第76話 夜這いの方があり得る
中庭の隅の方に、人影が多数見えました。
その中の一人が、アルヴィ様のようでした。見覚えのある服と背中。そしてその妙に目立つ魔力の流れ。
明かりが近くにあったため、アルヴィ様の前に立っている人々の姿もかろうじて見えます。
サウル殿下と、その側近の騎士様たち。
ただ、騎士様の人数は多くなく、わたしが見て取れるのは三人の男性でした。
これから皆、眠る時間帯ということもあって、彼らの服装は簡易なもの……のはずなのに、何故かその腰には剣を下げています。
彼らは何か話をしているようでしたが、当然ながらわたしには聞き取ることができません。
その時、背後からコーデリア様の声が響きました。
「どうしたのじゃ」
「あー、びっくりした」
わたしは思わず振り向きざまにそう応えます。
エルネスト殿下の部屋は暗く、本当に僅かな明かりが彼女の身体を浮かび上がらせます。蛇の姿ではない、いつもの女性らしい体つきと、長い髪。暗闇に輝く双眸。
わたしはバルコニーの柵に手をかけたまま、彼女に微笑みました。
「コーデリア様は耳はいいほうですか?」
「耳とな?」
「はい、盗み聞きです」
と、わたしがバルコニーの遥か下に見えるアルヴィ様たちに視線を投げると、コーデリア様がわたしの隣に立って同じ方向を見下ろします。
「ふむ」
コーデリア様が眉間に皺を寄せ、沈黙します。
そして、ニヤリと笑いながらわたしに視線を戻しました。
「どうやらあの騎士ども、この部屋に押し掛けてくる予定だったらしいのう」
「押しかけてくる?」
わたしが困惑してそう返すと、彼女は小さく頷きます。
「どうも、この部屋の警備が厳重だから、外から忍び込めるかどうか窺っていたらしい。それを見とがめたお主の主人とやらが引き留めた、ということじゃろ」
「外からって」
わたしはバルコニーの柵を軽く叩きました。「よじ登る、ってことでしょうか」
「話を聞く限りはそうじゃが」
そこで、コーデリア様が低く笑い声を上げます。「ミアの肉体は、この部屋よりも忍び込みやすい場所にあるぞ。あの、何とかという髭のジジイの部屋は階下にあるからのう、そっちの方が可能性は高いじゃろうな」
「ううう」
わたしは思わず額に手を置いて、それは本当なのだろうかと悩みます。
何だか、無茶苦茶じゃないでしょうか。
「まあ、馬鹿な人間は思いつめると何をするか解らん。それにしても、本当に馬鹿じゃの」
「忍び込んで……何をするつもりだったんでしょうか……」
いえ、それは聞かなくてもある程度は予想できますけども。
想像したくはないですが、でも。
うーん。
「剣をぶら下げて、何をするつもりだったかと言われても」
コーデリア様はそこで少しだけ笑みを消し、鋭い視線をもう一度中庭へと向けました。
そしてわたしも彼女に倣います。
「何だか……厭な感じですね」
わたしはサウル殿下の姿を見つめ、軽く首を横に振りました。
サウル殿下に関しては、そんなに厭な感じはしないのが正直なところです。夢で見たせいなのかもしれませんが、彼がとても真面目な人だというのは雰囲気で伝わってきています。
でも、彼の周りにいる騎士様たちは、どこかピリピリした空気をまとっていて、アルヴィ様に対する敵意もむき出しのように思えます。
そして三人の騎士様のうちの一人、痩せ型の若い男性に思えますが、彼が一番奇妙な気配を放っていたと思いました。敵意なのか、何なのか。
敵意。
悪意?
こんなにも明確に誰かの気配を読み取れるなんて、何だか自分が自分でないようです。
いえ、確かに自分では――自分の肉体ではないのですが。
「嘘かもしれんな」
「え?」
わたしは我に返り、コーデリア様の整った横顔を見つめます。
「あの、サウル殿下とやらは確かに、お主と話をしたがっているように思える。じゃが、他の連中はそれを望んではいない。この状況を好ましく思っていないようじゃ」
「好ましく……」
「お主はそうは思わんか? 相手は一国の跡取りである王子。それが、女に惚れたとかで浮足立っているともなれば一大事じゃ」
「それはそうですけど」
「しかも、成り行きとはいえ、兄弟のように思っている他国の王子と女の取り合いになりそうだともなれば、うんざりもするじゃろ」
まあ、確かに問題ですよね。
自分の使える主人であるサウル殿下が、明らかに……どこかの村娘みたいな女の子に――。
でも、そんなに簡単に誰かを好きになるなんてあるんでしょうか。
だって、中身はアレですけど、身体はアレ……わたし、なわけで。
自慢じゃないですが、わたしは本当に平凡な、何の取柄もない女の子なわけで。
「邪魔なものは消したい、そう思うのも納得いくぞ」
コーデリア様は低い声で続けます。「サウル殿下とやらを神事に集中させるために、邪魔な娘を始末したいと思うのも理解できるじゃろ?」
「娘……ミアを、ですか」
わたしは目を細め、もう一度中庭へと視線を落としました。
剣を腰に下げた騎士様たちを。
そして、何の武器も持っていない、サウル殿下を。
その剣はサウル殿下を守るためのものなのかもしれません。でも、違うかもしれません。
でも。
「城内でそんなことをすれば、それこそ一大事ですよ」
わたしは冷静に考え、そう呟きました。
コーデリア様もそこで小さく笑い、頷きました。
「そうじゃな。だとすれば、夜這いの方があり得るか」
「それもないと信じたいです」
そして気づけば、中庭の彼らにも動きが見えました。
アルヴィ様に言われて、サウル殿下たちが城内へと戻っていくような動きです。
そこでわたしは安堵の息を吐き、コーデリア様に言います。
「あの、お腹、空きませんか?」
「ああ」
コーデリア様は一瞬だけ動きをとめましたが、すぐに苦笑と共に言葉を続けました。「そういえば何も食べていなかったのじゃな。妾はそうでもないが、お前は空腹か」
「はい。ものすごくお腹が空きました。食べ物ってもらえるんでしょうか」
コーデリア様はそこでわたしを見つめ、鋭く言います。
「部屋を抜け出そうとはするなよ、娘」
「今は娘じゃないです」
「それはどうでもよい! 妾が食事を調達してくるから、お主は部屋でおとなしくしておるがよい」
「コーデリア様、優しい」
「煩いわ! 今は妾はお主の使い魔なのでな! 命令ならば従うだけじゃ!」
「お願いします」
わたしの口元がふにゃりと緩んだ気がしました。
何だかんだ言って、コーデリア様は本当に優しいのです。口調はアレですけども。
やっぱりわたしは、コーデリア様のことが好きだと思いました。
人間じゃないのに、とても信用できる。
そしてその時。
わたしとコーデリア様の視線が同時に中庭へと向かいました。
きっと、同じ気配を感じたはずです。
それは、視線。
「うっ」
わたしが唸り、コーデリア様が鼻を鳴らします。
辺りは暗闇でしたが、サウル殿下がこちらを見あげているのが解ったからです。
サウル殿下は城の中に入る前に足をとめ、エルネスト殿下の部屋――つまり、この場所を見あげたんだと思います。
そして、運悪くわたしたちを見つけた。
この暗闇の中で。
それで。
「何だか、誤解されそうなんですが」
わたしは小さく呟きました。
そう、誤解。
暗い部屋の前で、エルネスト殿下とコーデリア様が立っているという光景。
そして、コーデリア様の今の姿は人間の女性で、しかも、その美しい身体の曲線がよく解るような服装で。
何だか、意味ありげな感じじゃないでしょうか。
それこそ、男女の……その、深い関係があるようなないような。
「カサンドラと一緒にいた時も、こんなことになった気が」
「まあ、何とかなるじゃろ」
「そうでしょうか」
「食料の調達をしつつ、アルヴィとやらも探してきてやろう。後はあの男に任せようじゃないか」
アルヴィ様にお任せすれば、確かに安心だと思います。
わたしが頷くと、コーデリア様は満足そうに頷き、再度わたしにおとなしく部屋にいるように指示してから部屋の外へと出ていきました。
そしてわたしはもう一度、中庭へと視線を落として、そこに先ほどの人影が一つもないことを確認して息を吐きます。
でも、少しだけ不安は残りました。
それは何に対してだろう、と自分に問いかけます。そしておそらく、それはサウル殿下ではなく……彼の側近である騎士様の放つ悪意。
もしも、コーデリア様がおっしゃっていたことが事実だとして。
邪魔な娘を殺そうとしていたのならば。
この今の状態で、もしミア・ガートルードの肉体が死んだら、エルネスト殿下の魂も死んでしまうのでは?
まあ、そんな状況にはならないでしょうけど。
わたしの考えすぎでしょうけど。
――ですよね?




