第47話 その指輪は生贄の証
「にゃるほど」
ルークがニヤリと笑ってわたしを見つめます。わたしはその瞳を見つめ返した後、王女様へと視線を戻しました。
どことなく人見知りのような雰囲気を持つ王女様は、国王陛下の隣に並んで視線を床の方へと彷徨わせています。
国王陛下に促されて、この場に集まった皆に向けて何事か挨拶をされたようでしたが、その声は小さく、わたしのところまでは聞こえてきません。
でも、王女様が頭を下げて一歩下がり、国王陛下の背後に隠れてしまわれた後。
国王陛下の声だけがひどくはっきりと響き渡ります。
「この場には、世界でも有数の腕を持つ魔術師殿が集まっておられるようだ。ぜひ、お力をお借りしたい」
その場に、静かなざわめきが生まれます。
困惑と、何か期待のようなものが入り混じったもの。
「急に我が娘の指に、不思議な指輪が現れた。ふがいないことに、我が国の宮廷魔術師の力では外せないようだ。我こそは、と思われる魔術師殿、名乗りを上げてもらいたい。娘の指から、奇妙な指輪を外してもらえないだろうか」
「外したら、謝礼金はたんまり出そうだにゃ」
ルークは小さくそう呟いてから、辺りを見回します。それは明らかに、アルヴィ様を探している動きでした。
これはまさか――『それ』を狙ったものではありませんよね?
「お前は外せるのか」
と、ナイジェル様がオーランド様に訊いているのも聞こえましたが、オーランド様の返事はあまり芳しいものではありません。
しかし、この場に集まった高貴な方々の間には、熱気にも似た感情が動いた気配がありました。
王女様の不思議な指輪を外す。
何というか、王女様にお近づきになるためには、いい口実になるはずだからです。
「この国の宮廷魔術師にもできないことをやれたら――名前は売れるでしょうね」
オーランド様が苦笑しつつそう囁き、そうしている間にも国王陛下のそばではそれを狙う人々が集まり始めているようでした。
そして、気づくと流れ始める音楽。
大広間の隅には、音楽を奏でる楽隊がいて、この場の空気を乱さない程度の音量で優雅な音楽を奏でていました。少し聴いただけでも解るのですが、彼らは明日からの舞踏会で素晴らしい音楽を奏でるのだろうな、と期待できる腕前です。
そして――わたしの視線がある場所でとまりました。
ルークもまた、同じ場所で。
「お兄様」
シャルロット様が低く呟き、ナイジェル様の上着の裾をそっと引っ張ります。
そしてわたしたちは、ほとんど同時にその姿を発見したのです。
大広間に入ってきた人々の姿。歌劇団の人間だと思われる姿が数人、ひと際目立つ男性が先頭に立って歩いています。
何となくですが、その人がクリストフ様なのだと直感しました。
艶やかな黒髪と、涼し気な目元が印象的な、爽やかな美青年という雰囲気の方でした。
でも、気取った感じもなく、ただ清廉な雰囲気をまとった彼は、誰からも好かれるのが納得だと思うのですが――少しだけ、奇妙な感じもします。
「あのねーちゃんに操られてるんだよ」
ルークがまた小さく囁きます。
そういえば、ダニエラ様もクリストフ様の様子がおかしいとおっしゃっていたはずです。つまり、カサンドラに操られて動く人形という感じなのでしょうか。
彼の背後には、ダニエラ様もいらっしゃいました。
彼女の表情も、あまり生気というものを感じられません。何だかクリストフ様と同じような印象です。
綺麗に着飾って、とても目立っていらっしゃいますし、彼らと一緒にいるダニエラ様だけを見れば、歌劇団の一員と言ってもおかしくはないでしょう。それでも何となく、他の団員の女性たちとは違う雰囲気が隠せてはいませんでした。
やはり、貴族様と一般人は違うのだ、と思わせる何かが感じられて。
そして、ダニエラ様の後に続いて姿を見せたアルヴィ様。
でも、気配で解るのです。
それは、アルヴィ様じゃなく、カサンドラです。
彼女はこちらに気づいて冷ややかに微笑み、その細い人差し指を自分の唇の前に立てて見せました。まるで、何も言うな、行動するな、と言いたそうな動き。
「くそ」
ナイジェル様の舌打ちが聞こえます。
「手ぇ出すなよ」
ルークがナイジェル様に釘を刺します。
「解っている」
そう返事がありましたが、その声には明らかな苛立ちが含まれています。
そして、カサンドラがわたしたちから目をそらし、王女様の方へと目を向けて、少しだけその瞳に困惑の色を浮かべたのが見えました。
王女様のそばに集まる、どこかの王子様たちと、彼らが連れてきた魔術師たち。
さすがにただの貴族という立場の男性たちは、その近くに寄ることもできません。
遠巻きにして彼らを見つめ、王女様の指にある指輪について、ああでもない、こうでもない、と言いあっている様子をカサンドラはひどく難しい表情で見つめていました。
「予想外って顔だにゃ」
ルークはそう楽し気に呟くと、肩に乗ったわたしを撫でつつ、彼らから興味を失ったと言わんばかりにその場を離れます。
「あの、ルーク?」
「いい匂いすんのはあっちだろ? 食いもんあるんだろな」
「あの、ルーク。大変申し訳ないんですが」
「ああ?」
「わたしの身体で暴飲暴食はやめていただきたく! 太ってしまいます!」
「胸を太らせるから気にすんなし」
「そう簡単に太らせる場所を選べるとは思えません!」
「おい、どこにいく」
ナイジェル様がそう鋭くわたしたちに言った瞬間のことです。
――さて、始めようか。
と、頭の中でアルヴィ様の声が響いた気がしました。
そしてそれは気のせいではないようで、ルークも緊張したように足をとめます。そして、恨みがましい目つきで天井を見上げます。
「マジか、ご主人。始めるの早いぞ。俺様、まだメシ食ってない……」
ぶつぶつと呟くルークをよそに、それは始まったのです。
どさり、という音がすぐそばで響きます。
わたしたちはその音がした方へ――足元へと視線を落とします。
すると、そこには見覚えのある女性の身体が転がっていました。
カサンドラの肉体。アルヴィ様のお屋敷で、眠っているままだったはずの身体です。
その場に倒れこんで意識を失っていたはずの彼女は、僅かに呻いた後に目を開きました。
そして、勢いよくその身体を起こし、慌てたように辺りを見回して。
「何よ、これ」
そう、混乱しきった声がその唇からこぼれます。「どういうこと?」
その直後、わたしの全身の毛が総毛だつような感覚に襲われました。
それは、恐ろしいまでに強大な魔力の流れです。
そしてそれを感じたのはわたしだけではありませんでした。
ルークも、オーランド様も、この大広間に集まった魔術師様、ほとんどが身体を硬直させてそれぞれが行動を起こそうとしていました。
自分の主を庇うように、そしてその強大な魔力の持ち主と戦うように、誰もが緊張してその『声』を聞いたのです。
「その指輪は生贄の証じゃ。誰にも外せん」
大広間の入り口。
そこに、その気配が現れて。
凄まじい風が飛び込んできて、大広間を駆け抜けた、と思いました。
闇の色の巨大な影。
それは、最初、人型をしていました。
わたしが最初に見た、コーデリア様の姿。恐ろしいと感じた、黒い姿。
それはあっという間に、青みを帯びた鱗を持つ美しい女性の形に変化し、誰の目にも魔物だと解る存在として突如、そこに出現したのです。
「妾は地を這う者の王。青き血を持つ、高貴な生贄の血を所望する」
コーデリア様がそう言ったのが聞こえて。
それは地の底から響くような、凄まじい迫力の声。
わたしにとっては、懐かしい声でもあり、ほっとするような感じもあったのですが、当然ながら大広間に集まった人々にとっては恐怖の対象であったでしょう。
実際に、女性たちの悲鳴が響きましたし、大広間から逃げ出す人々の姿も見えました。
で、でも。
ちょっとこれは、何というか。
演劇でも見ているような、微妙な思いがわたしの中に芽生えているのは間違いありませんでした。




