第83話 兄弟神にまつわる神話
「まずい気がします」
わたしはアルヴィ様の横をゆっくりと歩きながら、そっと背後を振り返りました。
まだそこには、サウル殿下と側近の騎士様たちがいらっしゃいます。そして、厳しい表情で何か話をしているようでした。
「そうだね」
アルヴィ様も小声でそう返してきました。どこか物憂げな様子の横顔を横目で見つつ、わたしは次の言葉を探しました。
でもわたしの言葉の前に、ミア――エルネスト殿下が苦し気な息を吐きつつ口を開きました。
「仲違いはしたくありません」
エウゲン様に寄り添うようにして立っていたエルネスト殿下は、白い頬を見せていました。そして、思いつめたような目つきでわたしを見上げ、その手でわたしの服を掴んできました。
「サウル殿下が……あんな目をされるのは初めてです。あの、何とかしていただけませんか」
ううう。
わたしは服の裾を掴む彼女の顔を見下ろし、何とも複雑な気分でした。
だって。
目の前の少女が目を潤ませ、すがるように見上げてきたら、戸惑うしかないじゃないですか。
「よし、そこで肩を抱けにゃ」
アルヴィ様の肩の上から、無責任なルークの声が飛んできたりするものですから、余計に身体が硬直します。一体どうしろと言うんでしょうか。
「話を複雑にしないでくれ。もの凄く視線を感じるから」
アルヴィ様呆れたようにそう言って、わたしはそっとサウル殿下の方へ視線を向けました。
そこで、わたしは慌てて目をそらしながらミアの身体を遠くに押しやろうとします。
無表情でこちらを見つめているサウル殿下と、思い切り視線が合ってしまったから。
そして、さらに問題が一つ発生しました。
「凄いぞ、魔術師よ! これを見るとよい!」
と、突然我々の目の前に現れたのはバシリス陛下です。
バシリス陛下は何人もの側近の人々を従えつつ、こちらに大股で歩み寄ってきました。満面の笑みをたたえたその表情は、緊迫感の欠片もありません。
そして何故か、その右手の中には奇妙に光り輝く小さな物を持っていました。
「陛下」
アルヴィ様が茫然としたように小さくそう呟き、わたしも目を細めて陛下の右手を見つめます。
その間にエウゲン様とミアが陛下に歩み寄り、わたしたちよりも先に何か声をかけたようでした。
少し遅れて、アルヴィ様が陛下の前に歩み寄り、穏やかに言いました。
「何故、それを持ち出されていらっしゃるんでしょうか」
「だからな、魔術師よ」
「陛下」
アルヴィ様の声が少しだけ低くなりました。「どうか、城内へお戻りください」
陛下が持っていらっしゃるのは、紛れもなく『白銀の世界』です。
彼の手の中にあるそれは、白い光を点滅しながら、様々な色を放ちます。闇の色だけではなく、赤や青といった色も瞬き、小さな爆発がそこで起きているようにも見えました。
夢を見たわたしだから解ることがあります。
白銀の世界の住人たちである彼らが戦っていること。
そしてそれは、とても激しいものであること。
きっと今、この瞬間にも彼らは――その身体を犠牲にしつつ、あの黒いものを浄化しているのだということ。
その小さな世界を大切そうに持ち、興味深げに見つめる陛下の表情は楽しそうでもありましたが、ほんの僅かな不安の色も見えたような気がしました。
「もうすぐ終わるのだろうな?」
陛下はそう言いながら眉間に皺を寄せました。
それを見たアルヴィ様は、ふと何事か考えこんだようでした。でも、すぐに「終わります」と頷いて見せました。
その直後、アルヴィ様が皆を庇うような仕草で身体を捻りました。
それはあまりにも唐突な動きでした。
「何かあったのか、兄者」
サウル殿下の探るような声がすぐそばで聞こえます。
わたしもアルヴィ様と同じように、すぐそばに立っているミアを庇うようにしつつ、サウル殿下を見つめました。
悩んだのは一瞬です。
「なあ、兄弟」
わたしは必死に言葉を選びながら口を開きました。「言えないこともあるのだと理解して欲しい」
一度、話をしてしまおうと決めてしまうと、自然と言葉は生まれてきます。
アルヴィ様に言われて読んだ本の内容とか、これまで知識として仕入れたもの、教えてもらったもの。
そして、夢の中で見たエルネスト殿下の記憶。
それらをつなぎ合わせて生まれる言葉は、とても自然に響いたと思いました。
「……やっと口を開いた」
サウル殿下が苦笑します。「沈黙の誓いはいいのか」
「良い訳がない」
わたしは言葉尻に力を込め、そしてサウル殿下に挑むように見つめた……と思います。「だが、それよりも会話が必要だと判断した」
わたしの言葉に、サウル殿下が少しだけ、ほっとしたように薄く微笑みます。でも、その笑みはすぐに消えてこちらを心配するような表情へと取って変わりました。
「何があったんだ?」
「説明ができるようなら苦労はしない」
そう言いながら、そっとアルヴィ様の方へ目をやると、彼は疲れたように目を閉じています。でも、すぐにその目を開けてわたしを見つめ返し、小さく頷きます。
――許可が得られた。
そう感じて、わたしはまたサウル殿下に視線を戻しました。
「我々は兄弟のように育ったが、それぞれ立場が違う」
「何?」
「言える時がきたら話す。それでは駄目だというのか」
「駄目というわけではないが……」
サウル殿下の声が少しだけ低くなりました。不満が混じった声音。
「……そうか、俺が信頼されていないというのは解った」
わたしはわざと、そういう言い方を選びました。真面目なサウル殿下が困るような言葉を。そして実際に、彼の双眸に悩まし気な色が浮かぶのも見えました。
「それでも、俺はお前を信頼したい。お互い、それぞれの国を守る立場の人間だ。私情は挟まず、まずは神事を成功させたい」
「それは僕も同じ気持ちだ」
そこで、サウル殿下はまっすぐわたしを見つめ直しました。
ほんの少しだけ、彼の中にあった厭な気配は薄くなったように思えます。
厭な気配――つまり、殺気。
「なあ、兄弟」
わたしはさらに言葉を続けました。「お前だって、兄弟神にまつわる神話は知っているだろう?」
「……イゴールとルーヴィンか」
サウル殿下が目を細め、小さく笑います。
今回の件で、神話に関する本を読みました。そこで、神事にまつわる神話も知ったのです。
イゴールとルーヴィン。
彼らは血のつながった兄弟だったそうです。そして、大きな一つの国を守り、力を合わせて外敵と戦った仲の良い間柄でありました。
しかし、長い時間が流れるうちに進むべき道を違え、それぞれを慕う者たちを率いてお互いが戦うことになった。その結果、一つの国だった所が二つに分断されてしまった。
彼らが戦う原因となったのは小さな問題の積み重ねですが、その原因の一つに、同じ女性を好きになったこともあるようなのです。
何だかまるで……今のわたしたちみたいな感じじゃないですか?
もちろん、わたしたちの場合は大いなる誤解の上に成り立っているわけですけども。
後世、彼らが戦った場所とされるところに神殿ができ、この二つの国が彼らの子孫がいるとされています。
だからこそ、彼らを称え、護ってもらえるように神事を行うようになった。
それがずっと続き、この二つの国は兄弟国として上手く成り立ってきているのです。
「最終的に彼らは和解した」
わたしはさらに言葉を続けました。「争いはあったものの、その後に歩み寄り、話し合いの上で平和な道を選んだ。我々もそうすべきだと思う」
「話し合えるのならば不満はない」
「そうか」
「そうだ」
わたしはそこで一度言葉を切りました。
そして、視線をサウル殿下の背後へと向けました。
敵意を――殺意を持ってわたしを見つめている、一人の騎士様へと。
「彼の名前は?」
わたしは小さくサウル殿下に問いかけました。
すると、サウル殿下が困ったようにちらりと背後に目をやって。
「優秀な……騎士だよ」
そしてそれは、どこか歯切れ悪く聞こえました。
「秘密はなしだと言ったのはお前だったな、兄弟」
「言うね」
そこで、サウル殿下が困ったように頭を掻き、小さく頷きます。「彼の名前はエリク・ライアーズ」
「そうか」
わたしは小さく笑って続けました。「彼は俺の敵か?」
サウル殿下は一瞬だけ、言葉に詰まったように唇を噛みました。
「いや、そんなことはさせない」
彼はそう続けましたが、その声に力はありませんでした。




