第51話 何としてでもご一緒します
「シュタインの種って何でしょうか」
わたしはこっそりと、アルヴィ様の肩の上にいるルークにそう尋ねます。そしてルークがそれに応える前に、カサンドラの視線が少しだけわたしに向けられ、その唇が動きます。
「シュタインの種というのは、人間の身体を餌として成長するの」
「人間の身体を?」
わたしがそう言葉を繰り返すと、カサンドラは苦々しく笑い、唇を噛んでどこか悔し気な目でアルヴィ様に視線を戻します。
「あなただったら、こんな失敗はしなかったかもね」
「……さて、どうかな」
「自分が誘って入った森で、幼馴染みが問題に巻き込まれたら……普通だったら責任を感じるでしょ?」
――森。
わたしはただカサンドラとアルヴィ様の顔を交互に見つめます。
すると、カサンドラがそんなわたしに気づいて自嘲気味の笑みを向けてきました。
「リーアの森よ。あなたたちが住んでる場所。あの森は危険なの」
「僕が住んでいる場所は森の入り口だからね、それほど危険ではない」
アルヴィ様が静かにそうカサンドラの言葉を遮ります。おそらく、わたしが『危険』という言葉に身体を緊張させたのが解ったのでしょう。
「でも、あの森の奥には危険な魔物が住んでいる。精霊じゃない、魔物、もしくはそれに似た何か。アタシは子供の頃、魔術師になるために色々なことをやっていた。リーアの森の奥には、魔術師なら欲しいと思えるものがたくさんあると聞いたしね、幼馴染みのリンジーを誘って森に入ったの」
「二人きりで?」
アルヴィ様が少しだけ呆れたように訊きます。
すると、カサンドラは泣き笑いのような表情を見せました。
「子供だったのよ。だから何も怖くなかった。でも、森の奥でリンジーが意識を失って倒れたの。そこが、シュタインという魔物が作り出している空間だった」
「シュタインというのは、元々は森の精霊の名前だ」
アルヴィ様がそこで言葉を引き継ぎました。「だが、リーアの森で暮らしているうちに、何かよくない力を得たのだろうね。精霊ではない、魔物に限りなく近い存在へと変化した。彼は人間の――それも、魔力を肉体に秘めた人間の身体に種を植え、それを発芽させて森を広げていった」
「え……。発芽、ですか?」
「そうだよ、ミア。人間の持つ魔力を元に、シュタインの木は増えていく。そして、森が広がっていく。土地自体は増えていないのに森だけが増えていき、そして、迷い混んだ人間は、それほど広くないはずの森で遭難し、出てこられなくなる」
わたしは少しだけ、身体を震わせました。
アルヴィ様はそこで口調を和らげ、肩を竦めて見せました。
「まあ、普通はそんな奥にまでいく人間はいない。レストリンゲの実でも欲しいと考えなければ、だが」
「え……」
わたしはぼんやりとした頭のまま、返します。「そんな危険な場所にある実だったんですか?」
「そうだね」
「か、軽くおっしゃいますが……」
「まだ食べ残しているみたいだね? せっかくだから全部食べておきなさい」
アルヴィ様がわたしの身体を見下ろし、何かに気づいたようにそう言います。それも、何というか緊張感の欠片すらない口調で。
そんなことを聞きたいわけじゃなくて、ですね。
「リンジーが……その種を植え付けられたのよ」
そこに、カサンドラがもう一度口を開いてわたしたちを見ます。「アタシは何とか逃げたけど……シュタインという魔物に会った。そして、リンジーを助けて欲しいとお願いした」
「まあ、無理だったろうね?」
アルヴィ様があまりにも簡単にそう言って。
「そうね」
カサンドラは乱暴に自分の頭を掻いて、深くため息をこぼしました。「でも、種を植え付けられる前に上手く逃げたアタシに、彼は言った。助けたいなら、自分でやりなさい、と。人間がどこまで頑張れるか見てみたい、と」
「そうだろうね、彼はそういう性格だ」
――知っていらっしゃる?
わたしはアルヴィ様を見つめます。
でも、彼はただ笑ってわたしを見つめ返すだけで、それ以上何も言いませんでした。
「シュタインはリンジーの時間をとめた。発芽させずに眠りにつかせた。その代わり、アタシにリンジーを助けて見せろと言った」
そう言ったカサンドラの言葉の後を、アルヴィ様の言葉が追いかける。
「僕が聞いたことのある情報通りだとすれば、シュタインの種は火に弱い。発芽する前に焼いてしまえばいい」
「ええ、その通りだわ。だから、アタシは魔術を必死に学んだ。火を操る魔術を」
「でも、普通の魔術では無理だろう。それこそ、強大な火の精霊の力を借りなくては」
「そうよ。だから、アタシは」
「なるほど、何となく解ったぞ、魔術師殿」
そこに、国王陛下の声が響きました。「つまりその女性は、我が国の宝玉を手に入れたかった、と?」
「ええ、まあ」
アルヴィ様が困ったように笑います。「今回の騒ぎの発端は……つまり、そういうことです。まあ、最悪な展開にはなりませんでしたが」
「どうか、お力をお貸しいただくことは」
カサンドラがそこでもう一度頭を下げ、揺らめく炎の精霊に向かって言います。でも、先ほどの精霊の言葉が翻ることはありませんでした。
ただもう一度、「そなたには貸せん」と拒否の言葉が返ってくるだけで。
しかし少しの沈黙の後、炎の精霊はアルヴィ様の背後で揺らめく風の精霊と何事か会話をしたような気配がありました。
そして、風の精霊がアルヴィ様の身体の中へと消えたと思った直後。
「古き友の言葉を受け入れよう」
と、炎の精霊が空気を震わせながら言いました。
――どういうことでしょうか。
わたしたちが炎の精霊を見上げていると、その巨大な炎がまるで巨大な鎌のように姿を伸ばして。
アルヴィ様のすぐ目の前に迫りました。
「その女ではなく、この男に一度だけ、力を与えよう」
炎の精霊がそう言った瞬間に、鎌の切っ先がアルヴィ様の胸元に飛び込んだ、と思いました。
そして、赤い光がそこで弾け、消えていきます。
「悪用すれば、お前の肉体も消えるだろう。だが一度だけ、力を使えるようにしてやった。後は好きにするといい」
「好きなように?」
アルヴィ様は苦笑しながら、そっと自分の胸元に手を当てました。それは光が消えた場所。
「使い道は限られているようですね」
「まあ、そういうことになるか。そなたも面白い男だな」
「何が面白いのかは言わなくて結構ですが。とにかく、魔術師としていい経験にはなるでしょうね。感謝いたします」
アルヴィ様はそれからカサンドラに近づき、小さく言いました。「さて、いこうか?」
カサンドラが困惑したようにアルヴィ様を見つめ返し、その言葉を理解した途端に表情を歪めさせました。
そして、掠れた声で囁きました。
「ごめんなさい」
「あの」
そこに、フランチェスカ様が慌てたように声を上げました。「もしかして、もうお帰りになられてしまうのでしょうか?」
「そうですね、残念ですが……」
アルヴィ様のその返事に、思い切り落胆したように息を吐いた彼女は、小さく続けました。
「助けていただいたお礼も満足にできずに……」
「いえ、もう過分なほどな力をいただきました」
アルヴィ様はそこで炎の精霊を見上げます。すると、精霊の影は激しく揺らぎ、まるで蛇が身をくねらせるかのような動きで、祭壇にある宝玉の中へとそれは吸い込まれていきました。
そして、この場に戻る静寂。
遅れてやってくる、その場にいた魔術師様たちや騎士様たちが話し合う囁き声。
「それでは、僕はここで失礼いたします」
アルヴィ様はそう言って、わたしに視線を向けました。「なかなか家に帰れないというのは疲れるものだね。どうするミア、一緒にこられるかい?」
「もちろん、ご一緒します!」
すぐにわたしはそう叫びます。
アルヴィ様に置いていかれるなんてごめんです。一緒にいる方が安心していられるはずですから、何としてでもご一緒します!
「……帰るのか」
と、少しだけ困惑したようなナイジェル様の声も聞こえてきました。




