第39話 見つけたはいいけれど
馬車を宿に行くよう召使たちに指示した後で、ナイジェル様は改めてわたしたちに向き直りました。
「それで、これからどうするつもりだ」
「えーと」
わたしはぎこちなく辺りを見回します。
この場には、ナイジェル様とダニエラ様、シャルロット様、シャルロット様の付属物扱いされているオーランド様がいらっしゃいます。
そして、さらに大通りにはたくさんの人々。
「とりあえず、城に様子見に行くぜ」
ルークが男らしく腕を組み、小さく笑います。
すると、ナイジェル様もそれに頷きます。
「じゃあ、付き合おう」
それを聞いてダニエラ様とシャルロット様が意味深に視線を絡み合わせましたが、すぐに私たちに視線を戻してそれぞれ微笑みます。
「観光がてら行きましょうか」
「デートがてら行きましょうか、オーランド」
「デート……」
三人三様と言った感じの彼らを連れて、わたしたちは大通りを歩いていきます。
目立つ行動は避けて欲しいとのオーランド様の希望で、それなりに観光客らしい雰囲気を装えたと思います。
特に、ダニエラ様については完璧でした。
彼女は大通りに立ち並ぶ商店を覗きつつ、『後で買うものリスト』なるものを頭の中に書き込んでいるようで、女性が好みそうなお店の場所を覚えようとしていました。
まあ、色々と気になる点はありましたけれども、わたしもルークもそれどころではなく、ただエーデルマンの王城が少しずつ近づいてくるのを見上げていたのです。
「やっぱ、ご主人だと思うぜ」
ルークが首を傾げつつ、若干の諦めの表情をしています。「ってことは、もしかしたらもう王女様を襲ってるかもしれん。性的に」
「怖いことを言わないでください」
わたしは彼の肩の上で爪を出し、これからひっかくぞ、というそぶりをして見せます。でも、彼の言っていることは可能性としたらかなり高いわけです。
本当に怖いことですが。
わたしは爪を引っ込めて、ルークに訊きます。
「今すぐ忍び込んだ方がいいでしょうか」
「お、やる気になったか」
「まだ舞踏会も始まっていないこの状況では、見つかったら終わりだな」
我々の会話を聞いていたナイジェル様が小さく言いました。「余所者が王城の中で見つかれば、言い逃れもきかない。今日忍び込むのだとしたら、完全な自殺行為だろう。やはり、舞踏会まで待つべきじゃないか」
「でも」
わたしがそれでも急がなくてはいけない、と言いかけた時でした。
「あら、もしかしてあの馬車」
と、ダニエラ様が声を上げました。
わたしたちはもう随分と王城のそばに近づいてきていて、王城を取り巻く高い塀のすぐ横を歩いていました。このまま進んでいけば、王城正門の前に立つことになるでしょう。
その正門の辺りに、大きな馬車が何台も停まっているのが見えたのです。
何というか、貴族様が乗られるような馬車ではなく、実用的で堅牢な造りの、そして派手な模様が描かれたもの。
「クリストフ様の歌劇団のマークね」
ダニエラ様はそう言って頬を緩め、足早にそちらに向かっていってしまいました。
それを見送って、ナイジェル様がまたため息をつきます。
「まさか、こんな場所で出待ちとやらをすることになるとは思わなかった」
「出待ち、ですか?」
わたしが問いかけると、ナイジェル様はわたしを見つめて頷きます。
「歌劇団のファンとやらは、礼儀正しく外で待つのだそうだ。お目当ての役者が建物の外に出てくるのをな」
「待って……どうするのですか」
「陰ながら見守る」
「……見守ってどうす」
「知るか! 姉上に訊け!」
「え、あの、すみません!」
「すまん」
そこでナイジェル様は我に返ったようで、慌てたようにぎこちなく微笑みます。「怒鳴って悪かった」
「いえ、別にそれは気にしませんが」
わたしがダニエラ様の方に目をやると、どことなくそわそわしつつ、その馬車を遠巻きにしつつ見守る背中が見えました。
その様子が何だかとても可愛く見えるのです。大人の女性だと思いますし、可愛いとおいう表現は似つかわしくないのかもしれませんが、それでも彼女のうきうきした様子が愛らしいというか。
「みっともないと思わないか」
ナイジェル様が小さく問いかけてきます。「姉上はもうどこかの貴族と結婚していてもおかしくない年齢だ。それが、いつまでもあれだ」
「いいえ、好きな方がいらっしゃるのならあれが当然ではないですか?」
わたしはナイジェル様の横顔を見つめ、首を傾げました。「見ているだけで幸せになれるというのは……よく解りますから」
「よく解らないな」
「そうね、わたしも解らないわ」
シャルロット様がオーランド様と腕を組んでいましたが、その手をほどいて、そっとオーランド様の頬に手を伸ばしました。「触れた方がよっぽど幸せになれるのに」
オーランド様が慌てて顔をのけ反らせています。
ダニエラ様の嬌声らしきものが聞こえてきます。
どうやら、王城の門をくぐって、歌劇団の人間が出てきたらしく、正装した男女たちが次々と馬車へ乗り込もうとしています。
その様子を見ているのはダニエラ様だけではなく、いつの間にか他にもたくさんの女性がその近辺に集まり始めていました。
よく解らないのですが、もしかしたら噂を聞いてダニエラ様のような方たちがフェルディナンド王国からやってきているのかもしれません。
そして、王城から出てくる人々の中に、ダニエラ様の想い人らしき人が姿を見せた時、ダニエラ様だけではなく他の女性の声も上がったのです。
確かに、その方は美しい男性だと思いました。
何て説明したらいいのか解りませんが、男らしい顔立ちの方。
アルヴィ様が流麗な顔立ちだと表現するとしたら、その方――クリストフ様は優しい顔立ちと男らしさがバランスよく存在している感じの、健康的な美しさをお持ちの男性でした。
金髪に近い茶色の髪の毛と、同じ色の睫毛がさらにふわりとした雰囲気を作り出して、その方がその場に集まった女性たちに気づくと、軽く手を振ります。
また上がる嬌声。
これはなかなかの人気ぶりと言えるでしょう。
その時。
「娘、隠れろ」
と、ルークがナイジェル様とオーランド様の腕を掴み、無理やりその場に壁のように立たせるとその背後に隠れるようにして身をかがめます。
「何ですか、ルーク」
わたしがルークの肩から滑り落ちそうになりつつそう訊くと、彼は短く言います。
「ご主人だ」
「え」
「あら、あの人が探し人なの?」
シャルロット様の声を頭上に聞きつつ、わたしはナイジェル様とオーランド様の身体の隙間から向こう側を覗き見ようとしていました。
「確かに目を惹かれる美形だな」
ナイジェル様が酷く冷たく聞こえる声でそう言って、オーランド様がそれを認めるような相槌を打ち。
ほんの一瞬だけ、その姿を見ることができました。
穏やかな表情で、クリストフ様に付き従うように立っている、アルヴィ様の姿を。白い服に身を包み、魔術師というよりも神官と呼んだ方が似合うような、近寄りがたい雰囲気をまとった男性で。
でも、中身は違う。
その顔に浮かんだ笑顔は、アルヴィ様のものではありませんでした。
「何で、あなたがたのご主人様とやらは、歌劇団と一緒にいるのかしら。あの歌劇団、専属の魔術師は別にいたんじゃなかった?」
「金さえあればいくらでも、何人でも雇えるだろう」
シャルロット様とナイジェル様がそんなことを言っている間に、彼らの乗った馬車の群れが正門の前から離れていきます。
ルークはずっと身をかがめてナイジェル様とオーランド様の後ろに隠れていましたが、どうも、その様子は緊張しているようでした。
「見つけたはいいが、どうすりゃいいのか解らん」
「……そうですね」
わたしもそれに頷いて。
「追うわよ!」
ダニエラ様がすごい勢いでこちらに戻ってくると、ナイジェル様の腕を掴んで急き立ててきました。「クリストフ様の宿がどこなのか、後をつけて突き止める」
「言うと思った」
ナイジェル様は予想していたようで、何の驚きもなく、平坦な声を返します。
でも、ダニエラ様の表情はどこか強張っていました。
「だって、クリストフ様の様子がおかしいのよ」
「おかしい?」
「わたしの顔を覚えてない」
「は?」
「わたしはね」
ナイジェル様の腕を強くつかんだダニエラ様の爪が食い込んだのか、ナイジェル様が彼女の手を振り払おうとします。でも、真剣な表情のダニエラ様はそのことすら気づいていないようでした。
「わたしは! 何年もかけてクリストフ様に顔を覚えてもらったの! 名前だって呼んでもらえるようになった! なのに!」
「忘れた、か」
「おかしいわよ、こんなの。とにかく追って、観察して、何があったのか調べなきゃ」
「それならば、私が追いましょう」
オーランドが静かに口を開いて、二人の会話を終わらせました。「こんな大人数で追えば目立ちます。宿を突き止めたらすぐに戻りますので、ここでしばらくお待ちを」
それで、いつ、接触したらいいのか。
オーランド様が馬車を追っていってしまった後、わたしはじっと考え込みました。
舞踏会まで待つ? いいえ、それは遅すぎると思います。きっと、それまでに彼女は色々な行動を起こすでしょう。今ですらとんでもないことをしてしまっているかもしれないのに、時間が経てば経つほど、もっと取り返しのつかない状況になることだって考えられます。
それなら、今?
ダニエラ様はクリストフ様の今回の件の成功を心待ちにしていますが、ここで騒ぎを起こしたらきっと……でも。
でも。
そんな考えの中に沈んでいた時。
突然、ルークが身体を硬直させました。
その急な異変に気付いてわたしが顔を上げると、わたしもまた、身体を硬直させることになりました。
「よく見つけたわねえ、褒めてあげる」
と、すぐ目の前に立っていたのは、先ほど見かけたアルヴィ様その人で。
女性らしい口調は、明らかにカサンドラのもので。
でも、彼女はすぐに口調を改め、敬語で話しかけてきます。
「まさか、邪魔をしにきたんですか? 僕の邪魔をしようと?」
それは、アルヴィ様の口調を真似したものなのかもしれませんが、こんなにも嫌悪感がわくなんて自分でも信じられませんでした。




