第79話 一緒に戦う名誉を
「意識を集中させるとよい」
わたしがベッドに仰向けになって天井を見上げると、コーデリアの冷たい手のひらがわたしの額に押し当てられました。
「集中ですか」
――眠って、夢を見ることに?
部屋の中は明るく、静かです。お昼寝するにはいい時間帯なのかもしれません。
眠りが浅ければ、きっと夢も見られる……ような気がします。
だから、そっと目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えて眠る準備。
そういえば。
アルヴィ様は部屋を出ていってしまったので、今現在、この部屋にいるのはわたしとコーデリア様だけです。
カサンドラたちやミア――エルネスト殿下とエウゲン様の姿を見ていません。わたしがこうしている間、彼らは何をしているのでしょうか。
アルヴィ様と一緒にいらっしゃるのでしょうか。
「集中しろと言ったじゃろうが」
と、いきなり額をぴしり、と叩かれてわたしは目を開けました。
そこには、ベッドの脇に立ち、目を細めてわたしを見下ろしているコーデリア様がいらっしゃいます。
「うー」
額に痛みはありませんでしたが、とりあえずコーデリア様を軽く睨みつけて不満を訴えてからもう一度目を閉じます。
考えるのをやめて、ただ眠ることに意識を――。
その夢は唐突に始まりました。
いえ、いつだって夢は唐突に始まるものですし、現実味も脈絡もない不思議なものなんですが。
ただ、今のわたしの目の前に広がる光景はとても現実味を帯びて存在していました。
真っ白い世界。
白銀の世界。
ただ、少しだけ薄暗く感じました。
空を見あげれば、白銀の世界の住人たちが飛び交っています。
それは前も見た光景。
彼らはさながら渡り鳥が飛んでいるかのようで、美しく整列し、同じ方向を目指しています。
空の色は白というよりも灰色で、濁った色をしていました。それは見ている者を不安にさせるような、心の大切なところをひっかくような、言葉では言い表せない色でした。
でも、以前見た夢の時よりは明るいかもしれません。
もっと、恐ろしい世界に変化していると予想していたのですが、少しだけ意外でした。そして、何だか安堵の息がこぼれます。
その空から目をそらして住人たちの行先を追って視線を向けました。白い木々が生い茂る幻想的な森の向こうに、住人たちの集落と思われるものが目に入ります。
わたしがそちらの方へ歩き出すと、地面がとても硬いことに気づきます。
石畳のような感触。
夢の世界だから。
身体が軽く感じるんでしょうか。
どんなに歩いても、疲れないような気がして。
わたしはそこで、走り出しました。
速い。
男性の脚って、こんなに力強いのか、と思います。
走りながら、自分の右手を見ます。何も持たない手のひら。
でも、ここは夢の世界。
それなら、きっとわたしが願ったことは叶う。
そして唐突に、わたしの手の中に剣が生まれます。
今のわたしの武骨な手にしっくりとなじむ、大剣です。
今のわたしは、剣の扱い方も知っています。まるで自分の身体の一部のように、自由自在に扱える存在としてここにあります。
戦えと言われたら、戦える。
わたしは走りながら、その剣を肩の上に担ぎました。この方がずっと走りやすいです。
森の中に入り、道らしいものがない空間をすり抜けて走り続け、森が一気に開けました。
そこにあったのは、巨大な幹を持つ木々と、彼らの住処だと示す窓。
鈴が鳴るような、高い金属音が響きます。
そして気が付けば、わたしの周りに住人たちがふわりと降り立ちました。
激しく、そしてさらに高くなる金属音。
それは威嚇のように思えました。
――武器を持っていてはまずい、ですよね。
そう考えただけで、わたしの右手が軽くなります。
さっきまで持っていた大剣は、もうそこにはありません。宙に溶け、影も形もなくしています。
「敵意はありません」
わたしは思わず、両手を軽く上げて何も武器など持たないと示しながらそう言います。
でも当然ながら、わたしの言葉は彼らに通じないようでした。
むしろ、わたしが言葉を発したことで怯えたのか、彼らが慌てたように身を引いて、その美しい六枚の羽根を震わせます。
――どうしよう。
せめて、言葉が通じれば。
「て、敵ジャナイヨー」
思わず片言の言葉を口に出して、そして一瞬の後に凄まじい自己嫌悪に陥ります。
通じないって解ってるのに!
ああもう、わたしのバカ!
その時でした。
すぐ近くの一番大きな木の幹が、音もなく揺らぎます。木の葉が揺れ、まるで生き物のように『身じろぎ』をした、気がしました。
その幹の表面が、ゆっくりと裂けていきます。
何て表現したらいいのか解りません。
幹の中から、巨大な生物が生まれた、そう説明するのが一番しっくりくるでしょうか。
サナギから蝶が姿を現すように、そこから白銀の住人が生まれて。
でも。
それは、他の住人たちとは違いました。
身体は他の住人よりずっと大きく、そして限りなく白く、凄まじい気配をまとう――まるでそれは、白銀の世界の王様のようでした。
美しい滑らかな肌と、銀色の双眸。
感情などどこにも見えない、作り物のような顔。
それが、喋ったのです。
「人間か」
「あ、はい!」
わたしは恐らく、目を丸くしていたと思います。返事をした声も、どこか間が抜けて聞こえました。
そこで我に返り、何とか今の状況を説明しようとしました。
「あの、わたしは!」
でも。
「よい。解る」
「解る……」
わたしが目を細めて彼――彼女?――を見つめなおした直後。
彼の周りに、次々にこの世界の住人たちが集まってきます。まるで彼を守るかのように取り囲み、わたしを見つめました。
彼よりも身体は小さく、華奢な住人たち。
それでも、その感情を映さない双眸には凄まじいまでの圧力を感じました。
そしてそれが、彼らが持っていなかった『強さ』なのでは? とも思います。
彼らが今、こうしてわたしに対して向けている圧力はきっと、エルネスト殿下の……。
今にもこちらを襲ってきそうなほどの戦意。
でも、すぐに彼らの王様が羽を揺らします。
とても澄み切った鈴のような音が響くと、周りにいた住人たちは戸惑ったように彼の方に向き直りました。
そこで気づくのです。
ああ、この鈴の音が彼らの言葉なのだ、と。
緊張にも似た彼らの戦意が喪失していたのは本当に一瞬で、その場にいる住人たちはすぐに身体を強張らせ、何かを感じたのか天を仰ぎます。
灰色の空がゆっくりと黒く染まろうとしていました。
身体にまとわりつく悪意の塊のような気配。それがじわじわと空を侵食していきます。
その場にいた住人たちは、鋭く声を上げたようでした。
怯え、逃げ出す住人たちも少なくはありません。
でも、王様の周りにいた限られた住人たちは、その細い身体を鼓舞するかのように震わせ、甲高い鈴の音と共に空へと向かっていったのです。
白く細い身体。それが、空に広がる黒い海を切り裂こうとします。
薄く脆そうな彼らの羽が、黒い闇を切り裂くたびに白い光が弾けました。それは爆発のようでした。
小さな爆発が空中のいたるところに弾ける様は、とても美しく幻想的です。
でも。
鈴の音は時折、悲鳴らしき音に変わります。
空から砕け散った彼らの身体が地面へと降り注ぎ、地面に触れた瞬間に雪が溶けるようにして消えていきました。
でも、消えると……その触れた場所が今までよりもずっと白く、限りなく穢れのない美しさを放つのです。
まるで、彼らの死がこの世界を清めていくように。
「あの……王様」
天を仰ぎ、痛まし気に見つめていると思われる彼を何と呼ぶか、一瞬だけ悩みました。
「おうさま?」
彼はこちらをちらりと見つめ、言葉を返します。わたしという小さな存在のことを、忘れていたようでした。
「わたしは、ミアといいます」
「みあ?」
「あなた方がこちらに連れてきた、『強さ』を少しでも早く返していただきたくてここにいます」
「強さ。それはまだ返せない」
「はい、解っています」
そこで、わたしは右手を前に出しました。
その瞬間、当然のようにそこに剣の柄があります。
さっきまで肩の上に担いでいた大剣が現れて。
「だから、少しでも早く返していただくために、一緒に戦わせてください」
わたしが続けてそう言って、剣を軽く振ります。剣が空気を割く音は、少しだけ彼らの羽の音に似ていました。
「戦う?」
彼は困惑したように喉の奥を鳴らしました。
「はい、そのためにここにやってきました」
わたしは微笑み、頷きます。「わたしが眠っている間だけですが、あなた方と一緒に戦う名誉を与えてくださいませんか」
そしてそれは、アルヴィ様の願いなのですから。




