第41話 起こしに行こう
カサンドラの姿が掻き消えるようにその場から消失すると、わたしたちの周りにあった魔術の壁も消えて喧騒が戻ってきます。
そして、ダニエラ様の姿もなく。
人々の流れの中に取り残されたのは、ルークとわたし、ナイジェル様とシャルロット様。
「……どうしよう、ルーク」
わたしは茫然と呟きました。その直後、あることを思い出してわたしは自分の頭を掻きむしりたい衝動に駆られます。
「コーデリア様を呼べばよかった……。そうじゃないですか? そうすればきっと、コーデリア様が助けてくださったはずです。だって、ものすごい力をお持ちなんですよね?」
わたしがルークを見上げてそう言うと、彼はバカにしたようにわたしを見下ろしてきます。
「ダメだろ、あのねーちゃんを呼んだらそれこそ大騒ぎになんぞ? こんな街中で姿を見せていい奴じゃにゃい」
「そ、そうでしょうか」
「お前は解らないだろーけど、どうやらこの辺りには魔術師連中がたくさんいるらしい。そんなところにあのねーちゃんを呼びよせてみろ、寄ってたかって攻撃されるに決まってるにゃ。それこそ、どっかん、どっかん、魔力のぶつかり合いよ」
「でも」
わたしは唇を噛みました。猫の犬歯が突き刺さる感触は、人間の時の比ではありません。
でも、どうしても考えずにはいられないのです。
「こうしてダニエラ様が危険な目に遭ってしまったのは、わたしたちのせいです」
「まーな」
ルークもそれには素直に頷きました。
すると、それを聞いていたナイジェル様が静かに口を開きました。
「お前たちに関わるといったのは俺だ。だから、元は俺のせいでもある」
「いえ、それは」
わたしが否定しようとすると、彼はそこで薄く笑って肩を竦めました。
「それに、運よくオーランドはここにいなかった。あの男だか女だか解らんヤツだが、こちらに魔術師がついていることは知らないだろう?」
「男だか女……」
「今頃は、オーランドが奴らが泊っている宿を突き止めているはずだ。オーランドが帰ってきたら今後の策を練ろう」
「ゆっくりしていて大丈夫なの、お兄様」
シャルロット様の声は酷く緊張しているようでした。「こうしているうちに……お姉様は何かされてしまうのでは?」
「もし、そうなったとしたら」
ぎりり、という歯ぎしりの音が響きます。
ナイジェル様は冷静な表情をしているように見えましたが、それはただの仮面にすぎませんでした。
「ハイデッカー家の持てる力を全て使って、あのオトコオンナを叩き潰す」
平静に見えた彼でしたが、ものすごく怒っていらっしゃったのでした。
「困ったことになりましたね」
オーランド様は窓の桟のところに寄りかかり、深いため息をこぼしました。
わたしたちは、ナイジェル様に促されるままに彼らの宿に寄ることになりました。
その宿は高級なところなのだと思います。貴族という立場の人々が寝泊まりしても満足がいくような、貴族のお屋敷そのままの建物でした。
玄関ホールに集まっていた人々も、服装から明らかに今回の舞踏会に呼ばれたのではないかと思われる人たちでしたし、彼らに付き添う人々すらも一般人とは思えない物腰をした方たちばかりでした。
でも、間違いなく宿屋なのでしょう。
高級な造りの受付カウンター、荷物持ちのために控える使用人、さりげなく命令を待って控える人々の姿。
そして、宿の人間に案内された部屋も、数人どころか十人以上が寝泊まりしても問題なさそうな広さを持っていたのです。
そのおかげで、どんな会話でも他の部屋の客人に聞こえないだろうとは思えました。
「彼らの泊っている宿は、ここほど警備のしっかりしたところではありません。だから、忍び込むことは簡単にできるとは思いますが」
と、オーランド様は話を続けます。「下手に接触すれば、ダニエラ様が危険だということですよね」
「そうなるな」
ナイジェル様も頷いて、窓際に置かれた椅子に座ってオーランド様を見つめます。「お前はどう思う? 自然に接触するのを待つとすれば、舞踏会まであと数日だが」
「そうですね……」
そこで、オーランド様が椅子に座らずに床に座り込んでいるルークを見下ろしました。「まずは、話を整理しましょう。君が前に説明してくれた話です。あの魔術師の狙いは、エーデルマンの王城にある宝石であるということ。それと、王女様、である」
「その通りにゃ」
ルークの座り方は、とても女の子らしいとは言えませんでした。
疲れたように胡坐をかき、せっかくダニエラ様にお借りしたドレスの裾にも皺ができてしまうような格好です。でも、それを指摘するような空気にはなってくれず、わたしも無言で彼らの言葉を聞いています。
「だとすれば、その魔術師……カサンドラ、でしたか、彼女も下手に目立つ行動はしないでしょう。やはり、舞踏会が始まってからでしょうね」
「そう言い切れるか? 我々の存在を気にして、早めに行動を起こすことだって考えられるだろう」
ナイジェル様の声には疑念が混じります。
それは確かにその通りだと思うのですが、オーランド様は僅かに首を傾げて見せました。
「どうやら今日、彼らが王城に入ったのは、舞踏会での舞台劇の打ち合わせのようでした。城の中には彼らのために会場を作ってあるようですが、彼らが舞台劇を披露するのは舞踏会二日目からです。初日にリハーサルを行うようですが、それまで彼らも城には行きません」
「つまり……それまでは安全だと?」
「そう、信じたいですね」
「初日のリハーサル、それはわたしたちも見られるのかしら」
シャルロット様が眉根を寄せつつ言いました。「それに、お姉様はそのリハーサルに連れていかれる? もしかしたら宿に残されるなんてことも? そうしたら、二手に分かれて行動した方がいい?」
「どうでしょうね」
オーランド様はシャルロット様を見つめます。
シャルロット様もまた、ナイジェル様のそばにある椅子に座り、どことなく疲れた様子を見せています。さすがにこんな状況だからか、オーランド様に寄りそうこともなく、真剣な表情のままです。
「我々の存在を気にしているのなら、間違いなくダニエラ様を近くにおいておくでしょう。何しろ、その魔術師はダニエラ様を『人質』と言ったそうですし」
「そうだな、宿に残していくとは考えにくい」
ナイジェル様が言葉を引き継ぎました。「だとすれば、やはり舞踏会当日、城内で上手く姉上に接触できるように動こう。もともと、俺は王女の婿探しには興味ない。姉上の奪還に最善を尽くそう」
「お兄様、わたしはどうすれば?」
「お前はおとなしくしてろ。危険なことは、俺とオーランドがやる」
「そう……」
シャルロット様が唇を噛み、悔しそうに表情を歪めました。
何となく、その心の動きが読み取れると思いました。
もしわたしが彼女の立場だったら、何もできない自分のことがもどかしいと感じるはずだからです。
「お前たちも、勝手に動かないでくれ」
ナイジェル様は次に、わたしたちにそう言います。床の上に座り込んだルークのそばで、わたしも皆の会話を聞いていたのですが、どうしてもそれに頷くことはできませんでした。
「姉上を無事に助け出すためだ」
――そう言われてしまうと。
「……はい」
そう返すことしかできません。
それでも。
――アルヴィ様はどうなるんだろう。
わたしはぼんやりと考えました。
「とにかく、俺たちがとった宿には寝室がいくつかある。まあ、そういうところを選んだんだが」
夜になると、ナイジェル様がそうわたしたちに声をかけてきました。「お前たちも休むといい。また明日、落ち着いてから話そう」
「ありがとにゃ」
「解りました」
わたしとルークが相変わらず床の上に座っているのを、彼は困ったように見下ろして続けます。
「まさか、そこで寝るつもりじゃないだろうな? ベッドを使え」
「解ったにゃ!」
何だか不自然なほど、ルークは素直に立ち上がります。
でも、きっとその不自然さに気づくのはわたしだけです。疲れている時や、それ以外の時でも、ソファに寝転んだら絶対に起き上がろうとしない彼。座り込んだらなかなか動こうとしない彼。
それがルークです。
でも、彼らはいつものルークを知りません。
わたしは困惑しつつルークを見上げましたが、ナイジェル様たちは何事か目配せし合った後、わたしたちのそばを離れていきました。この部屋から続いている隣室へと三人が消えるのを確認した後、ルークがまたわたしのすぐそばにしゃがみこんで囁いてきました。
「ご主人の魔力の気配が強くなってる」
「え?」
わたしも彼と同じように、囁き返します。「まさか、近くにきているとか……」
「いや、違うにゃ。多分、そろそろ目を覚ますんだ」
「あ」
もし、そうなら。
アルヴィ様が目を覚ませば、何もかも解決じゃないですか?
もしそうなら。
「起こしに行こう」
「え?」
「ご主人たちが泊ってる宿の場所は、気配で解る。とっとと起こして、終わりにしよう」
「え、でも、あの。勝手に動くなと、ナイジェル様たちが」
「娘ぇ、俺様たちのご主人は誰にゃ? あいつらか?」
「いえ、違いますけど」
「だったら行くぞ」
「えええ……」
わたしは少しだけ躊躇しましたが、ルークのきらきらした瞳に負けて立ち上がります。そして、床を蹴って彼の肩の上に飛び乗りました。




