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第9話 玉の輿を狙いなさい

「よくやったわ」

 それが、わたしの母の言葉でした。


 アルヴィ様と一緒に、わたしは一度、自分の家に足を運びました。

 持ってきたい荷物もあるだろうから、と。本当にお優しいかただと思います。

 アルヴィ様の召使として――いえ、奴隷?――働くのは決定事項なのですから、無理やり連れていかれても文句の言えない身なのです。

 それでも、アルヴィ様は夜逃げの準備をしているわたしの両親に挨拶をしなくては、と言ってくださいました。

 ――まあ、いきなりわたしがいなくなると、絶対に両親は心配するでしょうから、これは当然の流れなのでしょうか。


 わたしの家はそれほど大きいわけではありません。

 街の大通り沿いにありますから、それなりに売り上げのあるお店ではあります。

 パン屋として使っている店舗の部分と、居住区域が別れていて、余計にそう思えるのかもしれませんが、一般的な家庭と比べると家具も荷物も少ないと思います。

 だから、荷造りも簡単だったはずです。

 わたしが家に戻ったとき、父はどうやら行方知れずになったわたしを探して近所を歩き回った後らしく、疲れた様子で台所の椅子に座っていました。

 ただ、母は何となく、わたしの行動に気づいていたようです。わたしがどこに向かったか、何を考えているか。きっと気づいていた。

 だから、母は荷物をいつでも運び出せる状況にしたままで、ただわたしの帰りを待っていました。そしてとても冷静に、迎えてくれました。


 母はずっと昔から、わたしが魔術師のアルヴィ様を見つめ続けていたことを知っています。

 夜逃げしようと言ってきたときも、「本当にこれでいいの?」と訊いてきたのです。

 だからわたしも、悩んだ結果、アルヴィ様に思い切って助けを求めようという気になれました。

 そして、その結果がこれです。


「あなたがたのお嬢さんを、わたしが雇うことになりました」

 アルヴィ様がそう言って微笑み、礼儀正しく頭を下げてくださいます。

 何だかわたしはこの状況が夢の中のようで、相変わらず足元がふわふわした感じが抜けませんでした。

 色々とアルヴィ様が今夜の件を説明してくださって、もうこの街から逃げ出さなくてもいいと知った父は、本当に安堵していたと思います。ただ、すぐに顔色を変えて「しかし、家を出ていくというのか!」と泣きそうになっていました。

 正直なところ、父はわたしに対してものすごく過保護なんです。嫁には出したくない、と呟くたびに、母に軽く頭を叩かれていますが、その言動は昔も今も変わることはありません。

「何かありましたらすぐにこちらに帰しますので」

 アルヴィ様のその言葉に、本当に不承不承といった様子で頷き、涙目でわたしを見つめてくる父。

 ――ごめんなさい。

 そうは思いますが、でも、やっぱり。

 わたしは後悔などしていません。


「娘はもう大人なのよ。大丈夫でしょ」

 母はそう言って大らかに笑います。

 わたしと比べて、かなり大雑把な母。性格も、行動も、とにかくはっきりくっきりしています。わたしと同じ髪の色、瞳の色をしていて、顔立ちもよく似ているのに雰囲気はまるで違う。

 そんな母がとても好きでした。

 母はわたしをぎゅっと抱きしめ、わたしの耳元で小さく囁きます。

「あなたにこんな行動力があるなんて素晴らしいわ。いい? 玉の輿を狙いなさい」

「……どこで?」

 わたしは真剣に問い返します。

 でも、母はただ笑うだけ。

 ――玉の輿。

 知っています。絵本でよく読んできました。

 王子様と結ばれるような少女は、ほとんどが絶世の美女であるのです。たとえ貧しくても、美しく、聡明であること。これが絶対条件です。

 だいたい、幼い時に聞いた母の言葉はよく覚えています。

「曲がりなりにもあなたは美人とは言えないかもしれないけど、絶対に他に頑張れることがある。例えば料理、勉強。まずはそこからよ」

 だから、わたしは頑張ってきたつもりです。

 特に、料理に関しては。

 幼い頃から母に料理を習い、家事は進んでこなしてきました。

 だから、アルヴィ様のお屋敷の掃除も頑張れると思います。

 ……ただそれで、玉の輿に乗れるチャンスがどこにあると?


 挨拶を終えたアルヴィ様は、わたしに「明日迎えにこようか?」と言ってくださいましたが、わたしは首を横に振りました。

 時間は有限なのです。

 とにかく、何事も早く行動する。

 それがわたしの信念でもあります。

「そう。変わった子だよね、君」

 アルヴィ様は楽し気に笑い、わたしは思わずそれに見とれる。

 こんなことばかり繰り返すんでしょうか、わたし。


 そして、わたしはアルヴィ様と一緒にリーアの森の奥にあるお屋敷へと戻りました。

 その頃にはもうすっかり、深夜になっていました。


「残念ながらね」

 アルヴィ様は応接室にわたしを通した後、その場に立ったままで困ったように笑います。「君の部屋が準備できないんだ」

 わたしもその場に立ったまま応えました。

「大丈夫です、わたしはどこでも」

「いや、あのね。部屋はあるんだけど、中に入れない。意味、解る?」

「ああ、そうですね」

 わたしは獣道と化した廊下のことを思い浮かべ、静かに頷きます。確かに、あの荷物をどけなければ、その奥にある部屋にはたどり着けません。

「だから、君は今夜、ソファで寝てもらってもいい? 毛布は持ってくるよ」

「ありがとうございます。もったいないお申し出、痛み入ります」

「子供らしくない言葉遣いをするよね、君」

「来年で十六歳です。大人です」

「それについてはまた暇なときに話し合おう」

「はい」

 そして先ほどの言葉通り、アルヴィ様はわたしに毛布を持ってきてくれました。

 本だらけの応接室、古いソファとテーブル。

 それでも、わたしにとっては最高の寝床だったと思います。


「もし寒いようなら、うちの使い魔を貸すけど」

 アルヴィ様がそう言ってきます。

 その肩の上には、どこか警戒したような目つきのルークが乗っていて、低く言います。

「ただし、優しくしてくれ」

「ちょっと、何を言っているのか解りません」

 わたしは少しだけ不満を表情に出したでしょう。

 だって、限りなく優しく撫でたはずじゃありませんか。その言いかたは納得いきません。


 でも、考えてみれば今夜はそんなに寒くはないのです。

 だから、毛布だけで大丈夫。

 わたしはどこか釈然としないまま、ルークの貸し出しを断りました。


 そして、ソファに身を預けて眠りについた、のですが。

 何だかあまりよく眠れませんでした。

 気分が高揚していましたし、緊張もしていました。

 まだ夜明け前だというのにソファから抜け出し、毛布をたたんでそこに置きます。そして、勝手なことだとは気が引けつつも、台所へと向かいました。

 一応、台所へと続く道は確保されているようでしたし、もし可能でしたらアルヴィ様が起きるよりも前に、朝食の準備ができたら、と思ったからです。

 ただし、足を踏み入れた台所は魔境のようでした。


 どうしよう、夜明けまでに掃除が終わりそうにない。

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