのかもしれない。
そのおかげで様変わりしたのが、シャッター街と化していた商店街だった。
店が集まる場所で、それなりに設備がそろっていることが手ごろらしい。自分で店をやりたいと思った人が借りたり買ったりしていた。滅びかけの商店街は世界の滅亡を前にして息を吹き返していた。
今では有名デパートのテナントばりに店の入れ替わりが激しい。
「へえ、何のお店が出たの?」
「なんと噂のタピオカミルクティー」
「タピオカミルクティーかあ……」
咲希は一瞬だけ声を高くしたが、言い終わるころにはトーンが下がっていた。
「……ものっすごいはやりものだよね」
そう言って隣の秀人に視線をやった。
我関せずと帰り支度を整えていた秀人だったが、視線に気づき、実はしっかり聞いていた会話の内容に乗っかった。
「旬を過ぎた感はあるけどな。はやりものは店ができやすい分、当たり外れが大きいな。そのうえ外れが多い」
「だよね。この前パンケーキの店に行ったんだけどひどかった」
世界が滅ぶなら、と思い切って店を開いた人が多い。それはつまり準備や訓練に時間をかけていないということだ。特にはやりものはその存在を認識してからの期間が短いだけその傾向が顕著になる。結果としてはやりものの店は地雷率が高くなった。
咲希が行ったパンケーキの店も開店したてでにぎわっていたが、肝心の味は市販のパンケーキミックスで焼いたものと区別できないほどだったし、盛り付けも崩れがちだった。その店はすでに閉店している。
「……そっかあ、ごめん、騒いじゃって」
幼馴染二人から否定的な感想を食らって健治は振り向いたときの表情とは全く反対の消沈した表情を浮かべる。
秀人にしてみればなぜそこでもう一歩食らいついていかないのか、と思うところだ。
なので背中を押してみることにした。
「それで、なんて店なんだ」
「え、行くの!? 今の流れだと行かない感じだったよね」
健治が目を丸くする。
いやそこで行かない流れに戻してどうするよ、と秀人は思った。
「よく考えたら俺はタピオカミルクティーなんて飲んだことなかったからな。コンビニで売ってるのと専門店のだと全然違うと聞くし、話を聞いて気になった」
「……そういえば私も専門店のって飲んだことないかも」
「なら気にならないか? 俺は気になった。このまま世界が滅ぶなら、今わの際にタピオカミルクティーってどんな味なんだろうと考えてしまうかもしれない。そんな未練を抱えて死にたくはない。ていうか人生の最後に飲んだことないタピオカミルクティーに思いをはせたくない」
「確かに」
咲希が笑う。つられて健治も笑った。
笑ってる場合じゃねえだろ早く音頭取れよと秀人が冷ややかな視線を送ると、健治はびくりと背筋を伸ばした。
「よ、よしじゃあ今から行ってみない?」
「おう、行ってみよう。咲希も来てくれよ。男二人だと浮きそうだし。咲希の分はおごるから」
「えっ、ほんとに?」
「ああ、健治がおごる」
「僕が!?」
「いいだろそれくらい」
おとなしくいいと言えここまでお膳立てしてやったんだから最後の一押しくらいは自分でしろよ、と言いたげな目で睨むと健治は咲希に向き直った。
「そうだね、僕が言い出しっぺだしおごるよ。……どうかな?」
おずおずと伺う健治。おごるから行こうと言えないあたりがだらだら関係を引き延ばしている原因をすべて表している。
様々な葛藤が入り混じった誘いに咲希はやった、と無邪気に笑った。