第34話 どうでもいいから早く
「とにかく、ここでは目立ちますので中へ」
オーランド様は門のそばでずっと話をしていたわたしたちの顔を交互に見やり、そしてわたしの背後へと目をやりました。
振り向くと、通りを歩く人々が興味深そうにこちらを見ているのが目に入ります。
とても居心地が悪い感じがします。当然のことですね。
「それに、ナイジェル様とダニエラ様が気にかかりますので」
と、オーランド様が言ってわたしたちにお屋敷の方へ歩くよう促してきました。ルークはお気楽な足取りでそれに従い、それを先ほどの少女――シャルロット様が冷ややかな視線で追いかけます。
その無言の圧力が凄まじくて、首の後ろの毛が逆立つのを感じつつ、わたしは何とか辺りを見回して観察します。
何となく、お屋敷の中がさっき情報収集に入った時よりも騒々しくなってきているような気がしました。使用人らしき人たちが行きかい、馬車の準備など始めています。
わたしたちが盗賊から取り返してきた馬車よりも、遥かに豪奢な造りの馬車が数台と、たくさんの荷物を運ぶための頑丈そうな馬車。
随分と大所帯で出かけるんでしょうか、とわたしが首を傾げつつお屋敷の中に入った瞬間、男女の言いあう声が聞こえてきました。
「いい加減にしろ、姉上! 何で出かける準備をしているんだ!」
「だから言ったでしょ? クリストフ様のためよ!」
「クリストフ・マフゲニーはただの歌劇団の一員だ! 貴族でも何でもない! そんな男を追いかけてどうするつもりだ!? 大体、馬車が盗まれたのも元々は」
「あなたはクリストフ様の才能を理解していないからそんなことを言うのよ!」
玄関ホールから見える場所にある、大きな階段。その階段の途中で、ナイジェル様とそのお姉様という方が大声で言いあっていたのです。
お姉様は先ほど、バルコニーでこちらに声をかけていた女性です。
オーランド様がおっしゃった、ダニエラ様というのが彼女の名前なのでしょう。近くで見ると、さらに彼女の美しさと圧倒的な存在感がよく解ります。
「クリストフ様は貴族の称号を与えられても許されるほど、優秀な方、なの」
彼女はナイジェル様を小馬鹿にしたように微笑み、階段の手すりにもたれかかってしなを作ります。女性の色気たっぷりのその仕草も、ナイジェル様は明らかに嫌悪の眼差しを向けるだけでした。
「馬鹿か? その舞台を見るために夜遊びしまくり、屋敷を抜け出して馬車を盗まれたのは姉上だろう。少しはおとなしくして」
「できるわけないでしょう? あなたこそ馬鹿なの? 舞踏会にクリストフ様がいる歌劇団が呼ばれたのは、彼らが優秀である証拠よ? 今でさえ有名な彼らなのに、今回のことでもっと有名になるに決まってる。わたし、ずっと昔から応援していたのよ? こんな晴れの舞台を見逃すなんて、ありえないでしょう!? 絶対に見に行くわ! あなたが招待されているんだから、一緒に行くしかわたしには方法がないの!」
「にゃるほど」
ルークが苦笑交じりに呟きます。「これで何が起きたのか理解できたぞ」
「ええ、わたしも」
わたしもそれに頷きます。
そして、わたしのすぐそばに立っていたオーランド様も困ったようにため息をつきました。
「ダニエラ様は一度言い出したら聞かない性格なので、もうどうにもならないでしょうね」
「一緒に行かれるんですか?」
わたしがオーランド様に訊くと、彼は目を伏せました。
「それしか道はありません」
「オーランドが行くならわたしも行くわ」
そう口を挟んできたのは、ずっとオーランド様のそばに寄り添うようにして立っていたシャルロット様です。彼女は無表情のまま彼を見上げ、真剣に続けました。
「厭だとは言わせないから」
「……シャルロット様」
オーランド様が渋い表情で彼女を見つめます。すると、少しだけシャルロット様の頬に朱がさしたように思いました。
「困らせないでください。ナイジェル様とダニエラ様だけで私の手はいっぱいになっています」
「わたしはあなたの役に立つわ。大丈夫よ」
そう言いながら、彼女はドレスのポケットから小さな小瓶を取り出してニヤリと笑いました。その笑みがあまりにも邪悪なもので、今までの雰囲気からはとても予想できなくて、わたしもルークも言葉を失っていました。
「大丈夫、困った時にはこれがあるもの。ナイジェルの恋敵というか、邪魔な相手はちょっと眠っていてもらうし、あなたの敵もこれで……ね」
――眠り薬、ということなんでしょうか。
わたしがまじまじと彼女の手の中の小瓶を見つめていると、オーランド様が肩を落として小さく囁きました。
「あなた様が私の部屋から盗み出した薬草の調合の本ですが……あれは毒草専門で」
「ふふっ。人体実験できるわね」
「隣国の王城の中で、ですか。却下いたします」
――これは危険です。
わたしは引きつった笑みを口元に作りましたが、笑みの形にはなっていなかったかもしれません。
しかも、シャルロット様の視線がわたしたちの方に向けられ、彼女の微笑みが消えた瞬間にこの場の空気の温度が下がった気がしました。
「それで、これは誰?」
「ああ、その人たちは」
と、オーランド様が何か言いかけた瞬間、空気を読まないルークが大きな声を上げました。
「俺様はこの魔術師に弟子入りしたにゃ! よろしく!」
「弟子入り……」
「していません」
すかさずオーランド様が否定しますが、ルークは低く笑って言うのです。
「俺様たちと一緒に行くと、結構便利だと思うにゃ!」
「いいえ、ダメよ」
シャルロット様は目を細めました。「わたし、オーランドのそばに他の女の子を置きたくないの」
「女ぁ?」
ルークはそこでいきなり自分の服の胸元を引っ張り、小さく呟きます。「女か、これ」
わたしが無言で彼の頭を前足で叩きますが、何とも複雑でした。女扱いされていない方が安全に思えるからです。
そしてルークはすぐに顔を上げて明るく言います。
「俺様は男に興味ねーから問題なし! むしろ、女が好きだ! よし、お前、俺様を撫でろ!」
「何これ」
シャルロット様が不機嫌そうに眉を顰めるのと、わたしがまた彼の頭にパンチを繰り出すのと、オーランド様がため息をつくのが同時に起こりました。
「まあ、真面目に話をするとな」
やがて、ルークが頭を掻きながら笑います。「今、こうしている間に隣国に向かってる魔術師がいてな、それが超絶イケメンなんだにゃ。そっちに興味あるから、俺様もこの使い魔もこのオーランドとかいう魔術師には興味ねーの。きっと、そこにいるねーちゃんが言ってるクリストフ様とやらも目じゃないくらいのイケメンぶりだにゃ」
「言葉遣い」
わたしがすかさず突っ込みを入れますが、ルークの口調は改められることはありませんでした。さらに胸を張って自信満々、といった様子です。
そして、どうやらこちらの会話が聞こえたらしいダニエラ様から鋭い声も飛んできます。
「クリストフ様はそこらへんのイケメンとは違うのよ! 神様みたいなものなんだから!」
「いやいやいや」
何を冗談言うのか、と言いたげなルークの仕草。そこへ、つかつかと早足で近寄ってくるダニエラ様。
「何よこいつ、あなたの弟子?」
ダニエラ様がルークを見つめながら大声で言い、すぐにオーランド様がそれを否定しようとして。
「もう、お前たちは煩いから早く出立しろ」
と、階段の上から気難しい表情の年配の男性がこちらを見下ろし、唸るように言ってきました。
「父上」
ナイジェル様がため息をこぼします。「俺は行きたくな」
「少しは一流の人間に揉まれて、世間の常識というものを学んでこい、このバカ息子どもが!」
「ほら、ナイジェルが騒ぐから」
「お前もだ、ダニエラ」
「ええー……嘘ぉ」
「じゃあ、弟子の俺様たちも一緒にいくぞ!」
ルークが明るく手を上げてそう言って、オーランド様が「だから弟子では」と否定の言葉を口にしかけますが、すぐに階上から飛んできた大きな声でそれはかき消されました。
「どうでもいいから早くいけ!」




