続編-予約済み・7-
賢の店には俺の方が早く着いた。
……と言うのも、早く彼女に会いたかった俺は早々に仕事を切り上げた。
だが、千莉ちゃんの方はまだ少し仕事が残っていたようだった。
「お、いらっしゃい♪」
賢のその声で振り向かなくても千莉ちゃんが来たのだとわかる。
「ご、ごめんなさい、遅くなって……待ちました?」
焦った様子で俺の隣に腰を下ろす千莉ちゃん。
「いや、全然、そんなに慌てなくても大丈夫だよ?」
優しくそう言うと彼女はホッとしたように笑みを浮かべた。
「一夜も少し前に来たばっかりだよ」
賢は笑いながら千莉ちゃんの目の前に冷たい水が入ったグラスを置いた。
「今日の本日のスープは『アスパラガスのポタージュ』だよ。
ちなみにセットは『カボチャのリゾット』と『春キャベツと鰹のマリネ』」
「「じゃあ、セットで」」
俺と千莉ちゃんは同時に口を開いた。
「りょーかい♪」
賢はにっこり笑みを浮かべるとカウンターの奥で調理を始めた。
「忙しかった?」
「んー、少しだけ。一夜さんは早かったんですね?」
千莉ちゃんは“一夜さん”と呼んでくれているにも拘わらず敬語だった。
(まだ、完全に誤解が解けてなくて心を開いていないって事かな……?)
「俺も忙しかったよ、それなりにね。でも……、千莉ちゃんに早く会いたかったから」
そんなベタなセリフを言うと、
「万事解決したみたいだな?」
賢がスープを温めながら言った。
「あぁ、全部解決したよ」
「まぁ、おまえが店に入って来た時からわかってた。顔つきがこの間と全然違ってたからな」
「水沢さん、辞めたって聞きましたけど……本当ですか?」
千莉ちゃんが不安そうな顔で言う。
「うん、昨日、あれから旦那さんともよく話し合ったらしくてやり直す事にしたって。
冴子……彼女も苦しかったんだと思う……。
婿養子を貰って、義理の母親の面倒も旦那さんの兄夫婦が見ていたから同居していなかったし、
自分の両親ともいずれは同居するにしてもまだ面倒を見なくちゃいけない程じゃないし、
子供は可愛いし、亭主元気で留守がいいってね。
だけど、一年前に義理の母親が『兄嫁と合わない』って突然転がり込んで来たらしいんだ」
「うぁ……そりゃ『嫁姑戦争勃発』間違いないね……ほい、まずはスープ」
賢は苦笑いしながら俺と千莉ちゃんの前に『アスパラガスのポタージュ』を置いた。
「その通り。で、冴子に家事のやり方だけじゃなくて子育てにまで口出しするようになったんだってさ」
「家事はともかく、子供の育て方にまで口を出して欲しくないっていうお嫁さんは多いですもんね?」
千莉ちゃんはそう言いながらスプーンを取った。
「そうそう、だからその愚痴を旦那さんに聞いて貰いたかったみたいなんだけど、
冴子の旦那さんて開業医でさ、忙しい人なんだよ」
「それじゃあ、ストレスが溜まる一方ですね?」
「うん……それで、とうとう離婚するつもりで子供を置いて出て行ったんだってさ」
「子供まで置いて……って事は実家には戻らなかったのか?」
『春キャベツと鰹のマリネ』を盛り付けながら不思議そうな顔をする賢。
「多分、ホテルかウィークリーマンションにでも泊まってたんじゃないか?」
「……それで? 冴子さんの目的ってなんだったんだ?」
賢は千莉ちゃんをちらりと一瞥した後、俺と千莉ちゃんの前にマリネを並べた。
「……」
隣から千莉ちゃんの視線を感じる。
「……俺とよりを戻したかったんだってさ」
「やっぱ、そうだったか」
……と、軽く言った賢とは対照的に千莉ちゃんは黙ったままだった。
「でも、ハッキリ嫌だって言った。俺には今、大切な人がいるからってね」
俺がそう言うとハッと千莉ちゃんが顔を上げた。
「俺が千莉ちゃんを捨てて、冴子とよりを戻すとでも思った?」
「……」
「……てっ、何も言ってくれないって事はそう思ってたって事かよ~?」
「だ、だって……」
「千莉ちゃん、コイツね、この間一人でここに来た時、超しょぼくれた顔してたんだよ~?
冴子さんにフラれた時よりもな~、ほい、リゾットお待たせ♪」
賢が意地悪そうな顔でリゾットを俺と千莉ちゃんの目の前に置く。
「け、賢っ」
「だって、ホントの事だろ~?」
「じ、自分じゃどんな顔してたか、わかんねぇから返事のしようがないな」
俺がそう言って慌てて賢から視線を外すと隣で千莉ちゃんが笑い始めた。
「一夜さんのこんな表情初めて見ました」
「もう~、千莉ちゃんまで……」
とか言って拗ねてみるけれど、本当はやっと千莉ちゃんの笑顔が見られてホッとした。
「でも、昨日人事部に怒鳴り込んた時の顔も初めて見ましたけど」
さらにクスクス笑う千莉ちゃん。
「何? その人事部に怒鳴り込んだっての」
賢が興味深そうな顔を向ける。
「この間、俺がここへ来た次の日の夕方、冴子が俺のマンションに押しかけて来たんだ。
みちるから連絡があって、飛んで帰ってみたら上がり込んで料理してた」
「水沢さん、有言実行したのね……」
千莉ちゃんが顔を引き攣らせる。
やはりあの時の廊下での会話が聞こえていたらしい。
「アイツと付き合ってた時、俺は別の所に住んでいたから来る訳ないと思って高をくくってたんだけど、
ホントに押しかけて来たからどこで住所を調べたんだ? って言ったら、
人事部の社員データベースにアクセスしたって。
冴子が人事部にいた時からパスワードが変わってなかったから簡単だったって言ったから、
その次の日に朝一で俺が人事部に『データベースの管理がなってねぇっ!』って怒鳴り込んだんだ。
そしたら、そこになぜか千莉ちゃんもいてさ……て、なんでいたの?」
「あれは、今度人事部に新しく来られる方の社員証を作る為に書類を書いて貰ったんですけど、
不備があって修正をお願いしていたんです」
「あー、なるほどね」
(千莉ちゃんがデスクにいるのを確認してから怒鳴り込めばよかった……)
「でも……一夜さんのマンションに押し掛けて行ってまでよりを戻そうとしたわりに、
水沢さん、随分あっさり旦那さんとやり直す事にしたんですね?」
「……俺を試したのかもしれないな? 社内では人目もあるから冷たくしているけれど、
実際、家まで押し掛けて行ったらどうするか? とかね」
「それで……一夜さんは、どうしたんですか?」
「もちろん、冴子を即刻追い出した。アイツが作った料理も食べなかった」
「……」
「“完全拒否”した訳だ」
賢が別のオーダーを作りながら言う。
「そ♪」
(だから、アイツも旦那さんと……いや、一番は子供の為に家に戻ったんだろうな――)