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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第62話 不安なわけじゃない、はず

 棚の中に無造作に置いてあったのは、両手の中にすっぽり収まりそうな、白い球体です。

 それが、球体を受け止めるスタンドのようなものに乗っていて、うっすらと光を放っていました。

 滑らかな表面は白い――と思いましたが、若干、色が少しずつ変化しているようにも思えました。

 まるで、雲が風に流れていくような、マーブル模様の渦。触れていないのに、その渦がゆっくりと動きます。

 まるで、本当の雲のように。

 それはとても美しい宝玉だと思います。


「これが一体……?」

 と、わたしがアルヴィ様に視線を戻します。

 ああああ、視線の高さがほぼ同じという今の状況がつらい。

「これはな、遥か昔からこの国に存在しているものでな」

 アルヴィ様より早く、バシリス陛下が口を開きました。

 どことなく楽し気な口調で、それがとても意外でした。

「白銀の世界と呼ばれているが、その名前の通り、これは一つの『世界』なのだそうだ」

 ――どういう意味でしょうか?

 わたしが目を細めると、陛下はくくく、と笑い声を上げます。

「この小さな球体の中に、何万だか何十万だか知らんが、生き物が生息しているらしい。実物を見たわけではないのでよく解らんが、白くて美しい生物なのだそうだ」

「白くて美しい……」

「この小さな世界には色がなく、悪意というものも存在しない。そして、白銀の世界を持つ国の悪い気すらも、浄化する力を持っているらしいのだ」

 ――浄化する力。

 それはすごい。

 わたしが素直に感心している間にも、陛下の言葉は続きます。

「つまり、あまり自覚はしていないのだが、我々もその恩恵を受けているというわけだな。この国は軍事国家と有名だとはいえ、明確な敵国というものも存在せず、平和な毎日を送っている。国内でも争いごとは少ない」

「確かに平和ですわね。とても素晴らしいことです」

 ミアの唇からそんな言葉がこぼれ、それを聞いたバシリス陛下の眉間に皺が寄りました。

「剣の腕の見せ所がないというのも問題でな。だから余計に神事に熱が入るわけだが」

「野蛮ですわ、お父様」

 ミアの言葉を陛下はあっさりと聞き流しました。


「平和な国なんですね……」

 わたしが思わず唸るように呟くと、アルヴィ様がそっと自分の手を上げて言いました。

「陛下、少し、覗いてみましょうか」

「何?」

「陛下もご覧になったわけではないそうなので、いい機会だと存じます」

 と、アルヴィ様は上げた手をその球体の上にかざしました。

 そして、その場にいる全員の前で、静かな魔術の呪文の詠唱が始まりました。


 アルヴィ様の手のひらの中が輝き始めました。そして、空中に小さく白い靄のようなものが出現します。

 その靄がくっきりと、どこかの光景を映し出しました。

 それは小さな絵画のような世界でした。


 白い世界。

 まるで、雪原のようなところです。

 地面は真っ白で、そこから生えている奇妙な形をした木々の色も白。

 アルヴィ様の目の前に広がったその光景は、ゆっくりと場所を移動して白い森を抜け、どこかの大きな村のような場所へと移り変わりました。

 それは、家なのでしょうか。

 巨大な木の幹に、いくつもの窓らしきものがあります。ガラスとは違うのでしょうか、透明ではない板のようなものがそこには取り付けられていて、時折、それが中から開けられるのも見えました。

 その窓の中に見えるのは、人間とは違う生物です。

 何となく、昆虫と鳥の中間、というイメージです。

 昆虫が持っている羽のようなものが背中にあり、それは六枚に分かれています。

 銀色の瞳もまた、昆虫のようでありました。ただ、身体を覆う羽毛のようなものが、鳥のようでもあり。

 不思議な生き物。


 それらは空を飛び、笑い声のような高い音を発し、羽から生まれる光がきらきらと反射して幻想的な光景をさらに演出しているかのようでした。

 彼らの羽から、小さな光の粒が舞い散って、高い鈴のような音を立てます。

 その鈴の音色を聞いた途端、わたしの身体も震えたような気がしました。

 ガラスなどに共鳴している、そんな感じの音。

 絵本の中のような、そんな世界。


「これが住人たちですね」

 アルヴィ様はそれを見つめながら、言葉を発するのを忘れていたと言わんばかりに顔をバシリス陛下の方へと向けました。「彼らの存在は、この世界に存在する精霊たちよりもずっと純粋です。何の穢れもない世界で生き、あらゆる穢れを祓いながら役目を終えるのでしょう。しかし、陛下もご存知のようですが彼らの力では……」

「穢れが祓い切れない、ということだな?」

 バシリス陛下がそう言って、アルヴィ様が小さく頷きます。

「たまった穢れは、百年に一度くらいの頻度で彼らを襲うらしいですね。悪意の塊、もしくは世界最強の魔物。そういったものが彼らを、この白銀の世界を、全て飲み込んで黒く染め上げるかもしれない危機がやってきます。しかし、彼らの心は穏やかで、それに立ち向かう心を持たない。だから、『戦う力』を他所から借りるのですよ」

「勇気や気概、男らしさ。そういったものだな?」


 そこで、この話を聞いていた人間の視線がミア――エルネスト殿下へと向けられました。

 驚いたように宙に浮いた光景を見つめていた少女。

 その彼女の目が見開かれ、皆の顔を見回してこう言います。

「この……綺麗な子たちが戦うのですか? ……何て、ひどい」


「まあ、その結果、その抜け殻が今の……何と言うべきか」

 アルヴィ様が曖昧に言葉を濁すと、バシリス殿下は豪快に声を上げて笑います。

「かまわん! つまり、我が息子は選ばれたのだ! この国一番の、勇気ある男だと! だから、こうして一時的にそれを奪われた。これも名誉なことではないか!」

「陛下」

 若干、呆れたような口調のエウゲン様。

 しかし、エウゲン様は何を言っても無駄だと考えたのか、それ以上何も言いませんでした。

 そして、どことなく上機嫌なバシリス陛下は、突然わたしの肩を叩いて言いました。

「さて、身代わりを務める君が立派に神事を終わらせてくれれば、万事解決だ! 頑張ってくれたまえ! 謝礼は充分に出すからな!」

「あっ……はい」

 わたしの声は微妙に歯切れが悪くなりましたが、これも仕方ない流れです。

 何とかバシリス陛下に強張った笑みを返した後、アルヴィ様に視線を戻しました。


「では、準備に取り掛かりましょうか。神事は一週間後という話でしたから」

 アルヴィ様がそうバシリス陛下に言うと、彼は深く頷きながらエウゲン様を見つめます。

 そして、エウゲン様はすぐに頭を下げました。

「まず、部屋に案内させていただきます。その後、私が責任を持って彼らに神事の流れを説明いたします」

「頼むぞ、エウゲン」

「はい」


 わたしたちは陛下より先に廊下へと出ることになりました。

 バシリス陛下がその地下倉庫の扉にまた鍵をかける音を背後に聞きながら、エウゲン様の後をついて階上へと向かいます。

「周りの人間の目もあるからな、殿下の……肉体の方は殿下の部屋にいってもらわねばなるまい」

 歩きながら、エウゲン様がそう言います。

 ええと、つまり、わたしが? ですよね?


「アルヴィ様は……」

 と、わたしが口を開きかけると、エウゲン様がこちらを振り向いて鋭くわたしを睨みつけます。

「口調を気をつけなさい。そなたはエルネスト殿下なのだ」

 ――そりゃ、そうですけど。

 あ、そうか。

 沈黙の誓いというものがあるという設定でした。わたしは無言のままエウゲン様に向かって頷いて見せました。

「魔術師殿たちは別の部屋を準備させよう。問題は……この、殿下が入っている少女だが」

 エウゲン様はわたしから目をそらし、ミアを見つめます。

 怯えたように彼を見上げるミアは、ひどく頼りなげに見えました。

「僕が引き受けましょう。護衛が必要でしょうから」

 アルヴィ様が笑顔でそう言って。

 そして、ミアが――エルネスト殿下が微笑んで見せます。


 解ってます、彼女の中身は男性です。

 でも。

 見た目は、少女なわけで。


 廊下を歩き、まずアルヴィ様たちが寝泊まりするらしい部屋に案内をされます。

 わたしはそれを、エウゲン様のそばで見ていて。

「ミア、また後で」

 アルヴィ様がドアのところでわたしにそう声をかけてくださいましたが、何だか心の中がざわついて仕方ありませんでした。

 アルヴィ様と一緒にいれば、こんな不安に駆られることもないのでしょうに。

 そして――こんな、変な気分になることもないはず、なんです。


 何なんでしょう、これ。

 胸が苦しいのは。


 別に、アルヴィ様がカサンドラやリンジー、そして偽者のミアと一緒にいるのは、当然の流れなわけで。

 それに戸惑うこともおかしいわけで。


 そしてどこかもやもやした気分のまま、エウゲン様にわたしはこの城の上階にある、エルネスト殿下の部屋に連れていかれました。

「食事になったら呼ぶ……いや、呼びます、殿下。しばらく、おくつろぎください」

 エウゲン様はエルネスト殿下の部屋の前でそう慇懃に頭を下げ、廊下を歩いていかれてしまいました。

 一人残されるわたし。


 不安なわけじゃない、はずです。

 寂しいわけでもない、はずです。


 でも、やっぱり一人は不安なのかも。


 わたしは扉を開け、その部屋の中に入り、後ろ手に扉を閉めました。

 王子様が暮らすに値する、豪奢な家具がある部屋。広くて、何でもあるように見えました。

 大きなテーブルと椅子、壁際には本棚。

 その奥には隣室に続く扉。

 ふわふわする感触の絨毯。

 でも、何だか落ち着かなくて。


「……コーデリア様」

 わたしはそう、小さく呟きました。わたしと――ミア・ガートルードと使い魔の契約をしてくれた彼女は、今は……もしかしたら、ミアの肉体に付き添っているのかもしれない、と思いながら。

 ――でも。

「面白いことになっておるのう」

 と、すぐそばで聞きなれたコーデリア様の声が響いて。

 目の前にあった椅子にいつの間にか座っているのを見て。

 あまりにも安堵したせいでしょうか、わたしは思わず言ってしまいました。

「一生、わたしのそばにいてくださいますか」


 一瞬の間の後に、コーデリア様が呆れたように目を細めて応えました。

「結婚の申し込みは別の者にするがよいわ」

「そういう意味じゃありません」

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