第71話 家族になろうって言われたの
「何言ってるの、対等じゃない」
ヴァイオレットは苦笑して、そっと首を傾げて見せました。
とても綺麗な人の仕草というのは、こんなにも目を奪われてしまうものなんでしょうか。彼女の物腰一つ一つが、とても魅力的で。
「そうかな」
アルヴィ様の声に、少しだけ奇妙な響きが含まれました。
それに気づいたのか、ヴァイオレット――いえ、ヴァイオレット様は不思議そうに彼を見つめ返します。
そして、こう言いました。
「あんまり無茶しないでよね」
「無茶?」
「そう」
ヴァイオレット様はそこでアルヴィ様のすぐ目の前にまで歩み寄り、軽く睨みつけます。「前から言ってるけど、あなたは魔術師には向いてない。それなのに」
「師匠はそんなこと言わないけど」
「あなたに甘いからね、あのお師匠様は」
「君にも甘いよ、あの師匠は」
――お師匠様。
アルヴィ様にもお師匠様がいる。それは言われてみれば納得なのですが、今のアルヴィ様のそばにはその影すら見えません。
どんな方なのだろう、と思った時。
目の前の光景がゆっくりと変わります。
今は、どこか知らない部屋の中にいます。
曖昧にぼやける部屋の中で、二人は椅子に座っていました。
そして、アルヴィ様のそばには描きかけの絵がイーゼルに立てられていて。
「絵師にでもなればいいのに」
椅子に座ったままで、ヴァイオレット様が笑います。
そう言われて気づくのですが、近くにあるテーブルの上には絵を描くための筆やパレットが置かれています。すぐ直前まで、描いていたのだろうと思われる、雑然とした並び方で。
「趣味を仕事にするのは違うと思うよ」
アルヴィ様は眉間に皺を寄せ、困ったように笑います。そして、いつの間にか彼らの足元にルークの姿が現れ、二人の会話に加わります。
「ご主人、俺様の美しいこの姿を描いて売りに出せば、きっと一攫千金が」
「無茶言うな」
アルヴィ様が目を細め、ルークを睨みつけます。ヴァイオレット様を見つめている時とは明らかに違う、言葉では言い表しにくい……表情。
何だか、表情豊かなアルヴィ様は珍しいなあ、と思います。
楽し気な表情も、不満げな表情も、今とは全然違ってはっきりとしています。
――きっと、これが本当のアルヴィ様なんだろう、と思います。
そして。
胸が、何だか苦しくなります。
自分の中にも、自分ですら解らない感情の動きがある……ような気がして。
気づくと、目の前がぼやけて白くなっています。
夢から醒めてしまうのだろうか、と慌てて意識を保とうとします。
もう少し、目の前の光景を見たかったから。
すると、白くぼやけた光景がもう一度はっきりと浮かび上がってきました。
でも、今度の光景は今までとは違ってアルヴィ様がその場にはいらっしゃいませんでした。
「家族になろうって言われたの」
ヴァイオレット様が少しだけ目元を赤く染め、嬉しそうに両手の指を自分の胸元で絡め合わせながらそう言いました。
「家族?」
そう返したのは、わたしが今まで見たことのない男性でした。
銀色の短い髪の毛と、穏やかな顔立ち、目元に笑い皺のある、年配の男性です。
その男性はその部屋にある本棚の前に立って、ヴァイオレット様の方を見やり、優しく笑いました。
「おめでとう、と言うべきかな。あの問題児がよくそんな言葉を言ったものだ」
「でしょ?」
ヴァイオレット様は落ち着かない様子でその場をうろうろと歩き回り、その男性の顔を見ないまま続けました。「お互い、家族なんていないし、その……ね、二人きりの家族になろうって」
「二人きり、か」
男性は苦笑します。「そこに私は含まれていないようだな。一応、君たちの親代わりだったろうに」
「お師匠様は別なんでしょ、きっと」
「冷たいね」
「そんなことない」
ヴァイオレット様はきゅ、と唇を噛んで彼を見上げます。
その目は彼を睨んでいたはずですが、すぐに緩んでいきます。喜色満面といった彼女は、本当に輝いている存在だと思います。
そして、ふと力強く右腕を目の前に上げ、その拳を握りしめて続けるのです。
「今までは、わたしたちはグランヴィール様に守ってきてもらった弱い存在だったけど、今度はお互いがお互いを守り合う存在になるの。でも、グランヴィール様……お師匠様は、さらに上の存在になるわけ」
「さらに上?」
「保護者以上の存在?」
「物は言いよう、と言うけれど。君が何を言いたいのかよく解らない」
「わたしも解ってないから大丈夫!」
「そう」
彼はそこで苦笑して、少しだけ考えこみました。
それから、ゆっくりと口を開きます。
「どちらにしろ、忠告しておくよ。アルヴィは敵を作りやすい人間だ。自分が望む望まないは別として、目立つ人間というのは攻撃されやすい。でも、あれはまだそれを理解できていない。頑張れば頑張るほど、報われると信じている。でも、それは間違いなんだ」
「何となく……言いたいことは解る、気がする」
ヴァイオレット様は複雑そうな色をその瞳に灯し、苦し気に息を吐き出します。「でも、できるだけわたしはフォローしようと思う」
「ああ、君はそうだろう」
彼はそこで優しく微笑み、ヴァイオレット様の肩に手を置きました。「だが、君もアルヴィに似ている」
「似ている?」
「一人で頑張りすぎるきらいがある」
「んー……」
「困ったことがあったら、相談しなさい。二人きりの家族、ということに反論はないけどね、たまには私の存在も思い出してくれないか」
「忘れるわけないじゃない」
そこで、ヴァイオレット様は呆れたように、そして明るく笑います。
とても無邪気な笑顔で。
でも。
「忘れちゃってた、のかな」
突然、目の前が暗く染まりました。
何も見えない。
その中で、ヴァイオレット様の苦しそうな呼吸と共にその声が響きます。
時折、光が目の前で弾けます。
一瞬だけの光景が、まるで爆発するかのように目の前を踊り、狂い、姿を見せたかと思えば消えていく。
「レストリンゲの実を食べたせいかな、体調が少し……」
アルヴィ様が苦し気に額を手で押さえ、ふらつく足元を気にしながら歩いている光景。
「大丈夫、見張っててあげるから休みなさいよ」
アルヴィ様の手を取って、支えようとするヴァイオレット様。
そして――暗転。
悲鳴。
何かが空を切る音。
辺りを見回しても、ただ闇だけがあって。
「下がりなさい」
荒い呼吸で、苦し気にそう言ったヴァイオレット様の声だけが聞こえます。
「これは命令なのでな。痛みは一瞬で終わる。悪く思うなよ、娘」
知らない男性の声が響いて。
そして。
暗闇を切り裂く白い光が弾けて。
「……何だ、これは」
アルヴィ様がどこかの扉を開けてそう呟いていました。
そこは、どこかの家。お屋敷の中。
アルヴィ様は外に出ようと玄関の扉を開けたのだと思います。その目の前に、木々が生い茂る庭が広がっています。
そして、アルヴィ様の足元の地面は。
争ったような痕跡。複数の足跡。
そのそばに、血に染まった細身の剣が突き立てられています。
転がっているわけではなく、誰かがそこに……地面に突き立てたと一見して解る光景が。
「ヴァイオレット」
アルヴィ様が小さく囁いて、その剣の柄に手を伸ばして。
また、暗転。
「アルヴィ、相手が悪すぎる」
ヴァイオレット様がお師匠様、グランヴィールと呼んでいた男性の声が響いています。
「ご主人」
ルークの慌てたような声も。
「僕はね」
アルヴィ様の声がそれに続いて。
暗闇の中で低い笑い声が不気味に響いて。
「剣は使い慣れていない。だから……きっと、痛いと思うよ」
気づけば。
真っ白な天井が見えました。
部屋の中は明るくて、まだ夢が続いているのかと思いました。
空気まで白く見えるような気がして、わたしは何度も瞬きを繰り返します。そして、今、自分が見ている光景は現実の世界なのだと理解します。
理解はしますが――酷く疲れ切っていて、わたしはベッドから起き上がることができませんでした。
眠ったのに眠っていない。
そんな気がして、また目を閉じようとします。
「どうした、ミア。うなされておったぞ」
そんな声がすぐ耳元から聞こえて、わたしはのろのろと瞼を押し上げました。すると、枕元にコーデリア様の小さな蛇の姿があるのが解りました。視界の隅で、その身体が身をくねらせ、ぐぐぐ、と巨大化します。
そして、ベッドが軋む音が響いて。
コーデリア様がすぐそばに腰かけ、わたしを見下ろしてきました。
「顔色も優れんな。大丈夫か」
「……夢を見ました」
わたしは天井を見上げたまま、そう返します。
そう、夢だと思います。
夢、のはずですが。
わたしはコーデリア様に目をやって、言葉を探します。
その時。
「おはよう!」
と、声が響いてきます。
声の主――カサンドラがエルネスト殿下の部屋の扉を開けて、こちらに歩いてくる気配が感じられます。その足音に続いて、もっと小さな足音も。これはきっと、リンジーでしょう。
でも、他の足音が聞こえません。
二人だけ?
そんなことを考えながら、ぼんやりとベッドに横になったままでいると。
「あらやだ、事後?」
わたしとコーデリア様を見て、カサンドラが低い笑い声を上げました。
――事後、って何でしょうか。




