第68話 いつまで正座してんのよ
「だってほら、女にしか興味ないって聞いたら諦めると思ったし」
「すみません。あの、わたし」
「ああいう真面目な男ってのは、女の処女性も気にするでしょ? やることやってるって言ったら、興ざめするというか」
「兄と慕っている男性の婚約者だったら、諦めるんじゃないかと」
「そりゃ、女同士だったら貫通してるかどうかってのは怪しいけど」
「か。ちょ、何言ってるんですか!?」
「アンタこそ、何で正座してんのよ? アンタが正座してるから、アタシもしなきゃいけないって感じになってるじゃない!」
「こ、これは、正式なお詫びというか謝罪というか、誠意を見せるための」
「何が誠意よ、あああ、もう、足がしーびーれーたーあぁぁ!」
「じゃあ、あなたは別に正座しなくてもいいじゃないですか!」
「だからそれはアンタがね!?」
「うるさいよ」
アルヴィ様が低く、そして笑顔のままでおっしゃいます。
怖い。
わたしたちはアルヴィ様の目の前で、二人並んで正座して説明という名の言い訳をしているところです。
先ほどは混乱したあの部屋の空気を、エウゲン様が救ってくださいました。
メリーライネン王国の国王陛下に挨拶を済ませていないというサウル殿下とその側近の人たちを、エルネスト殿下の部屋から連れ出してくれました。だから、今はエルネスト殿下の部屋にいるのはわたしたちだけです。
意識を失ったミア――エルネスト殿下をベッドに寝せて、わたしたちはアルヴィ様に何とか許してもらおうと努力していたところなのでした。
わたしはアルヴィ様の前に正座していたのですが、それを見たカサンドラが同じように正座したのは、わたしのせいじゃないはずです。
ですよね?
そこに響いた声。
「女の子が好きなの?」
いつの間にか、カサンドラの前にリンジーがわたしたちと同じように正座していました。
「え?」
カサンドラが驚いたように彼女を見つめます。
すると、リンジーが酷く真剣な眼差しで彼女を見上げ、その眉根を寄せました。
「キャシーは……女の子が好き? その……ミアを?」
「何言ってんのよ」
カサンドラが慌てたように首を横に振りました。「アレは嘘に決まってるでしょ? そういうことにしておけば、あの男が諦めると思ったから」
「不思議だったんだけど……キャシーって、男の人、苦手だよね?」
「そりゃね。でも、それとこれとは」
「ミアじゃなくても……他に好きな女の子がいるの? わたしの存在は迷惑?」
「はあ? 何言ってんの?」
「わたし、足手まといでしょう? わたしがいたらキャシーは自由になれない」
「あのね、リンジー」
「痴話喧嘩は後にしてくれないか」
そこでアルヴィ様がその瞳に冷たい光を輝かせ、低く囁きます。
でも、カサンドラはあまりアルヴィ様のその様子を気にしていないようです。いつもとほとんど変わらない様子で、僅かに肩を竦めて首を横に振りました。
「痴話喧嘩って何よ」
「君のことだから、その子が大人になったら襲うつもりかもしれないけど、僕らにとってはそれはどうでもいいことなのでね」
「襲うって何よ! アタシたちは友達だし!」
「まさか、大人にならないうちに襲うつもりはないだろうけど、もしそんなことになったら全力で軽蔑するから」
「変なこと考えないでよ! リンジーにそんなことするわけないでしょ!?」
「へえ」
「信じてないでしょ」
「信じてもらえると思ってたのかい。意外だよ」
わたしはそんな会話をただじっと聞いていました。
いつの間にか、ルークがわたしの前にやってきていて、いかにも撫でろと言いたげに腹を見せてくるので、さりげなく彼を撫で始めます。
ごろごろ鳴るルークの喉が、何だかこの場の空気を和ませる気がしました。
「で、ミア」
アルヴィ様の視線がわたしに向けられると、反射的に頭を下げて謝罪の言葉を口にします。
「申し訳ありません。勝手なことをしてしまいました」
「理解していればいいよ。悪気はなかったんだと解るからね」
――本当でしょうか。
わたしが恐る恐るアルヴィ様を見あげると、彼は薄く笑ってため息をこぼしたところでした。
――失敗しました。
お役に立てれば、と思って言ったことだったのに。
「まあ、女の子にしか興味ない、という話よりは現実的だろうね。エルネスト殿下の婚約者……とまではいかなくても、想い人くらいにしておいた方がいいだろう。ここまで話が進んでしまった以上、何とか辻褄を合わせるよう、考えないと」
「申し訳……」
「ミア」
そこで、アルヴィ様はこれ以上何も言うなと言わんばかりに手を上げました。だから、わたしも唇を噛んでただ次の言葉を待ちました。
「後は僕が何とかするから、君は最初の予定通り、沈黙の誓いの続きをしていてくれないか。もう、面倒だから君はこの部屋に閉じこもっていてくれ。そしてミア……エルネスト殿下は、体調不良で寝込ませておくことにする。サウル殿下が接触できないようにね」
「……はい」
わたしがそう言って、また頭を下げると。
「もう落ち込むのはもうやめてくれ。いいかい、ミア」
そこで、アルヴィ様がわたしの前に膝をついてわたしの顔を覗き込むような仕草をしてみせました。ただ、わたしが俯いていたせいで、結局はそうならなかったのですが。
「君は頼むから、カサンドラの影響を受けて足を踏み外さないようにしてくれ」
「何よそれ」
すぐにカサンドラがアルヴィ様の言葉を聞きつけて鋭く声を上げました。
アルヴィ様は顔をそちらに向け、小さく笑います。
「カサンドラ。君はミアよりずっと大人なんだから、もっと冷静に行動してくれないか」
「冷静……充分冷静でしょ、アタシ」
「ルーク」
ふと、アルヴィ様が意味深に微笑み、わたしの手のひらの下で床に寝そべっているルークに声をかけます。「彼女の足を噛んでやって。お仕置きということで」
「にゃ」
仕方ないな、と言いたげにルークが気だるげに頭を上げます。
そして。
「ちょ、何よ! やめて、アタシ、足がしびれて……あああああ!」
そんなカサンドラの悲痛な叫びが響きましたが、わたしもリンジーも、何もできずに目をそらしただけでした。
「とにかく、僕はこれからサウル殿下の様子を窺ってくる。君たちは絶対にこの部屋から出ないようにね」
アルヴィ様はそうわたしたちに言い残し、ルークを連れて部屋の外に出ていってしまいました。
そして、この場に残されたわたしたちは、それぞれ顔を見合わせてため息をついたのです。
「いつまで正座してんのよ」
カサンドラが床に寝転んだ状態で、わたしにそう言います。ぐったりと疲れた表情で、乱れた髪に手をやった彼女は、やはりとても色っぽい女性だと思います。
わたしはそこで足を崩し、ゆっくりと立ち上がります。
正座にはそこそこ慣れているわたしでも、若干足がふらつきます。でも、カサンドラほどの状態にはなりません。
まあ、今のわたしはエルネスト殿下の肉体ですから、正座に慣れていないはずなんですが……きっと、身体を鍛えている方なのですから、一般人よりは強靭な足をしていらっしゃるのでしょう。
近くにあった椅子に腰を下ろし、わたしはカサンドラとリンジーに目をやって微笑んで見せました。
「色々……すみません」
わたしのその言葉に、カサンドラも苦笑を返します。
「お互い様でしょ?」
「ええ、まあ……」
「でもさあ?」
「はい」
「アンタ、どうしちゃったの?」
「え?」
わたしが眉を顰めて彼女を見ると、カサンドラはやっと上半身を起こし、自分の足をさすりながら立ち上がります。
「まあ、他人のことなんか、知ったことじゃないけど」
と、カサンドラがわたしの前に立って、急にわたしの頬に手を当てました。
「あ、あの」
「でも、楽でしょ?」
「え、何が、ですか?」
わたしは困惑して変な顔をしていたと思います。椅子に座ったまま彼女を見上げ、そして彼女はわたしを見下ろして。
「本気で『好き』という感情がなくなると、何をしても心に響かない。傷つかない。楽なのよ、それ」
「え?」
「シュタインに心を奪われてしまった時は、本当に楽だった。どんな悪いことをしても、何も気にならなかった。元に戻ってしまった今は、ちょっと違うけど」
「どういう、意味ですか?」
わたしはいつの間にか、自分の胸を押さえていました。
そういえばわたし――そんなに苦しくない。
アルヴィ様に迷惑をかけてしまって、あんな風に言われても。叱られても、何も気にならない。
いえ、そりゃあ、少しは――でも。
「随分、簡単な魔術をかけたのね? いいえ、魔術なんてもんじゃない、自己暗示のようなもの?」
彼女はその白くて細い指先で、わたしの胸を指し示します。「あなた、もうあの男のこと、好きじゃないでしょ?」




