第97話 呪いの人形
「ミア、何か感じない?」
外に出た瞬間、アルヴィ様は少しだけ警戒したような視線を森の方へ向けました。
「何かあった?」
わたしが何て言ったらいいのか解らず困惑していると、カサンドラがアルヴィ様のそばに立って、同じ方向を見つめます。
リンジーは少し離れた場所で顔を強張らせていて、それに気づいたのかアルヴィ様が苦笑しつつ肩を竦めました。
「まあ、気のせいだろうね。元々、リーアの森は変異が多いから」
「変異ねえ」
カサンドラがくくく、と笑ってアルヴィ様の肩に手を置きました。「厄介ごとに好かれる人間っているわよね」
「僕が呼び寄せているとでも言いたいのかい?」
「あらぁ。もしかして自覚あった?」
アルヴィ様はカサンドラの手をさりげなく押しのけると、すぐにお屋敷へ顔を向けて魔術の呪文の詠唱を始めました。
わたしたちの目の前で、アルヴィ様の魔術が完成します。
魔法言語の羅列と思われる光の帯が、お屋敷全体を覆い隠すと、瞬時にしてそこには鬱蒼とした森が存在していました。
そこには建物一つなく、魔術の気配すら感じません。
わたしがぽかんとそれを見つめ、アルヴィ様の顔と何もない場所を交互に見ていると、アルヴィ様の肩の上にいたルークが呆れたようにわたしを見つめて言いました。
「間抜けな顔になってんぜ、口を閉じとけにゃ」
「うー」
わたしは慌てて口を堅く閉じ、ルークを睨みつけます。
こんなことをしている間に、さらにアルヴィ様は移動のための魔術を――正確には風の精霊を呼び出し、わたしたちを連れて王都へと飛ぶ準備を終わらせていたのでした。
そして、本当にあっという間に、わたしたちは王都へと入るための門の近くへと到着しました。
見覚えのある分厚い壁に守られている王都。
まだ朝の早い時間ですが、人通りはそれなりにありました。
門の脇にある小さな小屋も、もちろん見覚えのあるものです。でも、以前わたしたちが見かけた男性ではなく、別の男性が門を守るために立っていました。
アルヴィ様がその彼に話しかけ、少し離れた場所にいたわたしたちを手招きします。
どうやら、中に入っていいと許可が下りたようでした。
「王都の中に一気に入るのかと思っていました」
わたしがアルヴィ様にそう声をかけると、苦笑と共に言葉が返ってきます。
「門番の目を盗んで忍び込むってことかい? さすがに王都の中には力のある魔術師が多いからね、下手なことはしたくないよ。正規ルートで入るほうが安全だ」
「なるほど」
「それに、少し……心構えをする時間が必要なんだ」
「師匠に会うのが怖いんにゃ、ご主人は」
「沈黙は美徳という言葉を知らないようだね、ルーク」
「お、沈黙なんてしにゃくても、美徳の塊だぜ、俺様は」
ルークが翼をばたつかせ、アルヴィ様の周りを飛び回り始めます。でも、アルヴィ様はそれを気にした様子もなく、まっすぐ前を見つめて道を歩いていきます。
その後をついていくわたしたち。
わたしと、カサンドラ、リンジー。
わたしの腕にはコーデリア様が腕輪のごとく巻きついていますから、コーデリア様も一緒です。
わたしはそっと辺りを見回しつつ歩き続けます。
王都の街の様子は、ほんの少し時間が変わるだけで一変します。
歩いていくにつれて陽もだんだん高くなり、行きかう人々の姿も増えていきます。賑やかな光景。騒々しいと感じるまでそう長くはかかりませんでした。
そして、考えていたよりもずっと長く歩いたような気がしました。
王都の中央部になるのでしょう、大通りの色々な店が立ち並ぶ場所。その大通りから裏通りへと足を踏み入れ、アルヴィ様の足取りが酷くゆっくりになりました。
アルヴィ様の足がとまったのは、辺りに立ち並ぶ他の家々とそれほど変わらない構造をしたお屋敷の前でした。
無防備にも思える、二階建てのお屋敷。玄関先に並んだ鉢植えには、色々な植物が植えられていましたが、あまり見たことのない葉の形ばかりです。そして、色とりどりの花。
お屋敷の門は本当にささやかなもので、何と言うか、簡単に忍び込めそうな普通の家といった感じです。
ただ、そこからわたしでさえ感じることのできる魔力の気配が伝わってきます。
家の中に魔術師がいる、と解る気配。
「ごめん。少し、ここで待っていてくれ」
アルヴィ様はわたしたちの前に立って、そう小さくおっしゃいました。
その声には緊張らしきものが聞き取れて、わたしたちはただ頷くことしかできません。
カサンドラもリンジーも、何も言わずにそこに立ったままです。
アルヴィ様は躊躇いつつもその家のドアにつけられたノッカーに手を伸ばそうとして。
触れる前に、その扉が音もなく開きました。
アルヴィ様が何か小さく呟いたような気がしました。ただ、何ておっしゃったのかは聞き取れませんでした。
「お入りください」
ドアが開き、そこに姿を現したのはリンジーと同じくらいの背格好の人間でした。
いいえ、人間ではありません。
人間の形をして、人間の服装を真似た黒い布をまとっていましたが、その裾から見える手足は、動くとぎしぎしと音を立てる人形のそれです。
白い肌は、血が通っていないから。関節のところには奇妙な筋が入っていて、動かすとその継ぎ目が軋む音を立てています。
完璧なまでに艶やかな髪の毛はとても長く、背中を覆っていて。
前髪の下にあった顔は、声を発しても顔の筋肉どころか唇も動きませんでした。
そして、とても綺麗な顔立ちの――少女に見えました。
「……久しぶり」
アルヴィ様はその人形に小さく声をかけます。
でも、相手の表情はぴくりとも動かず、さらにどこか曖昧に響く奇妙な声が続きました。
「お連れ様もどうぞ」
「いや、あの」
アルヴィ様の声は、今まで聞いたことがないほど力なく響いたと思いました。「……少し、僕らだけで話をさせてもらえないだろうか」
すると、その人形は少しだけ動きをとめました。それから、アルヴィ様だけをお屋敷の中に招き入れます。ルークすらその場に残される形になりました。
「では、そちらで少々お待ちください」
人形は扉を閉じる直前にそうわたしたちに声をかけると、ドアの向こう側へと消えました。
「……生き人形ってやつかしら」
門のところで、カサンドラが眉根を寄せつつそう言います。
「生き人形、ですか?」
わたしが首を傾げて見せると、カサンドラは小さく笑いました。
「そう。聞いたことはない? 人形も長い時間経つと、命を持つようになるのよ。あれ、魔術によって動かされてるわけではなさそうだし」
「ああ、確かに」
わたしはそこで小さく頷きました。
確かに、あの人形からは誰かの魔術らしい気配は感じられませんでした。魔力のようなものは感じましたが。
「悪いヤツじゃにゃいぜ、あいつは」
玄関の扉の前で、ルークが扉を見つめたままそう言います。「真面目過ぎるし冗談は通じないし、ここに来る前は呪いの人形として活躍してたらしいけどにゃ、根は悪くにゃい」
「呪いの」
「人形……」
カサンドラとわたしの声が重なります。
リンジーが不安そうな目つきでお屋敷を見あげているのに気づき、わたしはそっと彼女のそばに歩み寄りました。すると、彼女は慌てて笑顔を作って見せました。
――強がってる。
わたしはそう気づきましたが、リンジーはまるで「心配しないで」と言いたげに首を横に振りました。
そして。
結構、長い時間が経ったと思います。
カサンドラが待つことに飽きたのか、時々大通りの方へと行ったり来たりして。
リンジーはその場に座り込み、カサンドラの動きを見守っていて。
ルークはドアの前でだらしない格好で寝てしまっていました。
「お待たせいたしました」
やがて、あの人形だけがドアのところに戻ってきて、その扉を開けたのです。




