第66話 サウル殿下との再会は
「記憶って凄いですね」
わたしは剣を握りしめた格好でため息をつきました。
エルネスト殿下の記憶をわたしに複写した、とアルヴィ様はおっしゃいました。
だから、エウゲン様を前に剣を握った瞬間に、どう構えるべきか、どう薙ぎ払うべきか、受けるべきか本能が解っていたのです。
エウゲン様との手合わせはあまりにも簡単に終わりました。
城の中庭に出て、人払いをしての練習。
もちろん、その場にはアルヴィ様はもちろん、カサンドラもリンジーもルークもいます。
コーデリア様はどこにいるか解りませんでしたが、きっと近くにいると思われる気配だけが感じられます。
エウゲン様は最初、わたしに神事で行う手合わせのための型の説明をされたのですが、それは不要のようなものでした。言われると同時に理解し、剣を言われた通りに振れるというのは心地よいと感じます。
改めて感心したのは、男性の肉体というのは、こんなに力強いということ。自分の肉体が強靭であるからこそ、振り回す剣が軽く、まるでそれは自分の身体の一部のように馴染むという感覚も不思議なのですが。
でも。
これだったら、神事での役目も何とかなりそうだと安堵しました。
自然と口元に笑みが浮かび、エウゲン様に礼儀正しく手合わせの後の礼をすると、エウゲン様もそれに返礼し、満足げに微笑んでくださいました。
その後は、エウゲン様による『エルネスト殿下としての』歩き方とか、表情作りなどの練習。
どちらかとしては、こちらの方が難しく、時々、それを見ていたルークからからかうような声が飛んできたりして集中力が欠けたりもしました。
そして、時折ミアが――エルネスト殿下が心配そうにわたしのそばに寄りそうようにして声をかけてくださるのも、なかなか複雑な気分なのです。
そしてその日の午後。
わたしたちがエルネスト殿下の部屋に戻り、午後の休憩でお茶を飲んでいた時のことでした。
エウゲン様はわたしたちにだけ関わっているわけにはいかないようで、国王陛下のところに行かれてしまったので、何となくこの場の空気は緩んでいます。
リンジーが出されたお菓子に目を輝かせているのを、カサンドラがすぐそばで見守るという光景。
のどかな時間、と言えるでしょう。
しかし、その静かな時間は長くは続きませんでした。
城内に少しだけ慌ただしい雰囲気が漂った気がして、その場にいるアルヴィ様を見つめると、どうやらそれがわたしの勘違いではないと気づきます。
アルヴィ様は飲んでいたお茶のカップをテーブルに置いて立ち上がると、バルコニーへと足を向けました。
「どうやらお出ましのようだよ」
アルヴィ様の声が響いて、わたしもその後を追ってバルコニーへと出ます。
柵に手を置いて見下ろすと、そこには城門から入ってきた見慣れぬ服装の騎士様たち、馬が見えました。
その騎士様たちに取り囲まれるようにして立っている男性。
アッシュブロンドの短い髪の毛の男性。
そして、その彼はこちらの視線に気づいたのか、ふと顔を上げました。
夢の中で見た少年が、青年になった姿でそこにいました。
サウル・クラーキン殿下。
おそらく、二十歳前後だと思われる彼。
彼はすぐにわたしに――エルネスト殿下の姿に気づいて軽く手を上げます。一瞬、わたしはどう反応したらいいのか解らなかったのですが、同じように手を上げて挨拶の代わりにしました。
「……彼は真面目な人間です。真面目過ぎると言っても過言ではありません」
わたしの背後から、ミアの声が力なく響いてきました。
わたしとアルヴィ様が彼女の方へ振り向きます。
すると、彼女は眉根を寄せて困ったように笑いました。
「きっと、我々が入れ替わっているということを知れば、それを隠すような器用な嘘はつけないでしょう。正直なところ、私も嘘をつきとおす自信はありません」
「つまり……どうやっても彼に協力は仰げないということですね? 一緒に口を閉ざしてもらうわけには?」
アルヴィ様はミアに静かにそう訊きます。
ミアは躊躇いながらそれに頷き、小さく言葉を続けました。
「私が頼めば努力はしてもらえるでしょう。でも」
ミアが苦し気に顔をしかめ、かろうじて笑みのようなものを口元に浮かべて見せます。「クラーキン王国の彼の側近は、真面目な人間だけがそろっています。神事に関わるのが私ではないと知れば大騒ぎにするのが予想できます。我々は確かに兄弟国であり、上手く国交を続けてきたのですが、それでも……どちらかが上に立とうとするのは仕方のないことなのかもしれません」
「なるほど、理解しました」
アルヴィ様はそこで苦笑します。「お互い、弱みを見せたくないし、握られたくない。でも、相手国の弱みは握って上に立ちたい、微妙なものがあるということですね」
「……ええ、そう……ですね」
ミアは目を伏せ、肩を落として言います。「私は彼に――隠し事はなしだ、と言ったことがあります。それなのに、今は私が……こんな嘘をつく羽目になるとは思わず」
「しかし、これは仕方ないことでしょう?」
「でも」
「殿下。大丈夫です。何とかなります」
アルヴィ様は酷く簡単にそう言いましたが。
それを改めて見上げたミアの瞳には、不安が渦巻いていたようでした。
そして。
「……あまり、私は彼に関わりたくありません。できれば、どこかに隠れていたいくらいです」
ミアがそう言うと、アルヴィ様は頷きました。
「そうですね。殿下は今、僕の弟子ということになっていますし、弟子は弟子たちだけで固まっていた方がいいでしょう。……カサンドラ」
と、そこでアルヴィ様がカサンドラとリンジーの方へ声をかけると、カサンドラが軽い口調で返してきました。
「いいわよぉ。アタシたち、どうせ何もしないで遊んでるだけだし。引き受けてあげる」
「わ、わたしたちでよければ」
リンジーもぎこちなく微笑んで見せて。
でも。
そうは簡単に話が運びませんでした。
「殿下」
そこで、部屋のドアが叩かれる音がしました。
ドアの向こう側から、エウゲン様の声が響いてきます。
「サウル殿下がお会いしたいと、こちらにいらっしゃっております。部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
「え」
ミアがおろおろと辺りを見回して、慌ててカサンドラたちのところに駆け寄りました。怯えたようにカサンドラの手を握り、どうしたらいいのかと言いたげな瞳をアルヴィ様に向けました。
アルヴィ様はそこでわたしに小さく言いました。
「ミア、大丈夫かい? 君は一応、神事の成功を祈るための『沈黙の誓い』を立てていることにしてある。きっと、エウゲン殿もそのようにサウル殿下に伝えてくださっているはずだ。だから君はただ黙って、静かにしているだけでいい。話は全部、僕がするから」
「はい」
「それでは、殿下」
わたしが頷くとすぐに、アルヴィ様はミアに目をやって、短く言いました。「隣の部屋で、彼女たちと一緒に静かになさっていてください」
「ははははは、はい」
彼女のそのうろたえ方は、何だか親近感がわいてしまうようなもので。
カサンドラにしがみつくかのようにして隣の部屋に身を隠すミアを見送ったアルヴィ様は、そこでやっとドアの方へ声をかけました。
「どうぞ、お入りください」
「久しぶりだ、兄者」
部屋に入ってきた彼――サウル・クラーキン殿下は、控えめな微笑をわたしに向けてそう言いました。
そのすぐ横には、エウゲン様とサウル殿下の側近と思われる騎士様が控えています。
エウゲン様の表情は少しだけ緊張していて、この場の空気を僅かにぴりついたものにしていた気がします。その気配に気づいたのか、サウル殿下がエウゲン様に不思議そうな目を向けました。
そこで、アルヴィ様が口を開きます。
「申し訳ございません、サウル殿下。お聞きになっていらっしゃるかもしれませんが、エルネスト殿下は今」
「いや」
そこで、サウル殿下がそれ以上言うな、と言わんばかりに手を上げてアルヴィ様の言葉を遮りました。「沈黙の誓いなど、兄者らしくない。久しぶりなのだから、ゆっくり話をしたいと思ってきたんだ」
「サウル殿下」
エウゲン様がそこで苦々しい口調で何か言おうとした時でした。
「ところで、隣に誰がいるんだ?」
サウル殿下がふと動きをとめ、耳を澄ませるような仕草を見せつつ隣の部屋に続く扉の方に目をやりました。
――鋭い。
わたしが眉を顰め、アルヴィ様を見つめると。
「僕の弟子です、殿下」
「弟子? そういえばお前は……」
――誰だ?
と、訊こうとしたのかもしれません。
サウル殿下は一瞬だけアルヴィ様を見つめた後で、小さく笑って首を横に振り、隣の部屋へと足を向けたのです。
わたしが慌ててそれをとめようと手を伸ばした時、アルヴィ様が困ったような表情でわたしを見つめます。それは、何もするなと言っているようなものでした。
でも、アルヴィ様もどうしたらいいのか悩んでいるようで。
「盗み聞きか?」
サウル殿下はそう言いながら勢いよく扉を開けました。
その扉のすぐ前で、リンジーがこちらの気配を窺って立っていたようでした。サウル殿下はそのリンジーの気配に気づいて、気になっていたのかもしれません。
急に扉が開いて、ぎょっとしたような目でサウル殿下を見あげたリンジーは、慌てて踵を返して部屋の奥の方にいたカサンドラの方へ逃げていきました。
「全くもう」
カサンドラが呆れたように笑い、リンジーを庇うように腕を伸ばして自分の身体の背後へ押しやろうとします。
しかし、その後ろにはミアが身体を小さくして隠れていたせいで、リンジーの隠れ場所はありませんでした。だから、リンジーがミアに抱き着いて、サウル殿下の視線から少しでも逃げようとする、無駄な動きがありました。
そして。
ミアは青白い頬を見せて今にもその場に倒れこみそうなほど、身を強張らせています。リンジーに抱き着かれても、ただ身体を硬直させるだけで。
まるで、今にも倒れるんじゃないか、と不安になるくらいに。
「……弟子?」
サウル殿下がそう呟いて、動きをとめました。
何か、気になったかのように。
何か、意外なものを見たかのように。
何か――様子が。
「ええと」
カサンドラが強張った笑みを見せ、慌ててその場に膝をついて頭を下げます。
必然的に、リンジーもミアもカサンドラに続いて膝をつこうとしました。
「……あ」
ミアが一瞬だけ足をよろめかせて、倒れそうになったのをサウル殿下が手を伸ばして支えます。ミアが小さな悲鳴らしきものを上げ、必死にその手を振りほどこうとして。
「君の名前は?」
サウル殿下が緊張した様子でそうミアに訊きました。




