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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第98話 浄化の力を持っていますね?

 お屋敷の中は整然としていました。

 アルヴィ様のお屋敷とは全然違います。廊下の隅に埃の一つも落ちていないのではないかと思うくらいに、どこも綺麗に掃除され、磨かれているようでした。

「どうぞ」

 わたしたちの前に立って歩いていた人形は、ある扉の前で足をとめてこちらを軽く振り返りました。

 そして、音もなくその扉は開き、その部屋の中が見えました。


「待たせたね」

 そう微笑んでいらっしゃるのは、白銀の短い髪の毛の男性。

 夢の中で見た通りの姿の、アルヴィ様のお師匠様、グランヴィール様。

 そこは応接間なのでしょう、重厚な造りのテーブルとソファがあり、壁際には本棚。何となく、アルヴィ様のお屋敷の中とよく似ている感じがしました。


 ――いいえ。

 きっと、アルヴィ様は。

 このお屋敷を真似て、ご自分のお屋敷を造ったのだ。それは直感と言えたでしょう。わたしは急に理解したような気がして、少しだけアルヴィ様の心の中を覗き込んだような、そんな気分になりました。


「初めまして、君がミア、だね」

 グランヴィール様はまっすぐにわたしを見つめ、柔和な微笑みを浮かべて見せました。それは見る者をとても安心させるような空気を生み出します。

「え、はい」

 わたしはそこで我に返り、思い切り頭を下げました。「ミア・ガートルードと申します!」

「堅苦しい挨拶は抜きにしようか」

 グランヴィール様がそう穏やかに言うのを聞きながら、わたしは頭をそっと上げます。すると、彼が意味深な目つきでわたしを見下ろしているのが解りました。

「君のことは馬鹿息子から聞いたよ。なかなか、面白い経験をしているようだね」

「……馬鹿……」

 わたしはそこで何て返したらいいのか解らず、そっと辺りを見回します。すると、少し離れた場所で所在無げに壁にもたれかかるようにして立っているアルヴィ様の姿が目に入ってきます。

「耳が痛い。聞きたくないから、席を外してもいいかな」

 アルヴィ様がわたしから目をそらしつつ、小さく言います。

 その表情は、いつもと違ってどこか――無防備に思えました。

 アルヴィ様の瞳には焦りとも困惑ともつかない感情が見え隠れしていましたし、声もいつになく感情的な響きがあります。

 それは何だか。

 とても……人間味のある表情というか、いいえ、少年らしいというか。

 大人で、いつも穏やかな笑みを浮かべているアルヴィ様とは全く違っていました。

「君、そう、君は」

 アルヴィ様はわたしたちの背後に立っていた人形に目をとめ、わざとらしい笑みを浮かべて続けます。「師匠の食事は君が作っているのだったよね? どう? 最近は作り慣れて腕も上がったかな?」

「……あなた様もご存知の通り」

 冷ややかな声が返されました。「わたしには味覚も嗅覚もございませんので」

「うん、だからね、提案なんだ」

 アルヴィ様はそこでわたしたちのほうへと歩み寄り、口早に言いました。「ミアは料理が得意なんだ。君がもしよければ、教えてもらうといいよ。あまり時間はないけれど、少しくらいは助言できるだろうし」

 ――え?

 わたしが困惑し、人形が沈黙します。


「それはともかく、息子は私に弟子を取れということだったけれど」

 グランヴィール様の穏やかな声がわたしたちの困惑をさらに深めます。「どうせなら一人も二人も同じようなものだし、まとめて引き受けることも可能だ」

「え?」

 今度はアルヴィ様が変な声を上げました。

 わたしたちの視線はグランヴィール様に向かいます。

 一人も二人も同じ……とは。

 わたしはこっそりと、気配を消すようにして立ち尽くしているリンジーと、どこか緊張した面持ちのカサンドラを盗み見てからもう一度グランヴィール様を見つめました。

「リンジーという子は、確かに一人で生きていくには幼すぎるだろうし、ミアという子は……魔術師として育てるという意味において、なかなか興味深い立場である」

「え、わたしですか」

「ミアを?」

 わたしとアルヴィ様の声が重なって、そこでわたしはグランヴィール様のその言葉がアルヴィ様にとっても初耳であると気づきます。

「そう、正直なところ、お前は馬鹿だし」

 ふと、グランヴィール様は目を細めてアルヴィ様を見つめ、深いため息をこぼしました。「女の子の扱い方を知っているとは言い難い」

「師匠に言われたくないですね」

「ほう? つまり、しばらく私から離れているうちに扱い慣れたということか」

「いえ、そうじゃなく」

 アルヴィ様は言葉に詰まりそうになりつつ、困ったように眉根を寄せました。「ミアがいないと……少し、僕も困るので」


 ちょっと!

 聞きましたか、コーデリア様!

 わたしはきっと、その場に誰もいなかったらそう叫んでいたと思います。

 アルヴィ様に、ミアがいないと困る、って言っていただけただけで! それだけで、思い残すことなんてないんですから!

 コーデリア様がこの場に姿を見せていないから仕方なく、わたしはソファの上に寝転んでいたルークの小さな身体をぎゅっと掴み、腕の中で抱きつぶすようにして喜びを露にしました。

「にゃ! この馬鹿娘、カッティングボード! つぶれる、つぶれるって!」

 わたしの胸の中でもがくルークにわたしはさらに自分の顔を寄せ、笑いながら囁きます。

「困るって、聞きました!?」

「胸、胸が硬い! お前、おっちゃんに胸をでかくする魔術をかけてもらえにゃー!」


「全く、飼い主に似たのか失礼なものだね」

 唐突にわたしの腕の中から、グランヴィール様がルークをつまみ上げて救い上げました。ルークはわたしの抱きつぶし攻撃から逃げて、途端に元気になります。そして、わたしに向かって小さく威嚇の声を上げました。

 いえ、そんな、悪意があって抱きつぶそうとしたわけじゃないんですけど!

 ただ、嬉しさの表現の一環として!


「ミア、ごめん」

 アルヴィ様がわたしの目の前に立ち、申し訳なさそうに微笑んでいました。「少し、師匠とリンジーのことについて話をするから、君は……席を外していてくれ。その、彼女と台所にでも」

 と、彼が人形に向かって視線を向けるのを見て、わたしは慌てて頷きました。

 するとアルヴィ様は安堵したように頷き、さらに続けます。

「師匠に押し付けるのはリンジーだけだから。それで……いいね?」

「はい!」

 もちろんです!

 わたしはアルヴィ様のそばにいるのが一番いいわけで!

 油断すればにやけそうになる自分の口元を引き締めつつ、わたしは人形の手首を掴んで見せました。

 ひんやりとしたその手首に、改めてそれが命を持たない存在なのだと気づかされつつ、それでも浮かれているわたしはそのことを何とも思わずに言いました。

「台所に案内してください!」

 人形は無表情のままわたしを見つめ返しています。

「え、あの」

 そこでわたしのテンションが少し下がり、ちょっとだけ浮かれすぎたことを反省し、彼女の手を解放しました。「すみません、痛かったですか」

「……いいえ」

 人形は小さく囁きます。「わたしに痛覚もありません」

「そ、そうですよね」

 気まずい空気がわたしたちの間に流れたような気がしました。

 でも、人形はそれを気にした様子もなく、グランヴィール様へ視線を向けて頭を下げます。

「お客様を案内してきます」

「そうか」

 グランヴィール様は一瞬だけ首を傾げましたが、すぐに頷いて見せました。


 わたしたちは他の皆を応接間に残したまま廊下へと出ました。

 人形の後をついて歩きながら、わたしは言葉を探します。

 浮かれていて忘れていましたが、そういえばルークが呪いの人形とか何とか言っていたな、と思い出して困ってしまいました。

 何を話せばいいのでしょうか。

 相手は人間ではないのですし……。


「あなたは浄化の力を持っていますね?」

 わたしの困惑を知ってか知らずか、彼女はこちらを振り返りもせず、歩きながらそう言いました。

「浄化の力?」

 ――そんなもの、あっただろうか。

 思わず首を傾げてから、白銀の世界の王様から、加護を与えようと言われたことを思い出します。そのことでしょうか。

「おそらく、ご主人様はそれに気づいてあなたに興味を持ったようです」

「え、あ、そうなんですか?」

 やっぱり、何て言葉を返したらいいのか解らず、そっと頭を掻くと彼女はさらに言葉を続けました。

「正直に言えば、わたしもあなたには関わりたくはありません」

「え?」

「なぜなら、あなたはわたしを簡単に消し去ることができるからです。わたしは思念体であり、人間とは違って肉体となる器に完全に固着しているわけではありません。あなたが想像している以上に、か弱い存在でもあります」

「あ、あの」

「あなたは敵に回したくない存在です」

「ちょっと、何を言っているか解らないです」


 そこで、人形は足をとめてこちらを振り向きました。

 慌ててわたしも立ち止まります。

「あなたが敵でなくてよかったと思います」

「そりゃ……敵なんかじゃないですけど」


 気づけば、わたしたちはどうやら目的の場所についていたようでした。

 彼女はそこにある木の扉を手で押し開け、わたしに中へ入るように促します。少し覗き込んだだけで解るくらいに、その台所は片付いていました。応接室や廊下の塵一つない完璧な掃除から予想はついていましたが、火や油を扱う場所にあっても、その綺麗さは驚くくらいで。

「では、料理を教えていただけますか」

「え」

 わたしは随分と間の抜けた声を上げたでしょう。

「ご主人様はわたしの料理を美味しいとおっしゃいますが、それは事実と異なるかもしれません。ですから、正直に言ってもらいたいのです」

「……はい」


 そう頷きながら、わたしは自分は一体、何のためにここに来たのだろう、と頭の隅に疑問を抱いたのでした。

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