1.始まりの日
なんでも許せる人向けです。
暇つぶし程度にざっくりお読みください。
「そういえば、ちょうど一年後の今日なんだってね」
朝の通学路で鈴片健治が話を始めた。
「何がだ?」
端的に答えた松葉秀人はすたすたと長身相応の歩幅で歩き続け、視線だけ健治に向けた。健治もやや小柄な体格相応の歩幅でぴょこぴょことついていく。
「世界が滅ぶの」
「ああ、隕石な」
朝の通学路でたまたまかち合った幼馴染ふたりは雑談をしながら歩く。
昨日の夕飯は何だった、くらいの気軽さで健治が話題にしたのは地球がなくなるまでのタイムリミット。
もはや改まって話すこともないほどの常識となっていた。
発端は遡ること四年前。
『五年後、地球は滅亡します』
そんな端的な言葉から始まるニュースだった。
曰く、超巨大な隕石が地球に迫っている。
曰く、隕石の大きさは地球を粉砕して余りある。
曰く、あらゆる条件を見直して計算しても必ず地球に衝突する。
曰く、地球上のすべての兵器を撃ち込んでも破壊するに至らない。
曰く、どうあがいても避けられない破滅である。
あらゆる言語に翻訳され一斉に放映されたニュースは、世界滅亡宣告(今では単に宣告)と呼ばれ、世界中に大混乱を巻き起こした。
巨大な暴動が起きた。非常食の買い込みをする人がいた。大規模ないたずらと考える人がいた。そんな話は信じられないと根拠もなく否定する人がいた。
日本ではまともに取り合わない人が多かった。
大騒ぎにはなったが長続きせず、本当かどうか怪しいし本当だとしても誰かがなんとかするだろう――そんな程度の認識が大多数だった。
世界もしばらくすると落ち着いていった。
いまだに暴動やデモは起きる。しかし発表直後ほど大規模でも無秩序でもない。
『政治家の汚職とかでもないし、騒いだところでどうにもならないってちょっと考えたら分かるもの。地球大爆発とか、どんな悪党でも回避に協力するだろうし』とは幼馴染の談だ。
大量の非常食を買い込んでいた人々も地球が無くなれば意味がないと気づいたのかすぐに収まった。インターネット上での騒ぎも次第に沈静化していった。インターネット利用者の大部分は検証するだけの技術も設備もなかったし、検証できる人は計算結果に絶望する。結果として滅亡の知らせから四年経った今、世界はわりと落ち着いていた。
「のんきなものだよね。一年後にはみんな間違いなく死んでるっていうのに普通に平和な日常だ」
「フツーに学校通ってる俺らが言えたことじゃないな」
「確かに」
言い返されて健治が笑う。
一年後に世界が滅ぶというのに学校に通うというのは相当にのんきだ。他人のことをとやかく言えはしない。
「そんなに学校好きじゃないつもりだったんだけどな」
「最近はわりと楽しそうじゃなかったか」
「高校に入ってからはね。小中で嫌な思い出積み重なっちゃったからさ、嫌いじゃないけど好きでもないや」
「そうか。それは仕方ないな」
それならどうして好きでもない学校に通うんだ、なんて秀人は訊かない。
余計なことに突っ込んでこない距離感はさすが長い付き合いなだけあると健治は思っている。
一方秀人は、健治が学校に通う理由を察しているから訊かないだけだったりする。
「まあ、本当に地球が消し飛ぶって確定したわけでもない。他にやりたいことが無いなら勉強しておいて損はないだろ」
「IMB……国際隕石対策委員会だっけ。対処、絶望的って発表されてなかったっけ」
苦笑しながら健治が言う。
隕石をどうにかしようとしている人々は存在する。けれど四年かけて対策の目途すら立っていないのが現実だ。どうせ無駄になる努力を重ねるより今を楽しく過ごしたいと考える人も多い。
「絶望的って発表したのはIMBじゃない。自分たちのやってる事業が無駄なことです、なんて喧伝する人はいないだろ」
「言ってたのはどこかの報道だっけ」
「ああ。悲観的なことを言い散らかして不安をあおるだけで面白くもないニュースだった」
「言われなくても絶望的ってみんな知ってるもんね」
世間では滅亡は免れないと諦める人が五割、滅亡を現実と受け入れられない人が四割、その他が一割程度の割合になっている。誰かが隕石対策してくれる、なんて考えは受け入れられない人たちの考えだといわれている。
健治が話したところ、秀人は滅亡を受け入れながらも悲観的な声にいら立っているように見えた。
諦めているのとは違うのかな、と思いながらぼんやりと空を見上げた。
世界が終わると知らされる前と全く変わらない青空だった。
吸った息を吐くくらいの自然さで言葉がこぼれた。
「どうせ死ぬなら心残りとかナシにしたいな」
隣を歩く秀人は、そうだなと一言で返した。
―――
「健、おはよー」
「おはよー」
教室のドアを開けた健治に、ドアのそばにたむろしていたクラスメイト達が声をかける。健治は挨拶を返し彼らの輪に入っていく。
「あ、松葉もおはよう」
「おう」
遅れてクラスメイトの一人が秀人にも挨拶をする。健治にするのと比べれば腰が引けた挨拶だったが、いつものことなので気にせず返す。
教室の中を見ると始業時間間近だというのに生徒の姿はまばらだった。
世界が滅ぶと分かってから登校率はがくんと落ちた。義務的もしくは将来のために登校していた人たちが来なくなったからだ。将来が無くなった今、教育を受ける義務を権利とともに放棄して自分がしたいことに専念する子供は多い。学校に来るにしても毎日ではない生徒も相当数存在する。
学校に来ているのは専心するほど執着するものがなく、開き直って遊び回ることもできず、誰かと不安を分け合いたいという生徒が多い。
クラス分けするほど生徒が登校しなくなって久しい今、生徒はめいめい勝手に席につく。
秀人は健治たちの仲間には入らず、定位置となっている教室の後ろにある席に座る。
「秀、おはよ」
「おはよう、咲希」
定位置の隣、窓際の席に座っていた岩井咲希に、先ほどより幾分愛想よく挨拶した。
「また少なくなっちゃったね」
「世界が滅ぶまでちょうどあと一年なんてニュースがあったんだろ? それでじゃないか」
「あったんだろ、って昨日の夜からずっと言ってるのに伝聞形なの」
「ニュースは不景気でつまらんから見てない。健に聞いた」
「そういえば今日は一緒に来たんだね」
「来る途中に行き会ったからな」
そっか、と笑う咲希の隣の席に座る。
咲希はさっぱりした性格で、目鼻立ちも非常に整っている。その容姿にかえって腰が引けるのか、声をかけたそうにする同級生たちは遠巻きにするばかりである。秀人としてもわざわざ橋渡しをしてやる義理はないのでそういった連中は無視している。
秀人自身も友人は少ない。長身で目つきが悪く、悪い評判もある秀人にわざわざ話しかけてくるのは健治と咲希程度しかいない。
周りの席に人は来ず、幼馴染二人で話すことになる。
「咲希、おはよう!」
そんな様子を見てか、健治が慌てて駆け寄り咲希に声をかけた。咲希もおはよ、と笑って返すと健治は飼い主に褒められた犬のように笑う。
「あのさ、実はーー」
「よしお前ら、席につけー」
笑顔のまま話を続けようとした健治を、きんこんと気の抜けた電子音のチャイムと、それに劣らず気の抜けた教師の声が遮った。
出鼻をくじかれた健治は一瞬だけ砂糖と間違えて塩を入れたコーヒーを飲んだみたいな顔をして、どんよりした動きで咲希の前の席に座る。
そんなあまりにもわかりやすい様子を見た咲希は思わず笑う。つられて秀人も頬を緩めた。
見かねたのか、咲希が授業の合間にノートの端をちぎり「あとできかせて」と書いた。切れ端を渡そうと背中をつつくと健治はびくっと震え、受け取った切れ端を見た。
振り返りこそしないが急にしゃっきりと背筋が伸びる。咲希と秀人から健治の顔は見えないが、どんな表情をしているのか想像がつく。しっぽがあればブンブン振り回していただろう。
目に見えて雰囲気の変わった健治を見て、咲希と秀人は顔を見合わせて小さく噴き出した。
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