第53話 敵に回らないでくれ
「あなたって面白いわね。噂で聞いていたのとはちょっと違うわ」
わたしの背後から、小さく笑うカサンドラの声が響いてきます。
わたしはアルヴィ様の手に引かれて歩くだけで色々精一杯で、振り向くことはできませんでした。
アルヴィ様の背中は何だか悠々としていて、暗闇の中も恐れなど知らないように歩いていて、それを見ているだけで安心できる。
ものすごく、これは頼もしいことでした。
「噂って身勝手なものだからね、独り歩きするんだよ」
アルヴィ様が苦笑交じりにそう返しています。「どんな噂を聞いた?」
「凄腕の魔術師。でも、気難しくて依頼も気が向かないと受けない。人間嫌いで、リーアの森に住んで魔物とよろしくやってる、って」
そこで、アルヴィ様が困惑したような表情で振り向きます。
――よろしく……って。
わたしも眉を顰めてカサンドラを振り向くと、彼女は小首を傾げて小さく微笑みます。
「まあ、そんな噂があったから、アタシもあなたを頼る気にはなれなかったのよ。何しろ、リーアの森の魔物の仲間みたいなものだと思ったし」
「シュタインの仲間とでも思ったのかな」
「そーゆーこと」
それを聞いて、アルヴィ様がため息をこぼしました。
「人間嫌いなのは正しい。だからこそ、人間がよりつかない森に住んでる」
「魔物とはどうなの? さっきのは何なのよ」
「さっき?」
「あの、蛇の魔物。何の茶番? 一体、何で城であんな大暴れを――」
「ああ、忘れてた」
と、アルヴィ様がそこで慌てたように足をとめました。「またコーデリアに文句を言われる」
と、彼は服のポケットから小さな何かを取り出しました。
必然的にというか、それまでつないでいたわたしたちの手は離れてしまいます。それが残念なような、ほっとしたような気になります。
ちょっとだけ、緊張していたから。
アルヴィ様と手をつないでいた間、心臓が暴れていたことも気づかれていそうで、少し怖かったのもありました。
何となく、そんな感情の流れを誤魔化すように、わたしはアルヴィ様の手元を覗き込みました。
そこにあったのは、予想もついていましたが暗闇の中でも輝くコーデリア様の指輪です。
彼が手のひらの中にあるそれを見つめて何か囁くと、その指輪から閃光が弾けて森を明るく照らし出しました。
「遅い!」
そこに、コーデリア様の不機嫌な声と共に、彼女の姿が現れました。お屋敷にいた時と同じ姿。先ほど、城の中で巨大化した蛇ではない、女性の姿として。
「ごめん、何かと色々あって……」
アルヴィ様がどことなく申し訳なさそうに言います。ただ、あまりにも穏やかに言うものですから、あまり申し訳ないと感じていないというのがバレバレです。
「聞き飽きたぞ、その言葉!」
きっと、コーデリア様も慣れていらっしゃるのでしょう。
高圧的にそう言い放ち、アルヴィ様を睨みつけましたが、どこか諦めの表情に似ていました。
「悪かった。とりあえず、僕との使い魔の契約は破棄しよう」
「よし、当然じゃ!」
「ああ、でも」
「何じゃ」
「ここは一つ提案なんだけどね、コーデリア」
「ああ?」
「ミアの使い魔として契約してもらえないだろうか」
一体、何を言い出すのでしょうか。
わたしは驚いてアルヴィ様を見つめ、それからコーデリア様に視線を投げました。すると、コーデリア様はそれほど驚いた様子もなく、若干予想していたとも言いたげな瞳がこちらに向けられます。
アルヴィ様が酷く真剣な眼差しをコーデリア様に向けているのが見えました。
「……せめて、危険な場所にいく間だけでもどうかな? 危険なものから守ってあげて欲しいんだ」
「お主がやったらどうなのじゃ」
「僕は一度、失敗してるから」
その時のアルヴィ様の横顔は、笑っているのに本心では笑っていない、そんな感じがしました。
「ふっ」
そこで、コーデリア様が思い切り上から目線といったわざとらしい目つきでアルヴィ様を見つめて。「なるほど、妾はこれでまた恩を売り付けることになるぞ、よいのか?」
「ああ、いいよ」
アルヴィ様はそう言いながら、手に持っていた指輪をわたしに差し出しました。
それを受け取りながら、わたしは首を傾げます。
「使い魔って……コーデリア様を……?」
そう言うと、コーデリア様は僅かにわたしをからかうような目つきで前に立って、こちらを見下ろしてきます。
「さて、非常食扱いから格上げしてやろうかの」
「ありがとうございます、と言うべきでしょうか」
「さて、ミア」
アルヴィ様がわたしのそばに寄り、にこやかに続けました。「使い魔契約の呪文の詠唱だ。僕の後に続いて復唱できるね?」
「え、あ、はい」
緊張しつつわたしが頷くと、アルヴィ様はわたしの耳元に唇を寄せ、呪文の詠唱を始めました。
わたしは別の意味で緊張しつつ――唇が近いです、困りますが嬉しいと思ってしまうんですが、どうしたらいいでしょうか――アルヴィ様の言葉を真似して言葉を紡ぎだします。
すると。
何だか、わたしの身体が熱くなりました。
そういえば、魔力を得た身体で魔術を使うというのはこれが初めてです。
ルークの身体にいた時には一度も感じたことのない、気分の高揚感というのを味わうのも初めてでした。
わたしの身体から生まれた熱というもの。
魔力の流れが、わたしの言葉すらを覆う感覚。
目の前に現れる、呪文の文字列の光。
それがあまりに美しくて、時折視線を奪われつつ、魔術の呪文が完成していくのを見守りました。
わたしの足元から、コーデリア様のところまで伸びた光の帯が、コーデリア様の身体を包んでいきます。魔術の呪文の文字列と共に。
そして、光が消える。
わたしには、今の状況があまりよく解りません。
ただ、何となく、コーデリア様の気配が妙に近く感じられるようになりました。
きっと……どこにいても、その気配だけは解る。そんな気がします。
「どーゆーこと?」
やがて、カサンドラが困惑したように呟くのが聞こえました。
「僕はね、できるだけ争いごとは避けたいと思ってるんだよ」
アルヴィ様がカサンドラに言っています。「もうね、疲れることはしたくない」
「は?」
「だからね、君がやろうとしたとんでもないことも、上手く嘘の話を作ってまとめたろう? 君と正面から戦うなんて面倒なこともしたくなかったし、嘘でも綺麗につけたら美談になる。誰も傷つけず、面倒ごとを片付ける。それで充分だと思わないかい?」
「……美談、ね」
カサンドラが苦笑します。「あの蛇が城を破壊したことも美談の一部?」
「僕はあの国で名前が売れただろうし、何も損はしてないよ。それに、壊れたとしても他の魔術師たちが頑張ってくれていたし、その魔術師たちもきっとあの国で感謝されただろう。国王陛下から何か謝礼ももらえたかもしれないし、誰も損はしていないはずだ」
「ナチュラルボーン詐欺師」
ルークがアルヴィ様の肩の上で、欠伸交じりに呟きます。
アルヴィ様はそんなルークを撫でながら、カサンドラに静かに言いました。
「コーデリアとも争いたくないし、君ともこれ以上争いたくない。敵に回らないでくれ。頼むから」
「敵にはならないわよ。もう、懲りたわ」
カサンドラが呆れたようにそう言って。
それから、わたしたちの前を立って歩き始めました。
一瞬、わたしはアルヴィ様と見つめ合いました。それから、カサンドラの後を追いかけます。
そして。
森がざわめくのを感じました。風のない場所で、何だか空気が重く感じる場所で。
コーデリア様がわたしのすぐ横に立って、低く笑います。
「娘。離れるでないぞ。そろそろ危険な場所に入るからのう」
「守ってくださいますか」
「ああ、守ってやるとも。今は、おぬしが妾の主人じゃからの」
「主人……」
何て、心がときめく言葉なのだろう、と思いました。
わたしは思わずコーデリア様の手を取って、熱のこもった声でこう言いました。
「……大好きです、コーデリア様」
「煩い! 調子が狂うから放せ!」
コーデリア様は驚いたようにわたしを見つめた後、あっさりとわたしの手は振り払いました。
酷い。




