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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第57話 帰ってもらう、なんて上手くいく?

「どちら様でしょうか」

 ドアを開け、そっと相手の顔を見あげると顎髭の立派な老人がそこにいました。

 老人と言っても、とても体格の良い方で、背筋を伸ばして立っている姿はまるで壁のようです。

 高価そうな布で仕立てられた服と、黒いマント。その服の下には、きっと素晴らしいまでに鍛えた筋肉があるのだろうと思える盛り上がり方をしていました。

 騎士様か、剣士様か。

 そう思ったのは、腰に下がっている大きな剣が理由です。

「ご主人はご在宅か」

 彼は静かに言いました。

 とても渋い声です。何というか、聞いていて身体の奥に響くような美しい低音。

「……はい」

 わたしはそう頷きながら、名前を訊いたのに……と困った顔をしたのだと思います。そんなわたしを見て、彼は少しだけ眉根を寄せ、その厳しい表情を和らげました。

「申し訳ない。名乗るのは君のご主人の前で許してもらいたい。多少、訳ありなものでな」

「そう、ですか」

 わたしは眉を顰めたまま、彼の背後に視線を投げました。

 とても天気の良い朝です。

 でも、夏の季節の風は朝から多少の熱を運んできます。

 これから陽がもっと高くなり、暑さを感じさせる太陽が存在する中で、お屋敷の前の道に黒い馬車が見えました。

 いかつい造りの馬車で、何となく貴族様が乗られるようなものに見えましたが、家紋などはどこにも見当たりません。

 黒い馬と、黒づくめの衣装を身に着けた御者。

 さらに、その馬車を取り囲むようにして馬の上に乗っている男性たち。

 とても夏の季節に見たい人々ではないなあ、と思います。


 いえ、別に暑苦しいと言いたいわけではないのですが、誰もが黒い衣装で今にも戦いにいくのだと言わんばかりに武装しているような人たちなので。

 何だかものすごく、物々しい雰囲気だと思いました。


「ご主人様は今、食事中でして」

 わたしが視線を老人に戻してそう言うと、彼は薄く微笑み頷きました。

「では、終わるまで待たせてもらおう。有名な魔術師殿を待つのなら、時間などどうでもよい」

 彼はそう言うと、ドアのところから遠ざかり、馬車のそばへと戻っていきます。


 ――うーん、しかし外でお待ちいただくのはちょっとどうなんでしょうか。

 暑くて倒れたりなどされたら大変です。


 わたしはそこで一度台所に戻り、アルヴィ様に応接室にお通ししていいか尋ねてみました。

「仕方ないね」

 アルヴィ様は興味なさそうに返してきます。若干、眠気は冷めたようですっきりした表情をされていました。

「用事をさっさと済ましてもらって、早く帰ってもらう。もしくは、面倒そうな依頼なら断って帰ってもらう。ああ、それが一番だろうな。話を聞いて、断ればいい」

 アルヴィ様が苦笑しつつそう言って、カサンドラが「そう上手くいくの?」と首を傾げています。

「何がだい?」

 アルヴィ様は不思議そうに彼女を見つめます。

 でも、カサンドラはニヤリと笑って続けました。

「結構、あなたって優しいじゃない?」

「何?」

「噂とは違って真面目そうだし、そうあっさりと追い返すことができるのかと思って」

「……僕は性格が悪いからね」

「自分で言う?」

 そこでカサンドラはわたしに視線を向け、楽し気に続けます。「あなたも思うんじゃない? この魔術師、結構優しいわよね?」

「結構、じゃなくてかなり、だと思いますが」

 わたしはすぐに頷いてそう応えると、アルヴィ様がわたしを軽く睨みつけました。

「ミア」

「はい」

「余計なことは言わなくていい」

「解りました」


「それ、脅し……」

 カサンドラの小さな呟きを聞き流したアルヴィ様は、わたしに続けて言いました。

「とにかく、応接間に通してやって」

 その言葉に頷いて、わたしはもう一度玄関へと向かい、彼らを中に入るように伝えます。

 でも。

 彼らはすぐにそれに従わず、お互い顔を見合わせて何事か相談しています。


「では、私だけお邪魔しよう」

 そして結局、老人だけがこちらに頷いて、彼だけがお屋敷の中に入ることにしたようです。老人以外の騎士様たちは、馬車のそばから離れようとしません。


 何となくですが、理解した気がしました。

 きっと、馬車の中には身分の高い方がいらっしゃるのです。

 訳ありとおっしゃっていたご老人の言葉を信じるとするならば、その方を守るために引きつれてきた護衛の方たちがそばにいる。

 恐らく、何か困ったことがあってアルヴィ様にお仕事の依頼をされるのだと思いますが――もしかしたらこの方たちは、どこかの国のやんごとなき方々。つまり、どこかの王族様とか?

 だとしたら、馬車の中にいらっしゃるのはどこかの王女様なのかも、と思いました。


「私はエウゲン・ティベルトと申す」

 応接間でアルヴィ様と顔を合わせることになったご老人は、ソファから立ち上がるとそう名乗ってアルヴィ様に手を差し出しました。

 でも、その握手の希望を断って、アルヴィ様は彼にもう一度ソファに座るように促します。

 そして、アルヴィ様はエウゲン様が座るのを待たずに笑顔で言いました。

「申し訳ないのですが、こちらは多忙でして。もし、何かの依頼でこちらにこられたのでしたら、すぐに別のところを当たった方がよいでしょうね」

「それは困る」

 エウゲン様はソファに座らず、アルヴィ様を見下ろして唸るように言いました。アルヴィ様より背の高いそのご老人は、まるで威圧するかのようにアルヴィ様に一歩近づき、さらに続けます。

「そなたの名前はエーデルマン王国で随分と有名になったと聞く。かなり腕の立つ魔術師だと」

「いいえ」

 アルヴィ様は笑顔を返し、ソファに座って静かに言いました。「過分な噂が広まったようですね。僕はそれほど――」

「いや、アルヴィ・リンダール殿。私は貴殿を連れて帰らねばいけないのだ。それが我が主の命令であるのでな」

「しかしですね」

「ぜひ、話を聞いてもらいたい」

「むしろ、あなたが聞いて欲しいですね」

「他人には聞かせられない重要な話があるのだ。ぜひ、人払いをお願いしたい」

「いや、だから」

 話を聞かないエウゲン様を前に、アルヴィ様は深いため息をつきました。

 応接間にいるのはアルヴィ様とルークの他にはわたし、カサンドラとリンジーまでいます。さすがにコーデリア様はこの場にはいませんでしたが、かなりの人数が応接間にいるのですから、エウゲン様が気にされるのは当然だと思います。


「やっぱり、上手くいかないじゃない?」

 カサンドラはドアにもたれかかり、腕を組んでアルヴィ様を見つめてそう呟きます。

 それを不満げに聞いたアルヴィ様は、少しだけその表情を凍らせました。

 そして、優しく微笑みます。

 何か、裏がありそうな笑顔でした。

「しかし、エウゲン・ティベルト殿」

 そこで、アルヴィ様はエウゲン様を見つめて言いました。「ここにいる者たちはわたしの弟子でして。依頼を受けるにしても断るにしても、話を聞かねばいけないでしょうね」

「弟子?」

 カサンドラが困惑したようにそう呟いて。

「わたしの師匠はキャシー……」

 と、リンジーも呟きましたが、どうやらエウゲン様の耳には届いていないようでした。

「なるほど、弟子という話でしたら一緒に聞いていただいた方が間違いがないな」

 と、彼はその長い顎鬚を揺らしつつ笑います。


「我が主は、メリーライネン王国の王、バシリス陛下である」

 エウゲン様は酷くあっさりと、そうおっしゃって。

 アルヴィ様は「聞きたくなかった」と天を仰ぎます。その表情はうんざりといった様子が見事なまでに現れていて、それでも、諦めたように頷いて続けました。

「で、そのオシリス陛下がどんな命令を」

「バシリス陛下だ」

「誤差の範囲ですね。話の先をどうぞ」

「話よりも、実際に見てもらった方が早い」

「何をです?」

 アルヴィ様が目を細めながらそう訊くと、彼は応接間から出て外にある馬車の方へ向かいました。


「ここで彼が外に出ている間に、鍵をかけて閉じこもる方が正解だと思うんだけどね」

 アルヴィ様は少しだけソファから立ち上がることを嫌がっていらっしゃいましたが、仕方なく彼の後を追って外に出ます。

 そして、その後を続くわたしたち。


「殿下」

 エウゲン様が馬車の扉を開いてそう中に声をかけた瞬間でした。


「やめて! 私、絶対に出ないから!」

 そんな、悲鳴じみた声が馬車の中から飛び出してきて。


「うわ」

 アルヴィ様の肩の上にいたルークが、心の底から厭そうな声を上げました。


「殿下、お願いですから」

 エウゲン様はさらに困ったようにそう言って、馬車の中に手を伸ばして。

「やめて! 触らないで! 誰か、お父様を呼んで!」

「殿下!」


 アルヴィ様の表情が、優しい笑みのまま固まっていました。

 そしておそらく、わたしも、カサンドラもリンジーも。


 エウゲン様が無理やり馬車の中から引きずり出した――それは引きずり出したという表現が一番似合う乱暴さでした――人は、女性らしい品を作って限りなくたおやかに、今にも貧血でその場で崩れ落ちそうなほど憔悴しきっていたのですが。


 どこからどう見ても、筋肉隆々の美丈夫――つまり、男性でした。

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