第82話 殺意
「とにかく、君にはまだやってもらわなくてはいけないことがある」
やがてアルヴィ様はそう言うと、コーデリア様に視線を向けて続けました。「後で僕が呼びにくるまで、見張っていてくれるよね、コーデリア」
「任せておけ」
ふ、と低く笑い声を上げたコーデリア様を少しだけ優しく見つめたアルヴィ様は、そのまま部屋を出ていってしまいました。
そして、部屋に残されたわたしはコーデリア様を見つめます。
質問があります、と言いたげな表情をして見せたと思います。コーデリア様はどことなく楽し気な目つきで、ベッドに座ったままのわたしを見下ろして口を開きました。
「どこかの愚か者は気づいていないのじゃろうが、こうしている間にも神事の日は近づいてきておるのだ」
「いや、気づいてますよ」
わたしが眉間に皺を寄せてそう言った後、むむ、と思って彼女を睨みつけます。「どこかの愚か者って誰ですか」
「お前のことに決まっておる」
「ひどい」
「もう一人の王子とやらも、事あるごとに神事の前の手合わせのことを言ってくるしの」
「聞き流しましたね、わたしの言葉」
「どうやら、さすがのあの男もそろそろお主を庇い切れんようじゃ」
「あの男……アルヴィ様のことですか」
「他にお主を庇うような男がいるのか」
「い、いるかもしれないじゃないですか」
「ほう」
そこであまりにもコーデリア様の瞳が怪しく輝くものですから、素直に負けを認めました。
「すみません」
「それはともかくじゃ」
「はい」
「おそらく、今日にも手合わせとやらをせねばなるまい。大丈夫か、できる自信は?」
「善処します」
とにかく、自信があろうがなかろうが頑張らなくてはいけないわけですから、そう言うことしかできません。
わたしが低く唸りつつ唇を噛むと、コーデリア様が少しだけ声音を和らげて続けました。
「……自己暗示とやらは解けたようじゃの?」
「……はい、多分」
「お主は、その方が良い」
「どういう意味ですか?」
わたしは首を傾げて見せましたが、コーデリア様はその問いかけに答えてくれず、ただ優しく微笑むだけでした。
その日の午後、食事を終えて部屋に閉じこもっていたわたしたちのところに、アルヴィ様とエウゲン様が姿を見せました。
そして、エウゲン様の背後に隠れるようにして、ミア――エルネスト殿下もいます。
「サウル殿下と軽く手合わせをしてもらいたい」
エウゲン様は椅子から立ち上がって礼をしようとしたわたしを押しとどめ、挨拶抜きで話を始めました。
「解りました」
覚悟はしていたので、慌てることはありません。
わたしは静かにそう応え、彼の真剣な双眸を見つめます。
エウゲン様はそこで満足げに頷いた後、背後に立っていたエルネスト殿下を振り返ります。
エルネスト殿下は不安げにわたしを見つめていて、少しの間、その唇を震わせながら何か言うべき言葉を探していたようでした。
そして、若干、その瞳を潤ませながらか細い声で言いました。
「サウル様に会うのが心苦しくて隠れていましたが、いつまでも逃げ続けるわけにはいきません」
それを聞いて、わたしはそっとアルヴィ様の方に視線を投げます。
すると、アルヴィ様は小さく頷いてため息をこぼしました。
「仕方ないことだよ。だから、できるだけ早く終わらせよう」
終わらせる……。
無事に終わるのか不安はありますが、わたしはアルヴィ様の言葉に頷いて見せます。
そして、ふと周りを見回してアルヴィ様に尋ねました。
「そういえば、カサンドラはどうしているんですか?」
「彼女はずっと部屋に閉じ込めておいている」
そこで、アルヴィ様は厭な質問だと言いたげに目を細めます。「あれを自由にしておくと、またサウル殿下の前で不用意な言葉を発現するかもしれないからね。まあ、閉じ込められているとは言っても彼女は幸せそうだよ。将来の嫁候補がそばにいるんだからね」
「嫁候補」
リンジーのことだと思いますが、嫁候補?
女の子同士なのに。
「嫁候補は逃げ出したいらしいが、それは彼女たちの問題だ。放置しよう」
「そうですね」
わたしは変なことを考えるのをやめ、すぐに頷きました。
「それで、サウル殿下がお待ちなので、すぐ出てもらえるかな?」
わたしたちの会話に、エウゲン様が割り込んできます。
話が長くなりそうだと懸念されたのでしょう。わたしたちも我に返り、わたしもアルヴィ様もエウゲン様に頷いて見せました。
その後、もう一度アルヴィ様に念押しされたことは。
サウル殿下に話しかけられても、無言を通すこと。
仕方なく何か言わなくてはいけない場合は、言葉を選ぶこと。
ミア・ガートルードにサウル殿下を接触させないよう努力すること。
今までとほとんど変わらない決まり事を確認した後、わたしは皆と一緒に部屋を出ることになりました。
神事の前の、軽い手合わせ。
それが終われば、一度サウル殿下はこの城を出ることになるそうです。
もう、神事の日程は間近になっていて、それぞれが準備をしなくてはいけないということらしいのです。
「まあ、君には感謝するよ」
廊下を歩きながら、横に立ったアルヴィ様がわたしに言います。「君のお蔭なのか、白銀の世界の浄化は凄い速さで進んだ。もうすぐ、終わると思う」
「終わる?」
「ああ、エルネスト殿下が元に戻るのももうすぐだ」
「嬉しいです」
つまりそれは、元の姿に戻れるのももうすぐということ。
つい、わたしの口元が緩みそうになります。
だって、やっぱり男性の身体のままというのは色々不便なことがあるわけですから。
そんなことを小声で言いあいつつ、わたしたちはエウゲン様の後に続いて中庭へと向かいました。
中庭には、もうすでにサウル殿下とその側近である騎士様たちが待っていらっしゃいました。
わたしは口を閉ざし、無言のまま彼らの前に立つことになりました。
サウル殿下は中庭の大きな木の木陰で剣を持って立ち尽くしていました。わたしたちが姿を見せると、その表情がすぐさま引き締まるのが見えます。
そして、彼らの側近たちも背筋を伸ばし、こちらを見ています。
「兄者」
サウル殿下は何か言いたげでしたが、わたしが無言のまま軽く頭を下げると、どこか諦めたように小さく笑って頭を下げ返してきます。
その後で、サウル殿下はわたしたちのそばに立っているミアへ視線を投げました。
しかし、ミア――エルネスト殿下はすぐにエウゲン様の背中の陰に隠れてしまい、俯いて彼の視線を避けてしまいます。
さすがにそこまで避けられてしまうと、サウル殿下も何も言えないのでしょう。どこか傷ついたかのような表情でため息をこぼし、苦々しい笑みを浮かべて見せました。
そして、エウゲン様やアルヴィ様の制止もあってか、彼らが必要以上にこちらに近寄ることも話しかけることもなく、ただ神事のための打ち合わせのためだけの時間となったのです。
手合わせは何の滞りもなく、呆気なく終わりました。
剣の扱い方は、夢の中で充分に理解していたこともあり、自画自賛してもいいんじゃないかと思えるくらいに自然に動けたと思います。
教えてもらった通りの剣の型。
頭で考えるのではなく、自然と腕が、身体が動く。
剣が美しい弧を描く。
そしてサウル殿下も落ち着いた動きで剣を振り、ぶつかり合わせ、お互いの剣が火花を散らすような輝きを放ち。
そして時間が経つほどに何となく、ですが。
サウル殿下も表情を和らげていたと思います。
わたしも自然と口元に笑みが浮かびました。
身体を動かすことによる爽快さ、からなんでしょうか?
何とも説明が難しい感情の動き。
でも、その反対に。
サウル殿下の側近である騎士様たちの一人が、酷く敵意のある表情でわたしを睨んでいたのも理解していました。
少し離れた場所に立っているのは、見覚えのある若い騎士様。
夜中、その姿を中庭に見た時に感じた感情より、もっと激しくなっていたそれは――。
「殺意」
わたしは思わず、小さく呟きました。
夢の中で、あの黒い悪意の塊の中で感じたもの。
誰かが誰かを憎み、殺したいと思う黒い感情。
それと同じものをその騎士様の瞳の中に見たと思いました。
その瞳は間違いなくわたしに――エルネスト殿下に向けられています。
でも、なぜ?
「何か言ったか、兄者」
わたしの小さな呟きが聞こえたのか、サウル殿下がわたしを見つめて小さく問いかけてきます。
でも、わたしは首を横に振って微笑み返すだけにとどめました。
なぜなら。
騎士様の中にある黒い感情によく似たものが、サウル殿下の中にも間違いなくあるからです。
騎士様と同じような感情。でも、騎士様ほど強くはありません。
微かに感じる程度。
――影響を受けている。
そういえば確か、アルヴィ様がそんなことを言っていたはずです。
不安要素が一つある、と。
そう思って視線をアルヴィ様に向けると、鋭い視線を騎士様に向けている彼の横顔がそこにはありました。
きっと、わたしが感じたものをアルヴィ様も騎士様の中に見つけたのかもしれません。
そんなわたしの視線に気づいたのか、すぐにアルヴィ様はわたしに顔を向け、穏やかに微笑んで見せます。
「そろそろ、お部屋にお戻りください」
そう言ったアルヴィ様の口調は、この国の王位継承者に向けられる礼儀正しさがありました。恭しい声の響き。
わたしはそれに頷いてから、サウル殿下にもう一度視線を戻します。
「結局、ほとんど話はできなかったな」
サウル殿下は残念そうに苦笑して見せた後、踵を返してしまいます。
少し離れた場所に控えていた騎士様たちの方へと歩いていく背中を見送ってから、未だにこちらを見つめ続けている若い騎士様の鋭い双眸を見つめると、その彼はすぐにわたしから視線をそらしました。




