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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第95話 書斎の窓は開いていた

「あの、どういうことでしょうか」

 その困惑したイヴァン様の声に我に返り、わたしは彼を見つめたまま唇を噛みました。

「あの男は意外と耳聡い生きものじゃ」

 コーデリア様が笑いながら言います。「下手に月のことを知られると厄介じゃ。だから、それ以上何も言うな、訊くな」

「……それは、かまいませんが」

「とにかく、お主の事情とやらを話せ。秋の夜長にちょうど良いじゃろう」

 イヴァン様が複雑そうな表情をしましたが、それに続いたコーデリア様の言葉に頷き、それから改めてわたしたちを部屋の中へと導きました。

 コーデリア様は窓際に立ったまま、イヴァン様とわたしは部屋の中にあった椅子に腰を下ろした状態で彼の話を聞くことになりました。

 そしてわたしはぼんやりと、『秋の夜長』か、と頭のどこかで考えます。

 アルヴィ様のお屋敷で暮らすことになって、いつの間にか季節も移り変わりゆくのだなあ、と。


「きっかけは兄が……義理の兄が亡くなったことからだったように思います」

 イヴァン様はしばらく何から話そうか悩んでいたようでしたが、ゆっくりと口を開いてそう話し始めました。

「義理の兄?」

 コーデリア様が話の先を促すように言います。

「はい。義兄は、ベルナルド家の跡取りであり、神眼の持ち主でもありました」

「鏡、ということですか」

 わたしもそう問いかけました。イヴァン様の口調はまだぎこちなく、相槌を打ったほうが話が進みやすそうだと考えたからでもあります。

「はい。父が数年前に亡くなり、義兄……ビクトール・ベルナルドが一族の力を受け継ぐことになったのです。その際、祖父から例の鏡を受け取り、屋敷にて仕事を始めました。屋敷を訪れる人間の知りたいことを鏡の中に見て、答えを与えるという……ある意味、簡単な仕事だったと思います」

「簡単か」

 コーデリア様が小さく笑うと、イヴァン様は眉根を寄せて彼女を見つめました。

「義兄がそう言っていました。ただ鏡の中に映る光景を伝えるだけで金になる、楽な仕事だ、と。それだけなのに、名声も得られる。金は途切れることはない。あまりにも簡単すぎて笑えるくらいだ、と」

「ふむ、なるほど?」

「ただ……その頃から、義兄の様子が変わってきました。父が存命の頃は、物静かな――冷静な人だったののですが、ベルナルド家の主として権力を手にしてからは……少し、厭な人間になったような気もしました」

 そこで、イヴァン様は気まずそうにコーデリア様から目をそらします。

「よくあることじゃろ? 人間は富と名声には弱い生きものじゃからの、簡単に道を誤る」

「……そうかもしれませんが、納得はできませんでした」

 イヴァン様は掠れた声を吐き出しました。「それまで、それなりに……僕にも優しい人間でしたが、あの鏡を手にしてからは僕を疎ましく感じていたのかもしれません」


「疎ましく……?」

 わたしが思わずそう呟くと、彼は苦々しく笑います。

「僕は父の後添えの息子です。母は父の二度目の妻。義兄の母は、義兄を産んですぐに亡くなったと聞いています」


 何て言葉を言ったらいいのか解らず、わたしがコーデリア様を見つめると、コーデリア様が短く声を上げて話の先を促しました。


「父は最初の妻を亡くして、後添えを迎えるつもりはなかったと聞いています。しかし、祖父がそれをよく思いませんでした。なぜなら、ベルナルド家の跡取りはビクトール様だけで、万が一彼の身に何かあったら、一族の血は途絶えます。だから、念のための次男が必要だったのだと……思います」

「念のため……」

 わたしは思わず、顔をしかめてそう呟いていました。

 きっと、その声に潜んだ不快感のようなものも伝わっていたでしょう。

 イヴァン様がそっとわたしを見やり、弱々しく微笑みます。

「そうやって迎え入れられた僕の母の立場は微妙でした。母は父と結婚しましたが、だんだん……父から召使のような扱いを受けるようになったようです。僕が生まれてからは、父と母の関係は随分と冷え切っていて、僕という存在も父にとっては目障りだったと思います。父はビクトール様にだけ話しかけていましたし、僕は無視されることも多かったです」

「ビクトール様、か」

 義兄ではなく、『ビクトール様』と呼んでいるイヴァン様の言葉に反応し、コーデリア様が笑います。

 すると、彼は気まずそうにコーデリア様を見つめ直しました。

「父に、義兄のことはそう呼べと言われていましたから」

「なるほどな」

「でも、義兄はそんな僕にも優しく接してくれたと思います。同情かもしれませんけど。父からの扱いが結構酷いこともあって、父から庇ってくれることも多かったです」


 そして、そこで彼の深いため息が部屋の中に響いて。


「でも、変わってしまいました。義兄はベルナルド家の跡を継いでから、まるで父のようになってしまって。僕の存在は……義兄の後釜を狙う奴なのだと、神眼の鏡を狙っているのだと疑心暗鬼になってしまったようで、僕を近寄らせないようにしました」


「……ひどくないですか」

 わたしが思わずそう言うと、イヴァン様は力なく微笑みます。

「仕方ありません。主の言葉は絶対ですので、屋敷の人間もそれに従いました。それに、元々僕はベルナルド家の跡を継ぎたいとか考えたことがありません。むしろ、好都合でもありました。義兄が望むなら、母を連れてあの屋敷を出ようとも考えていたのです」

「なるほど」

 コーデリア様がそこで口を開きます。「じゃが、どうやらその義兄とやらは死んだのだな?」

「はい」

 イヴァン様の表情が苦悶に満ちたものへと変化しました。「亡くなった原因は解りません。おそらく、病によるものだろうと祖父は言いましたが、それが事実かどうかは曖昧です。そして、僕にベルナルド家の跡を継ぐようにと命じてきました。そこで、少しだけ――僕の立場は苦しいものになりました」

「苦しいものに?」

 わたしがそう言うと、イヴァン様が頷きます。

「屋敷の者、全員が考えたんだと思います。目障りな義兄を殺して、跡取りに収まったのだ、と。誰もそうは言いませんでしたが、そう考えているのが解りました」


「でも、違いますよね?」

 わたしのその問いに、彼は鋭く返します。

「当然です。最初は義兄も優しかったんです。その恩義は忘れるわけにはいきません。その彼を手にかけるなんてことは絶対にありえない」

「あ、あの、変なことを言ってすみません」

「いえ」

 そこで、少しだけ彼は表情を和らげました。「こちらこそ、すみません。僕の怒りはきっと……祖父に対してなんだと思います。元々は、僕らを駒のように扱った祖父が問題で。でも、義兄がいない今、あの屋敷で一番の発言力を持っているのは祖父です。誰もがそれに従うしかないのです」

「それで?」

 コーデリア様がイヴァン様にそう声をかけると、彼の表情がまた曇りました。

「この状況で、母が倒れました。倒れたのか……それとも、暴漢に襲われたのか」

「暴漢とな?」

「はい」

 イヴァン様がコーデリア様を沈痛な面持ちで見つめます。「ある日の早朝、屋敷の人間が母が倒れているのを見つけました。亡くなった父の書斎で、母は床に倒れていたそうです。そして、書斎の窓が開いていました」

「窓が? つまり、誰かが忍び込んだということか」

「解りません」

 イヴァン様は首を横に振り、疲れたように目を伏せました。「ただ、屋敷の――仕事で使う部屋に置いてあった神眼の鏡がなくなっていて、母が倒れ、窓が開いていた。これらをつなぎ合わせると、誰かが盗んだとしか考えられないのではないか、と」

「確かにな」

「そこで、祖父が僕に命令しました。なくなった鏡を探せ、と。秘密裏に取り戻して、僕に義兄の請け負っていた仕事を引き継げと」

「なるほど、なかなかの難しい問題じゃな」

「はい」

 イヴァン様はそこで小さなため息をこぼし、もう一度コーデリア様を見つめました。「正直なところ、僕はベルナルド家なんてどうでもいいんです。でも、祖父は『鏡を探せ』としか言いません。母の看病をしたいと言っても、聞き入れてもらえませんでした」


「結局のところ、お主はどうしたいのじゃ」

 やがて、コーデリア様がそう言います。

 すると、彼は強い意志をこめた口調で応えました。

「神眼の鏡を取り戻し、あの屋敷に持ち帰ります。それから、母を連れて屋敷を出ていきます」

「ふむ」

 コーデリア様が声を上げて笑いました。「そう上手くいくかのう」

「だから、優秀な魔術師の力が必要なんです。僕には自由にできるお金はありませんが、祖父が持っています。とりあえず、それを利用して鏡を取り戻すのが目下の目標です」

「なるほど。お主の祖父とやらは鏡さえ取り戻せばおとなしくなるのか?」

「なるはずです」

「そうか?」

「少なくとも、今の状況よりは好転します」

「ふむ」


 コーデリア様が黙り込んでしまうと、イヴァン様はさらに言葉を続けました。

「ベルナルド家なんて、くそくらえですよ」


「面白い」

 コーデリア様がそこでニヤリと笑い、意味深な笑みをわたしに向けました。

 面白い……でしょうか。

 わたしは眉根を寄せ、そっと首を傾げました。

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