第65話 夢の中での会話
その夜、わたしは夢を見ました。
エルネスト殿下の部屋で寝ることになったわたしは、そのふかふかのベッドと掛布団に包まれてあっという間に眠りについたのだと思います。
枕元にはコーデリア様がなぜか蛇の姿のまま丸くなっていて。
彼女に守ってもらえる――というのも安心の一つ。
だから、目を閉じたら気づけば――。
「……あの、兄者?」
そんな声が響いた時、目の前は真っ暗でした。
でも、すぐに目の前が明るくなります。それは、わたしが――この身体の持ち主が、目を開けたからです。
椅子に座り、床を見下ろすような格好で目を閉じていた『わたし』は、少しだけゆっくりと顔を上げてその声の方へと視線を投げて言いました。
「どうした、兄弟」
その声には、若干の聞き覚えがあります。
そう、『わたし』の声は。
それは、エルネスト殿下のもののように聞こえました。
ただ、わたしが知っている声よりも少年らしさを持った、穏やかな声でありました。
「ごめん、その、母上のことは残念だった、いや、残念でした」
そう気遣うような目でこちらを見ているのは、まだ十代前半くらいの少年です。少しだけ青みがかった金髪、灰色の瞳。気難し気に眉間に皺を寄せた、真面目そうな顔立ち。
その彼は、どうやらわたし――エルネスト殿下の弟? なんでしょうか?
「気を遣うな。大丈夫だ」
「でも」
「なあ、兄弟。いや、サウル。母上の葬儀に足を運んでくれたのは感謝するが……お前にそんな口調は似合わないな。敬語とかやめてくれ」
サウル。
サウル・クラーキン。
確か、クラーキン王国の第一王子の名前だったと思います。
それが目の前にいる彼?
何だか目の前がひどくぼんやりしています。
それは夢だからでしょうか、周りの光景があまりはっきりしません。ただ、さっき見えたこの部屋の床は、エルネスト殿下の部屋に敷かれた絨毯のようにも見えました。
――つまり。
「似合う、似合わないの問題じゃないと思う。こんな場合だからだ」
若干、彼――サウル殿下は不満そうに唇を引き絞ります。そうすると、真面目そうな顔立ちが一層際立って見えました。
「お前らしいな、兄弟」
わたしが笑うと、彼が少しだけ困惑したように目を細め、そして小さく訊いてきます。
「本当に、大丈夫なのか?」
その問いの返事までに、少しだけ間が開きました。
だからでしょうか、サウル殿下の目に苦痛のような色が浮かびます。
そういえば、この国の国王陛下にはお会いしたのですが、王妃様のことについては何も聞きませんでした。
葬儀。母上。
そういうこと、なんでしょう。
「大丈夫だと言ったろう」
そう返したエルネスト殿下の声は精彩を欠いていました。
明らかに、『嘘』だと解る声。
だから、サウル殿下はこう返してきます。
「兄弟に隠し事はなしだと言ったぞ、兄者」
「……そういや、言ったな」
そこで、エルネスト殿下は苦笑して椅子の上で胡坐をかきました。「血はつながらないが、縁というのは面白いな」
「兄者」
「父上にな、男が泣いていいのは親兄弟が死んだ時だけだと言われた」
「……陛下に?」
「だから、泣いたよ。もう、充分すぎるほどに」
「……そうか」
そこで、サウル殿下が近くにあった椅子に腰を下ろし、こちらを見つめなおしてきます。とても真剣な眼差しです。そして、何も言おうとはしませんでした。そしてその沈黙は、それほど居心地悪く感じませんでした。気心の知れた者同士の沈黙。
「父上に、こうも言われた。失うのを恐れるのは、愚かなことだ、と」
やがて、エルネスト殿下が口を開きます。
「……愚か、だろうか」
「誰もが死を受け入れる時がくる。それは避けられない」
「それは……そうだけど」
「父上もやがて死ぬ」
その言葉は静かに部屋に響き、そしてゆっくりと空気に溶けていきます。
サウル殿下は口を閉じたまま、エルネスト殿下を見つめるだけで。
「いつか、俺がこの国の頂点に立つ時がくる。父上が死なないまでも、代替わりもあるからな」
エルネスト殿下はそこで小さく声を上げて笑ってから、自分の両手を前に出して開きます。「多くを望めば、守り切れないこともある。手に余るものを望めば、足元をすくわれる。それでも、小さなものだけを手に入れて満足するな、と言われた。強くなり、この国を、大切なものを守れ、と。父上らしい、単純な言葉だ」
「単純……だけど、いい言葉だと思うよ」
「だろ?」
そこで、エルネスト殿下は明るく笑います。その笑い声は無邪気な、と言えるでしょう。
そして、サウル殿下も安堵したような笑みを浮かべ、小さく頷きます。
エルネスト殿下はそこでさらに身を乗り出して、サウル殿下に言います。
「なあ、兄弟。兄弟国としてそれぞれ立場はあると思う。それでも、これからもずっと上手くやっていこう。俺はお前を信用してる」
「僕もだよ、兄者」
サウル殿下はそこで呆れたように眉根を寄せます。「何を今更、改まって言う必要がある?」
「何度でも言うさ。言葉にするのは重要なんだ」
「そうかな」
「そうだとも」
そして――彼らの声が遠く聞こえるようになって。
わたしはさらに深い眠りに落ちて。
目が覚めると、すっかり部屋の中は明るくなっていました。
「悪夢を見た?」
朝食の場で、アルヴィ様が開口一番にそう訊いてきました。
昨夜と同じく同じ顔触れで、エルネスト殿下の部屋の中での朝食です。
朝食ですから、昨夜に比べると随分とシンプルな料理が並んでいました。焼き立ての香ばしい香りを放つ、硬めのパン。燻製肉と新鮮な卵のオムレツ。野菜と豆のサラダ、野菜のシンプルな味が際立つ冷製スープ。
ミアとエウゲン様が椅子に座り、食事を前にしたままこちらの様子を窺うような視線を向けています。
「悪夢ではありません」
わたしはアルヴィ様にそう返し、そっと首を傾げて見せました。「わたしが悪夢を見そうだと思われたんですか?」
「まあね」
アルヴィ様はそこで小さく笑い、空いている席に腰を下ろしました。
そして、眠そうな表情のリンジーと、こちらの話を興味深そうに聞いていたカサンドラもそれに続いて椅子につくと、わたしも最後に腰を下ろしました。
ルークはアルヴィ様の肩の上から膝の上に滑り降りると、燻製肉と卵に熱い視線を送っています。でも、まだ誰も食事に手をつけようとしないので、じりじりとした気配を放ちつつ、そこでおとなしくしています。
「まだ、白銀の世界の戦いは始まってないらしい。穢れと戦うようになると、少なからずこの国の人間は影響を受けるだろうね。特に、君は白銀の世界の者たちに触れられた存在だから、一番危険だと言える。穢れの影響は、だいたいが悪夢という形になって出ることが多いらしい。僕も人から話だから断言はできないけどね」
アルヴィ様がそう言って、わたしはなるほど、と頷いて見せます。
「わたしが見た夢は――おそらく、エルネスト殿下とサウル殿下の過去の……断片のようなものでした。それが正しい光景かどうかは解りませんが」
「……どんな、夢でしょうか」
ミアが静かに口を開きます。
真剣な眼差し。
わたしはそれを見つめ返し、昨日の夢を説明しました。
「それは過去、確かにあったことです」
説明を聞き終えると、ミアは背筋を伸ばし、礼儀正しく言いました。「確かに私は、サウル……殿下とそのような会話をしたと記憶しております」
「つまり……実際にあったことを夢に見る、ということでしょうか?」
わたしがそう言いながらアルヴィ様を見つめると、彼は優しく笑って首を横に振りました。
「真実ばかりじゃない。白銀の世界で戦いが始まれば、やがて悪夢に変わるだろうけど……そうなったら、虚実が入り混じってくる。だから、君はその夢を信じてはいけない。一歩引いて、冷静になるんだ。どんな夢を見たとしても、それに惑わされてはいけないよ」
「……はい」
わたしはその言葉に頷きます。
「とにかく、食事を済まそう」
エウゲン様がそこで口を開きました。「食事の後、そこの者には神事の演習をしてもらう」
と、彼の視線がわたしに向けられます。
「はい、頑張ります」
わたしが静かにそう応えると、ミアが気づかわし気にわたしに声をかけてきました。
「お怪我をなさらぬよう」
「ありがとうございます」
わたしは彼にそう笑顔を向けて、ちょっとだけ、この構図ははたから見ると変だな、と思って苦笑しました。




