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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第60話 空からの侵入には弱い国

「……く、くっ……」

 カサンドラが肩を震わせて笑っているその背中を睨みつつ、わたしは深いため息をつきました。

 それは確かに、笑いごとなのかもしれませんが。

「ありがとう、ミア」

 アルヴィ様だけはいつもと変わらぬ穏やかな笑顔ですが、その肩の上にいるルークでさえ、アルヴィ様の肩をぱしぱし叩きながら笑っているのです。

「すごい、魔術なのね……」

 ドン引きしたような目つきでわたしを見上げているリンジーは、わたしがその瞳を見つめ返した瞬間に目をそらしました。

 何でしょうか、それ。

 ものすごく、不本意です。


「すごいですわ。これが魔術なんですの?」

 きらきらした瞳をわたしに向けてそう言ったのは、ミア・ガートルードです。

 わたしの視点よりもずっと下の方に、細い身体の少女が胸の前で手を組んで立っています。認めたくはないのですが、可憐な仕草でわたしを見上げる彼女は、いつものわたしより可愛らしく見えました。

 控えめな興奮を示す、彼女のピンク色の頬。

 そして、自分の身体を見下ろして小さくため息をつく、その唇。

 それは間違いなく、ミア・ガートルードなのに。

「納得いきません」

 わたしは思わずそう呟きます。

「何がだい?」

 アルヴィ様が首を傾げます。

「わたしが……可愛いです」


 そうなんです。

 中身が違うだけで、何でこんなに印象が変わるんでしょうか。

 おしとやかで、とても可愛らしい仕草のミア・ガートルードは、何だか可憐な少女に見えました。

 正直に言えば、わたしはそんなに目立つ顔立ちはしていませんし、街で見かけてもすぐに誰の記憶にも残らない、ごく普通の一般人です。

 それなのに、何だか今は違う。

 これはどうしてなんでしょうか。


 カサンドラの魔術で、またわたしは別の肉体の中に入ることになったわけですが。

 今度は人間だ、と喜ぶべきでしょうか? でも、ルークの猫としての身体は、特に不便などは感じませんでした。

 でも今回は……筋肉隆々の男性で。

 しかも、王子様だというのですからどうしたらいいのか全く解りません。


 でも、アルヴィ様のお願いだから。

 頼まれてしまったから。

 だから、頑張らなくては――と思うのに、どうしても落ち込んでしまいます。


「……どうせ変わるなら、とても可愛い子の身体なら……よかったのに」

 そう、自分だけに聞こえる程度の声で言ったのに、アルヴィ様の耳には届いてしまったようでした。

「可愛いと思うけど」

 アルヴィ様のその言葉に、わたしは口元を引きつらせて応えます。

「この身体が、ですか?」

「ああ、そうじゃない」

 アルヴィ様がそこで苦笑して、困ったようにわたしを見つめなおして続けました。「元々のミアのことだよ」


 わたしが思わず息を呑むと、カサンドラが相変わらず肩を震わせて笑いながらこちらを見つめます。

「女コマシの言葉は重みが違うわよねぇ」

「……カサンドラ。君は言葉選びに問題があるね」

 アルヴィ様が眉を顰め、彼女を軽く睨みつけます。その後で、わたしの方へ視線を戻したアルヴィ様は、しまった、と言いたげに手を上げて首を横に振りました。

「ただ、今の君でそういう態度は、ものすごく反応に困るからやめてくれ」

「ううう」

 わたしは恐らく、アルヴィ様の言葉で顔を赤くしていたのかもしれません。

 目元が妙に熱かったのは、きっと、多分。

 そうです、多分。

 今の男性の肉体でやってはいけない表情だったのだと思いました。

 わたしは慌てて自分の頬を両手でぱしん、と叩き、気合を入れようとしました。自分で思っていた以上に、小気味の良い音が辺りに響いたため、ちょっと恥ずかしかったですが。


「魔術師殿、入れ替わりの魔術とやらは上手くいったのだな?」

 そこへ、エウゲン様が目を細めてわたし――エルネスト殿下とミアの身体を交互に見やり、低く唸るように訊いてきます。

「はい」

 アルヴィ様はその問いに頷き、静かに言葉を返します。「何かと準備も必要でしょうし、早々に移動を開始しましょうか」

「その通り。我々がこの森に来るまでにそれなりに日数がかかったのでな」

「ああ、それは僕も不思議でした」

「何がだ」

「魔術師はいなかったのですか? 移動のための魔術があるでしょう」

「残念ながらな」

 エウゲン様が胸を張って応えます。「我が国では剣士こそが最上、剣で、そして腕で戦うことが何よりも素晴らしいという認識がある。だからこそ、魔術師になろうと考える者は少ない。つまりだ」

「なるほど、だから他国の魔術師に頼るくらい困っていらっしゃるというわけですね」

「その通り!」


 それは自慢になるのかどうか解りませんが。

 エウゲン様の表情は、とても満足げでした。

 もし、メリーライネン王国に腕の立つ魔術師がいたら、きっとわたしたちはこんなことに巻き込まれずに済んだのだろうなあ、とぼんやり考えつつ、わたしはお二人の様子を見ていました。


「さすがに、馬車は……馬は怯えてしまいますので、風の精霊に運ばせるのは無理でしょう」

 アルヴィ様はソファから立ち上がり、エウゲン様に言いました。「馬車と御者、もしその護衛が必要ならその人間も残し、それ以外の他の皆は僕が魔術で運びます。よろしいでしょうか」

「任せる」

「了解いたしました。それと、どうしても留守番に置いていくわけにはいきませんか?」

 と、アルヴィ様がカサンドラとリンジーを指で指し示すと、エウゲン様はすぐに頷きます。

「もしこの場に残し、他言されると困る。何度も言うことになるが、一緒に連れていく」

「だ、そうだ。いいかな?」

 そこでアルヴィ様がカサンドラたちに目をやって、二人はお互い、諦めたように笑って頷きます。

「観光がてら、いいんじゃない?」

 カサンドラはそう言って肩を竦めて見せます。

 そして、アルヴィ様はわたしに視線を戻し、こう続けました。

「コーデリアも連れていこう。君の使い魔だし、護衛としてちょうどいい」


 そうして。

 わたしたちはアルヴィ様の魔術――風の精霊の力を借りて、空を飛んで移動することになりました。

 アルヴィ様はお屋敷に今度は誰も破れない鍵をかけ、その辺り一帯を閉鎖してから魔術の呪文の詠唱を始めます。

 来客が来てから随分と時間が経った気がしていましたが、まだ、お昼にもならない時間。

 そして空の旅は、あっという間。

 きっと、魔術というものに慣れていない騎士様たちは動揺を隠せず、それでも精神的にお強いのか、視界の遥か下に地面を見下ろしながら空を飛ぶこととなっても、誰も声を上げたりはしませんでした。


 ミア・ガートルードの肉体の中に入った、エルネスト殿下だけはか弱い悲鳴を上げていらっしゃいましたけども。

 彼女――いえ、彼はエウゲン様にしがみつき、ぎゅっと目を閉じて地面に降り立つ瞬間まで身体を震わせていたのです。


 そして、わたしたちが降り立った場所。

 それはメリーライネン王国の王城だったのでしょう。

 軍事国家というお話をお聞きしていたこともあって、その王城の強固なまでの分厚い塀、侵入者を許さないと言わんばかりの警備は、エーデルマン王国の城よりももっと厳つく感じました。


「空からの侵入には弱いようですね」

 アルヴィ様が呆れたようにそう呟くと、ミア・ガートルードの身体を庇うようにして空から降り立ったエウゲン様が豪快に笑いながら言うのです。

「不審者を見つけたら叩き斬る! それでよかろう」

「……野蛮ですわ」

 エルネスト殿下が泣きそうな表情でそう言って、エウゲン様のところから逃げようとします。

「まあ、平和な国なんでしょう」

 目の前で起こっている、エウゲン様とエルネスト殿下の攻防は無視しつつ、アルヴィ様が辺りを見回しました。


 そこは広いバルコニーです。

 華美なものは何もなく、武骨なまでに堅牢さを誇示する壁や床。

 そして、バルコニーの柵から下を見下ろせば、石畳の庭。そこにも、敵から身を守るための防御の壁、ごつごつした形の像などが見えるだけ。

 それなのに、どことなくのんびりとした空気が漂います。

 何だか不思議なことですね。


「軍事国家ですが、戦争のない平和な国。国民の気性も穏やかだと聞いています」

 アルヴィ様はそう続けながら、雲一つない空を見上げます。

 そして、小さく笑いました。

「運が悪かったですね。神事と、白銀の世界の一大事が重なったのは」


 エウゲン様がその言葉に質問を投げるより早く、その場に新しい声が響きました。

「帰ったか、エウゲン」

 そう言いながら、バルコニーに現れたのは、巨大な肉体を持つ男性。

 エルネスト殿下とよく似た風貌の、爽やかな笑顔が印象的な四十代後半くらいの男性。そして、エルネスト殿下よりも一回り大きい胸囲が印象的な――それが、このメリーライネン王国の国王である、バシリス陛下でいらっしゃいました。

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