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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第42話 殺したくはなかったけど

「無謀じゃないでしょうか」

 わたしはルークの肩に乗った状態で、目の前にある宿を見上げました。

 二階建ての、よくそこらじゅうで見かけるタイプの宿に見えます。普通の旅人が寝泊まりする、普通の宿。

 宿屋の屋号を示すのでしょうか、入り口脇の壁に下げられた鮮やかな色の旗には、止まり木で羽を休める鳥の模様が刺繍されています。

 薄暗くなりかけた街の中を歩き、ルークは迷いもなくこの建物の前に立っています。確かに、この中から強い魔力の気配が感じられるのですが、何だかその気配がごちゃごちゃしていて気持ち悪いのです。

「無謀でもなんでもいい。男なら、やるときはやらねばならんのだ」

「男らしいと無謀は紙一重ですけどね」

「うるさいにゃ」

 ルークは今、先ほどよりは動きやすい格好をしています。

 ダニエラ様からお借りしたドレスではなく、わたしが着てきた普通の服。路地裏を歩いても違和感のない、質素な格好の町娘といった感じでしょうか。

 だから、この宿屋のそばにいても特に問題はなさそうでした。

 宿屋に出入りする人々も、特にわたしたちに注意を払う様子もありませんでしたし、誰もが忙しそうに通り過ぎていきます。

 夕飯時だからでしょう。

 宿屋からは、懐かしい感じの食事のいい香りがしています。


「あまり近づくと、気づかれますよね。もう近づきすぎているのでは?」

 わたしは先ほどのカサンドラが現れた時のことを思い出します。彼女はいきなり、わたしたちの前に現れました。きっと、こちらの気配に気づいたからだと思うのですが。

「ちょっと人気がなくなるまで、離れるか?」

 ルークが低く呟き、そのまま宿のそばから離れ、それほど広くない通りを歩いていきます。大通りとは違って、少しだけ狭い道でしたが、宿屋がある場所だからかもしれませんが、人通りが絶えることはなさそうです。

 道の両脇にある店も明かりを灯しつつ営業を続けていましたし、明らかにお酒などを提供する飲み屋みたいな店も多くありました。

 それらの店に入っていく人々も、旅人らしき姿が多く、商人や剣を携えた剣士、魔術師、他にも色々な職業の人間らしい姿が見えました。


「魔術師がゴロゴロうろついているってのは俺様たちにとっちゃ、ラッキーだぜ。気配を隠す隠れ蓑になってくれる」

「人気……なくなりそうにないですけどね」

「それでもにゃ、もうちょっと時間を潰さなきゃならねーの」

「何でです?」

「まだ、あのねーちゃんの魔力の気配の方が強いからにゃ。ご主人の気配がもうちょっと感じられるようになったら突撃する」

「突撃……」

「しかし、腹減ったにゃ」

 そこで、ルークは自分のお腹を押さえ、唇を尖らせて不満を口にします。「何で本当に、人間の身体ってこんなに不便なんだ? ぐるぐる鳴るのは喉だけで充分だろ」

「猫は喉、人間はお腹が鳴るようにできているのです」

「不公平だ」

「そうですね」

「まだレストリンゲの実も売れてないから、金もねーし」

 と、ルークは通りがかった飲み屋の軒先で足をとめ、恨めし気にその店の中を覗き込みました。

 香ばしく肉の焼ける匂いが店の外にまで漂ってきているのは、確かにルークにとってはつらい状況だと思います。

 わたしは彼の頬に身体をこすりつけ、力づけるように言いました。

「もうちょっと頑張ってください。きっと……ナイジェル様の宿に戻れば、何か食べられると思いますから」

「おー……」


 すっかり空が暗闇に染まる頃、ルークは目的の宿屋に向かって歩き出します。

 そうして歩いていると、酔っ払いらしき男性に何度か声をかけられることになりました。時間的に、あまり若い女性が歩くには適さないのでしょう。さすがに、人目を引くような状況になってきていました。

 ルークは少しだけ宿屋を遠巻きに観察した後、裏口の方へ回り込みました。

 裏口とはいえ、結構広い門がついています。それは、馬車などを入れる建物がそちらにあるからだと気づきます。

 馬の嘶きが時折低く聞こえています。

 人の姿が見えないことを確認しつつ、ルークは門の柵を乗り越えるため四苦八苦しました。


 すみません、運動能力が残念で。

 わたしが申し訳ないという気持ちを抱えつつルークを見つめると、何か言いたげな彼の視線が返ってきます。

 でも、こんなことをしている場合ではありません。


 裏庭は結構広く、大きな植木も充分に葉を茂らせています。時々、宿屋の方から人の気配や話し声を感じるたびに、隠れる場所を探しつつ移動を開始します。

 そして、ルークは小さく囁きます。

「いけるぜ、娘」

 何だかよく解りませんが、わたしはそれに頷いて見せました。


 宿屋の中に入り込むのは、ちょっと無理ではないかと考えました。

 でも、なぜかルークは自信満々で、それに励まされるようにわたしも一緒に付き従います。彼に言われるままに空を飛んで宿屋の様子を見たりしているうちに、わたしもだんだんとアルヴィ様の気配というものがどれなのか、区別がつくような気がしてきました。

 ひと際目立つ気配、というのでしょうか。

 何か、異質な感じのする気配を感じるのです。


 そしてそれは、どことなくルークの――ミア・ガートルードの中にある魔力と少しだけ似ていました。

 それが多分、レストリンゲの実によって得られた力なのかもしれないと思います。


「覚悟しとけよ、娘。多分、俺様たちは見つかる」

 さすがに宿屋の中は人の姿が多く、タイミングを計って忍び込もうとしても難しそうでした。でもそのうちに、ルークが少しだけ緊張した様子で言うのです。

「あの女、多分、こっちに気づいたにゃ」

「え」

「でも、大丈夫。いける。俺様に任せろ」

「そ、そんなことを言っても」

「俺様が言った通りに動け。解ったかにゃ?」


 ――はい、と応えようとした時でした。


「本当、こりないのね」

 と、暗闇の中、裏庭の植木のそばに身を隠していたわたしたちの前に彼女が姿を現しました。

 それは、王城の前で姿を現した時と同様に唐突で、あまりにも自然な魔力の流れと共に。

 目の前にいる彼女は完全に呆れたような表情でしたし、どことなく失望したような感じでもありました。

「もうちょっと、頭がいいと思ってたのに。所詮、使い魔ってバカなのかしら」

 彼女はそう言って、いきなりルークの胸元に手を伸ばしてきました。

 服を掴んで引き寄せようとしたのでしょうが、一瞬早く、ルークは飛びのいて距離を取りました。

 わたしもルークの肩から飛び降りて、ルークとカサンドラの間の地面に四つの脚で立ちます。そして、威嚇をしつつ言いました。

「ダニエラ様を返してください」

「ねえ、あなたたち」

 カサンドラはその唇を歪めて嗤います。「アタシ、あなたたちがおとなしくしてくれるなら誰も殺すつもりはなかったの。特に、女の子に手を上げるなんて最低だと思ったしね」

 彼女の表情は、ゆっくりと冷えていきました。

 口元に浮かんだ笑みも消え、その双眸に今までとは違う輝きが灯ります。

 そして、感じたこと。


 ――怖い。


 首の後ろの毛が逆立ちます。

 そして唐突に気が付くのです。


 これは、殺気だ、と。


 ルークが地面を蹴る音が背後から聞こえ、わたしもそれに倣って同じように地面を蹴って目の前にいるカサンドラに飛び掛かろうとしました。

 そして、その場に響くのはカサンドラは呪文の詠唱。

 また、見えない壁がわたしたちの周りに取り巻いて出来上がり、そして。


「ごめんなさいね」

 と、いつの間にかカサンドラがルークの背後に立って、ルークの――ミア・ガートルードの首に左腕を回しています。そしてもう片方の手には、暗闇の中でも鈍く光るナイフを持っていました。

「放せ!」

 ルークが暴れると、さらに彼女の腕に力がこめられました。

 カサンドラの表情は、少しだけ苦しそうでもありました。

「殺したくはなかったけど、あれだけ警告しても追ってきたあなたたちが悪い。仕方ないのよ、これは」

「いいから放せ!」

「ナイフは嫌いだけど、これ以上アタシも魔力を使いたくない。できるだけ長引かせないようにするし、きっと……痛みは一瞬だわ」

「バカにすんな!」

 ルークが彼女の左腕に噛みつきます。

 一瞬だけ、緩んだ彼女の腕。


 そこで、わたしが彼女に向かって飛び掛かります。

 彼女の腕に噛みつこうとして、逃げられる。

 だから、次は前足で彼女の腕を――アルヴィ様の腕を引っ掻きました。


「く……」

 彼女の腕から逃げるルーク、そして慌ててそれを引き戻そうとする彼女。

 でも、ルークの腕に手が届かないと気づいた彼女は、右手に持ったナイフを一閃させました。

「ダメ!」

 わたしがルークを庇おうと飛び掛かるのが遅く、そのナイフはルークの頬と耳に横一文字の赤い線を引き、血の飛沫が飛び散ります。


 ルークが顔を手で押さえますが、その指の合間から血が流れ落ちていくのが見えました。

 それでもルークは口元に不敵な笑みを浮かべつつ、彼に近寄って寄りそうわたしに向かって叫びました。


「娘、噛め!」

「えっ?」

 困惑するわたしに彼はさらに強く命令しました。

「噛んで、使い魔の魔力をご主人に流し込め! そうすれば、ご主人も目を覚ますはずだ! そうすりゃ、全部終わりなんだ!」

「え、はい!」

 慌ててわたしは彼の命令に従い、カサンドラに向かってもう一度飛び掛かりました。


 これで、最後にできる。

 そう信じて。


 でも、カサンドラの手はわたしよりも素早く、そして的確に動きました。

 気づけばナイフの切っ先がわたしに向かってきていて。

 それを避けて、彼女の腕に噛みつこうとした瞬間、凄まじい痛みが身体を突き抜けます。


 わたしの喉から上がった悲鳴は、自分でもどうにもならない、苦痛によるもの。

 喉の奥に血の香りが広がります。

 そして、目の端に見えたのは、ルークの小さな肉体の、お腹に柄の部分まで突き刺さった彼女のナイフ。


 ナイフが引き抜かれる感覚は、恐ろしいものでした。内臓すらも抉り出されるかのような感覚。

 それでも。

 わたしは何とか翼を羽ばたかせ、血を吹き出させている小さな身体を反転させ、カサンドラの腕に飛びついて噛みついてやったのです。

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