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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第44話 幕間<ミランダ視点>

 アルヴィ・リンダールという名前はフェルディナンド王国の中では有名らしい。

 パーシング歌劇団のお抱え魔術師であるフィリップ・モンローも、アルヴィ様の実力は本物だと言っていたことがある。そんな話題が出たのは、いつだったろうか。

 団員の皆で食事をしていた時、何かの話題のついで、だった。

 国王陛下にも一目置かれる魔術師がいるのだ、と。

 あまり人間の寄り付かないリーアの森に住んでいるのだ、と。

 それが、今はそのアルヴィ様が一緒にこの歌劇団と食事を共にすることになるなんて、誰も予想だにしなかったことだろう。


 隣国で行われる舞踏会に呼ばれることになった時、わたしたちは驚いたし喜んだ。

 パーシング歌劇団の名前が隣国にまで届くようになったのだ。

 まあ、もちろん、そうさせたのはパーシング歌劇団の人気を引き起こすことになったクリストフ・アッシャー様の力であるのは否定できない。彼がいなければ、きっとこんな名誉ある立場にはなれなかっただろう。

 それでも、発端が何にしろ、団長であるジャック・パーシングの浮かれようは凄かった。そして、絶対に失敗できない舞台なのだ、と皆を鼓舞して準備を進めた。


 それなのに、魔術師のフィリップが原因不明の病に倒れ、同行できないと解った時、大騒ぎになった。

 何しろ、魔術師というのは重要な役目だから。

 何かトラブルがあったときの解決係、さらに体調が悪い人間の治療まで行うのだから、彼を失うのは舞台の失敗をも引き起こす。


 そこに、偶然声をかけてきてくれたのがアルヴィ・リンダール。

 それに飛びつかない理由があるだろうか。


 最初、なぜかクリストフ様は彼を団員として受け入れるのに難色を示した。

 有名な魔術師とはいえ、ずっとわたしたちの仲間として、そして家族として歩んできたフィリップとは違って、アルヴィ様はただの『他人』だ。

 でも、他の団員の説得に負けて、クリストフ様もアルヴィ様を臨時的に歌劇団の魔術師として受け入れた。


 アルヴィ様はとにかく、クリストフ様とは違う方向で団員の女性たちに人気になった。

 言葉では表せない色気がアルヴィ様には感じられたし、男性に対してはともかくとして、女性には優しかった。

 若干、そのせいで男性には嫌われているようだけれど。


 わたしも最初は、何となくアルヴィ様に近寄りがたい雰囲気を感じて遠巻きに見ていた。

 でも、ある時偶然、見てしまった。

 皆が舞台の練習をしている時、空いている部屋で休んでいたアルヴィ様を。その時の彼は、椅子に座ったまま浅い眠りについていた。

 そして、そんな場所で眠っていたせいなのか、悪い夢を見て苦しむ彼の青白い頬。

 うなされて囁いた言葉は、明らかに女性の名前を呼んでいた。


 アルヴィ様の眠りは短く、すぐに目を覚まして額に手を置いてため息をついた。

 そして、わたしの視線に気づいてその表情を強張らせてこちらを見る。


 だから、わたしは慌ててしまったのだろう。

 困惑し、どうしたらいいのか一瞬だけ考え、そして訊いた。

「寝言で呼んでいたリンジー様って、アルヴィ様の想い人のお名前だったりします?」

 ――と。


 彼がさらにその双眸を凍らせたことで、まずいことになった、と思った。

 余計なことを訊いてしまった、と。

 でも、彼はやがて永遠に続くような張り詰めた沈黙の後、薄く微笑んでわたしに言った。

「違う、ね」

「じゃあ」

 余計なことを訊いてしまったついで、だ。

 わたしはさらに踏み込んで訊いてみることにした。

「ご家族とか?」

「……幼馴染みだよ」

 彼は椅子の背もたれに身体を預け、疲れたように笑う。「もうずっと、会えていないけどね」

「どこか遠くに住んでいるとかですか? だから会えない?」

「ああ、すごく遠くに」

 そう言ったアルヴィ様の表情は、とても苦しそうで、そして近寄りがたいと思っていた彼の雰囲気を壊すようなもので、わたしとしては困ったな、という感じ。

 だって、そうじゃない?

 相手はものすごく綺麗な人で、そして苦しんでいるのが見えてしまうと。

 助けてあげたい、と思ってしまうのは自然な流れなわけで。


「君の名前は?」

 アルヴィ様がそう訊いてきて、わたしの心臓が暴れ始める。

「ミランダ、です。ミランダ・コートニー」

「そう、ミランダ。君は衣装係?」

 そこで、彼はわたしの腕の中を見た。わたしは今、舞台衣装を抱えて衣装室に向かう途中だったのを思い出す。皺にならないように、つるさないといけないと思っていても、今の状況から抜け出すなんてとんでもない。もう、二度とアルヴィ様とこうして彼の個人的なことについて会話できないかもしれないと思うと、他のことは二の次だ。

「そうです」

 そう頷いてから、わたしは急に思いついたことを口にする。「解った! それで幼馴染みのそのリンジー様って、もしかして隣国にいらっしゃるんですか? だから、この歌劇団に声をかけたっていうなら納得できます。なかなか隣国に行くことなんてないですもんね! ってことは、やっぱりその、ただの幼馴染みって相手じゃない、のか、なんてー」

「ミランダ。……困ったな。そうじゃない」

「すみません、その、わたし」

 質問を急ぎすぎた、かな、と不安になる。

 確かに二度とない会話のチャンスだったかもしれないけれど、でも。


「……僕はね、誰も好きになれないんだよ」

 ふと、アルヴィ様が苦々しく笑って息を吐く。

 わたしはそんな彼を見つめ、首を傾げて次の言葉を待った。

 すると、意外なことを言うのだ。

「……たし、いや、僕は『普通の人間の心』を持っていないんだ。誰かを愛することもできないし、普通の人間なら持っているはずの優しさも持っていない」

「え?」

「まあ、遊びでなら誰でも大歓迎だけど」

 と、アルヴィ様が椅子から立ち上がってわたしの頬に手を触れるものだから、ちょっとムカッときて文句を言ってみる。

「わたしは遊びで誰かと付き合うなんて、絶対に無理ですけど!」

「真面目だね」

「アルヴィ様は不真面目ですね。ちょっと、意外でした」

「不真面目か。それは不本意だ」

 と、そこで彼は困ったように言葉を区切り、何事か考えこんだ後に言った。「真面目な話をするとね、リンジーは……僕が助けなくてはいけない相手なんだ」

「助けなくてはいけない?」

「そう。そのために、何でもする。それが今の自分だ」

「えーと……」

「リンジーは僕のせいで死にかけてる。だから助けなくてはいけない。ただそれだけ、義務感だよ」


 義務感?

 とてもそうは思えないな、と思う。だって、悪夢にうなされて名前を呼ぶくらいだもの、きっとそれは嘘だ。


「彼女を助ける方法はある。炎の精霊の力を借りれば、だけどね」

「炎の精霊?」

「ああ。エーデルマン王国の炎の宝玉、それを使えばリンジーは助かるし、きっと僕も『奪われた心の欠片』を取り戻せる」

「心の欠片……」

「君は知らない方がいいね」

 ふと、アルヴィ様は唇を歪めるようにして笑った。何だか露悪げな笑み。わざと作っているような、悪意の塊。

「可愛い子は、何も知らずにそのままの方が」

「口の上手さはクリストフ様以上ですね」

 うーむ、何だか変な感じ。

 アルヴィ様のイメージは何だか急に変わってしまったし、この距離感もおかしい。

 今、アルヴィ様はわたしのすぐ前に立って、肩に手を置いている。何だかものすごく、親密な感じじゃない?

 まずいぞ、これは!

 何だか、何だかこれは! ちょっと、期待してしまうかもしれないんだぞ!


 そんなことがあったからかもしれないけど、何だかあれ以降、わたしもアルヴィ様も、時々会話をする機会が増えた。

 アルヴィ様のファンは団員の中にいるし、やっかまれるのも厭だから目立つ行動はできない。だから、機会があればこそっと、少しだけ、だけど。


「アルヴィ様? お食事の準備ができてますけど」

 宿屋の裏庭で、アルヴィ様の姿を見つけてそう声をかけると、一瞬の間の後返事があった。

 何だかその顔色が酷く冴えないように見えて、気分でも悪いのかな、と心配になる。

 でも、会話してみると普通だし……普通にわたしをからかうし。うん、やっぱり体調が悪いわけではないのかな、と思った瞬間。


「何だか、変な感じがする」

 と、アルヴィ様は食堂へと向かう廊下で足をとめ、少しだけ考えこむ。

 その横顔があまりにも真剣なので、わたしは首を傾げた。

「何かあったんですか?」

「いや……ないから不思議なんだ」

 彼の言葉はさらに不可解で不思議だ。わたしは返事に困って眉を顰めると、アルヴィ様はくすりと笑ってわたしの頭を撫でた。

 うん。

 やっぱりちょっと、これは困る、と思った。

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