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19.真治が来る前のこと

「わたし、失恋したみたいなんですよね」


 歩はびっくりした。

 小百合の様子を見て嫌なこと、つらいことがあったのだろうと想像していた。

 しかしそれは誰かと喧嘩したとか大切なものをなくしてしまったとかそういう方向だと思っていた。特に失恋という可能性は無意識に頭の中から消していた。

 もしかすると小百合は自分のことを好きなんじゃないかな、と願望まじりの考えを持っていたからだ。歩には一か月程度の付き合いしかない同級生の見舞いに来てくれる理由がそれくらいしか思い浮かばなかった。

 短い付き合いしかないしまさかね、と当初は思っていたが、小百合が見舞いに来始めてから二年以上経つ。歩けるようになってどこかに行こうと誘ってみよう、くらいのことは考えていた。

 それがまさか失恋とは。予想外の衝撃を受けた。


「したみたいっていうのは」

「その、告白したのではなくて、恋人ができたという話を聞いたというか。それもあの野郎が手引きしたみたいというか」


 伝聞系だったことが気になって質問すると、小百合は歯切れ悪くぼそぼそ呟いた。

 いつも丁寧に話す小百合の口からあの野郎と乱暴な言葉が出てきたことも意外だった。


「そっか。それは……つらいね」


 歩はしみじみ言った。

 これまで小百合が自分を好きかもしれないという想像をして楽しかったのは、小百合に好意を抱いていたからだ。

 小百合が失恋したということは小百合には別に好きな相手がいたということであり、歩自身も失恋したような感覚を味わっていた。内臓を締め付けられて胃の中のものを吐き出してしまいたいような異物感を覚えたのは生まれて初めてだった。

 いや、でも松葉さんが失恋したってことはまだチャンスはあるから、と前向きな言葉を自分に言い聞かせる。むしろここからが大事だと思う。ここでうまく話し相手としての地位を築くことができればワンチャンあるはず、と下心をのぞかせないよう細心の注意を払いつつ会話を続ける。


「ところで松葉さんが好きだった人って、どんな人なの?」


 あえて過去形で話をする。終わった恋として手早く処理してほしいのである。


「やさしくて、楽しい人です。幼馴染で、よく一緒に遊んでいました。最近はよく一緒に出掛けてて、うちに遊びに来ることもありました」


 小百合はぽつぽつと語りだす。ひとつひとつ口に出して自らの気持ちを整理しているようだった。

 昔からの付き合いということはそれだけ思い出深いだろうなとか、家に遊びに来てたんだーとか、歩は口に出さないが結構なダメージを受けていた。


「……こう、恋していたっていう確信があったわけじゃないんです。でもわたしにとって、そばにいる楽しくてとどきどきする相手はあの人だけでしたし、恋人ができたと聞いて真っ先に思い浮かんだ言葉が失恋だったというだけで」


 好意を持っていれば即ち恋愛というわけではない。友愛や親愛などなど言葉に表せないほど多様な種類がある。

 小百合の気持ちが恋愛だったか、それは小百合自身にしか分からない。

 その人に恋人が出来たと聞いた時、小百合は不意打ちに頭を殴られたような衝撃を覚えた。前触れはあったが、展開が予想よりも早すぎた。

 未知の衝撃に、無意識で失恋という名前を付けていた。

 それが正しいのか間違っているのか。真っ先にそう思ったということはきっとそういうことなのかな、と思う。

 小百合が自分の気持ちを言語化していく傍ら、歩は小百合に思い人がいたと聞いた瞬間に近いダメージを受けていた。好意を持たれているどころか、一緒にいて楽しくないしどきどきもしなかったらしい。

 気づかれないよう歩は深く呼吸する。あの人だけだった、というのはどきどきする、という部分だけかもしれないし。歩と一緒にいる時に楽しいと思ってくれたことがないと明言されたわけじゃないし。少なくとも嫌っているならお見舞いなんて来ないだろうし、と自分に言い聞かせる。


「ところで、さっき言ってたあの野郎っていうのはいったい」


 これ以上畳みかけられたら心が折れるかもしれない。そう思った歩は話の方向を逸らしてみた。

小百合はあからさまに嫌そうな顔をした。

 話題のチョイスをミスったか、と思ったが、聞かれたことが不快だったのではなく、あの野郎と呼称した相手のことがよほど嫌いらしい。


「……生物学的にはわたしの兄にあたる人物のことです」


 汚い雑巾を絞るような形相で小百合は言った。

 歩は必死に知恵を絞った。

 家族関係の話題はデリケート、ということは対人関係が少ない歩にも分かる。ここは突っ込んでもいいものだろうか。しかしこちらから話を振っておいてすぐに別な話題に移るのも興味ないくせに話を振ったと思われないだろうか。


「そうなんだ、お兄さんとは仲良くないの」


 一秒間の熟考の末、出した結論は会話の継続だった。

 あまり口にしたくない様子ではあったが、愚痴りたいかもしれないと思った。

 小百合は思い人が幼馴染と言っていた。つまり小百合の兄と思い人も幼馴染である可能性が高い。

思い人が誰かと付き合うのに手を引いたということは、兄と思い人もそれなりに親しいのではないか。幼馴染の思い人が、小百合と兄の両方と仲が良いということは、松葉家の家族関係はそう悪くないのではないか、と予想した。


「……わたしが一方的に嫌ってるだけです。でもあんまり話したくないです」

「そっか。変なことを聞いてごめんね」


 歩は即座に撤退を決めた。

 口ぶりからすると、きょうだい仲が良くない理由は小百合の感情の問題が大きいのだろう。そして小百合自身、問題が自分にあると理解している様子だった。

 愚痴を言うことで自己嫌悪に陥ることもある。話したくないというなら聞きださない程度の分別は、歩にもあった。

 ふと、遠くからチャイムの音が聞こえた。


「あ、学校……すみません、そろそろ失礼します。片付けは……」

「いいよ、やっておくから。引き止めちゃってごめんね」

「いえ、わたしもいろいろ話してすっきりしました。ありがとうございます」

「こちらこそいつもありがとう。僕はいつでも暇してるから、いつでも来て」

「はい。……あの、それと、今の話は看護師の鈴片さんには」

「分かった。言わないよ」

「ありがとうございます。じゃあまた」

「うん、またね」


 歩は手を振って小百合の後姿を見送った。

 真治が病室を訪れるのはこの後すぐである。


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