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第6話 早い者勝ちということで

 重々しい扉を開けて顔を覗かせたのは、わたしと同じくらいの年齢の女の子でした。

 その質素な服装から、このお屋敷の召使なのだろうと予想がつきます。

 姿を見せたときの表情は平坦で、笑顔などなく、ただ礼儀正しく「どちら様でしょうか」とわたしたちに小さく声をかけてきます。でも、アルヴィ様を見た瞬間、その目に微かな感情の動きが見えました。

「こちらのご主人と話があってきました」

 アルヴィ様がそう言うと、少女は僅かに目を伏せて頭を下げます。

「ヒューゴ様はお休みの時間でございます」

「そうですか」

 アルヴィ様は少しだけ困ったように首を傾げ、わたしを見下ろして訊いてきます。「君の名前、何だったかな?」

「ミア・ガートルードです」

「ああ、そうだった」

 アルヴィ様はそこで小さく微笑み、もう一度少女に言いました。「割った壺の件で、ミア・ガートルードがきているとお伝えしてくれませんか? 少々、重要な問題がありますので」

「ミア……? ああ……」

 少女はわたしの名前に聞き覚えでもあるのか、僅かに目を見開いて見せました。そして、どこか気の毒そうな色を浮かべた瞳をわたしへと向けた後、軽く頭を下げます。

「少しこちらでお待ちください」

「はい」

 そう頷いたアルヴィ様の声は落ち着いていて、一緒にいる自分もそれを聞いていると理由もなく気分が穏やかになるような気がします。

 それでも、広い玄関ホールから見える二階へと続く階段のほうから、足音が聞こえてくると身体が緊張で強張りました。

 そしてそれは、ヒューゴ・エルマルの声が聞こえてきた瞬間、完全に震えとなって自分の身体を襲ってきたのです。


「これはこれは! 明日、こちらから迎えに上がろうと考えていたところでしたよ!」

 階段をゆっくりと、それでいてどたどたと響く足音と共に現れたのがヒューゴ・エルマルです。

 どうやら寝間着であるらしいゆったりとした水色の服に身を包んでいましたが、その巨大な肉体を包むには少々小さいようでした。

 でっぷりと太り、丸々としたお腹とソーセージのような指が印象的な、年配の男性です。

 年配であるのは解るのですが、太っているせいか年齢不詳のような印象です。四十歳代のようでもあり、五十歳代のようにも見えるのです。

 髪の毛は短く、白髪交じりの黒髪。てらてらと輝く額もまた、印象的だと思いました。

 その彼が、わたしたちの前にやってきて、まじまじとわたしの首から下を見つめてきました。

 その視線が。

 妙に絡みつくようで。


 あああああ。

 わたしは思わず、エルヴィ様の後ろに隠れるようにして彼から目をそらします。すると、そこでヒューゴ……ヒューゴ様はアルヴィ様の姿に気が付いたようで、怪訝そうな声を上げます。

「さて、そちらはどなたで? ミア嬢の兄上か何かで?」

 そう言いながらも、血縁者ではないだろうという含みが聞こえます。

 まあ、何一つ似ていないのですから、わたしとアルヴィ様が何の関係もない間柄だというのは解るでしょう。

 そして、彼はアルヴィ様の肩の上に乗っている黒猫に気が付いて、小さく笑いました。

「翼ある一族、ですな。そんな生き物と一緒にいるということは、魔術師か何かであるでしょうな? さて、用件はなんですかな」

「申し訳ありません、突然、こんな夜遅くに伺いまして」

「いえいえ」

「実はですね」

 アルヴィ様は穏やかな口調で、そしてあっさりと言いました。「今日、僕が先にこの女の子を奴隷として買い上げましてね」

「……何と!?」

 ヒューゴ様はその言葉を理解するのに一瞬だけ必要とした後で、明らかに不機嫌そうな声を上げます。「それはいかんですな! 私が先に目をつけておいた、好みの体つきの少女ですよ!」


 いいいいい。

 わたしはさらにじりじりと後ずさり、それでも何となくアルヴィ様から遠い場所にはいきたくなくて、失礼な行為だとは思いつつアルヴィ様の上着の裾をつかんで震えていました。

「まあ、早い者勝ちということでここは許してください」

 アルヴィ様の声は、どこまでも軽く響きます。

 そして、それに続いたヒューゴ様の声はさらに低くなりました。

「いやいや、物事には道理というものがあるのですよ、魔術師殿……あなた様の名前は何と?」

「ああ、失敬。僕はアルヴィ・リンダールと申します」

「リンダール。聞いたことのある名前ですな」

「よくある名前ですからね」

「なるほど。しかし、リンダール殿」

「事情はこちらの……ええと、名前。ああ、ミアだったか、ミアからお聞きしました。どうやらミアの父親が、高価な壺を割ったとかで」

「その通り! あれは王都で手に入れた、本当に珍しい逸品なのですよ! 本当に取り返しのつかないことをしてくれた!」

 ヒューゴ様の額にだんだん青筋のようなものが浮き上がってきたような気がします。

 明らかに怒っている。間違いありません。

 そして、玄関先でこんな騒いでいるせいか、どこからか使用人らしき女性たちの姿がぽつぽつと現れ、遠巻きにしてこちらを窺い始めています。

「珍しい、高価な壺ということですね。しかし、あなた様も何となくお気づきのようですが、僕は魔術師なのです。その壺、きっと直すことができますよ」

「何?」

 ふと、ヒューゴ様の眉根が寄せられました。

 そして、アルヴィ様はヒューゴ様の背後に控えていた、先ほど扉を開けてくれた少女に向かって声をかけます。とても優しい声を。

「さて君、もし割れた壺があるのなら、ここに持ってきていただけないでしょうか。お願いします」


 アルヴィ様のお顔はわたしは見ることはできません。アルヴィ様の後ろに隠れるようにして立っているわたしには。

 それでも、アルヴィ様のその言葉を聞いた少女がうっすらと頬を赤く染め、急いで踵を返して廊下を走っていってしまうのは見えました。

「待ちなさい!」

 どことなく、そう少女を呼び止めようとしたヒューゴ様の声は慌てています。


 そして、すぐに何人かの少女たちがいくつかの布に包んだ壺の破片をこの場に運んできます。

 誰もが息せき切った状態でアルヴィ様のすぐそばに寄り、その布を開いて見せてきました。そして露になる、茶色いごつごつした表面の欠片。

 その壺の破片を見下ろし、アルヴィ様はくすりと笑い。


「王都ではよく見かける、どこにでもある普通の壺ですね。大きいだけで珍しい品とは思えない。確か、せいぜい百ゴルトで買える程度の」

「やっす!」

 ルークが翼をふるふる震わせながらそう吐き捨て、ちらりとわたしのほうに視線を向けてきます。

 そして、アルヴィ様も。

「随分、安く買われそうになったのだね、ミア」


 ううううう。

 それが本当でしたら、泣きたいです、アルヴィ様。

 わたしはただ黙って、アルヴィ様の上着の裾を掴み続けていました。

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