第30話 夜盗はどっち?
「ところで」
わたしはルークを見上げたまま言います。「徒歩でどのくらいかかるのでしょうか、王都まで」
「さあ?」
ルークは無邪気に首を傾げます。
思わずわたしは前足でルークの頬をぱしりと叩きました。
「王都から国境までどのくらいかかるでしょうか、徒歩で」
「さあ?」
「真面目に考えてください!」
わたしは前足で森の獣道を指示しました。森は深く、先は全く見えません。
ノルティーダまではそれほど遠くはありませんが、王都からこの森にやってきた騎士様たちも馬に乗ってきていました。つまり、徒歩でいくには遠いということです。当然のことですが。
「今もこんなふうにのんびりしている間に、アルヴィ様は……あのカサンドラとかいう人はあっという間に隣国にいってしまっているのではないでしょうか!」
「ま、そうかもしれんけどにゃ」
ルークは困ったように眉根を寄せてわたしを見つめます。
そんな表情をしても許しません。
「ほら、アルヴィ様は魔術であっという間に空を飛んでノルティーダに行かれたじゃないですか。あなたもできないんですか、ああいうの!」
「無茶言うなし」
ルークはそこで不満そうに鼻を鳴らし、わたしから目をそらしました。そして、耳の穴に指を突っ込んで唇を尖らせました。
「似合わないからそれもやめてください!」
「ご主人と比べんなよ。俺様は初心者魔術師なんだぞ! それに、ご主人のあの魔術は風の精霊の力を借りたやつで、普通の魔術師はもうちょっと緩い術を使ってる」
「緩いって何ですか」
「例えばだ、娘」
ルークはふと足をとめて、獣道の脇に転がっていた拳大の石を拾い上げました。ごつごつした灰色の石を弄びながら、持っていた布袋をもう片方の手で器用に漁ります。
そして、布袋から取り出した魔術書を開き、それを見ながら何事か呟きます。
それは魔術呪文の詠唱だったのだと思います。
どこかたどたどしく、それでもはっきりと発音された言葉はわたしが聞いたことのない言語でした。
「これが魔術だ」
と、ルークはやがてニヤリと笑って言いました。
彼の手の中で、その石は奇妙な言語の帯をまとわせながら、不安定に浮かび上がっていきます。
そして、その石は奇妙な音を立てながら軋み、歪み、砕け散りました。
「普通はにゃ、こうして物質を魔術で移動させる。見えない手でつかんで、持ち上げる、みたいな感じだ」
「んー、はい」
「解ってないって顔だにゃ」
彼は苦笑します。「普通の人間だって、例えば果物を持つだろ? 自分の手でつかんで、もし加減ができなかった場合は握りつぶすこともある。ま、これが普通よ、普通」
「はい」
「でもにゃ、精霊の加護を受けていたり契約を結んでいれば、自分の手を使わず精霊を使役して言うことを聞かせることができる。自分の手は必要ない。命令すれば何でもやってくれる」
「なるほど。つまり、使っている魔術の質が違うということですか」
「そゆこと。でな、精霊の力は安定してる。でも、普通の魔術師は自分の魔力を消費して力を使う。下手な奴は、魔力の消費の仕方を誤って、さっきみたいなことになるわけだ」
「さっき?」
わたしが目を細めて彼に問いかける仕草をすると、ルークはまた近くに転がっていた石を拾い上げて魔術呪文を詠唱します。
そして、ものすごく真剣な表情でその石を見つめ、宙に浮かび上がらせ、舌打ちします。
その瞬間、また石が砕け散りました。
「こうなりたい?」
ぱらぱらと地面に飛び散った石の破片を見下ろしながら、ルークがため息をつきました。「俺様は初心者で、魔力を得たばかりで、加減を知らにゃい。俺様たちの身体を宙に浮かせ、空を飛ばそうとしても握りつぶすのがオチだにゃ」
「握りつぶす……」
「飛ぶだけなら、お前のほうが得意だろ」
「一人で行ってもどうにもなりませんし」
「だったら徒歩しかねーだろ」
「練習してくださいよ! 歩きながらでもいいから、それを読んでください!」
「お、言ったな? 後悔すんなし!」
何が後悔なんでしょうか。
その意味はすぐに解りました。
森に爆発音が響くことが続けば、誰だって理解します。
小石が砕け散るだけではなく、森に生えている木々が倒れ、魔物が暴れたような痕跡みたいになればさすがに諦めずにはいられませんでした。
じゃあ、どうすればいいのか。
「焦りは禁物だぜ、小娘」
「あなたは落ち着きすぎです」
そんな感じに焦りを隠せないわたし、マイペースなルークが徒歩で何とかノルティーダに辿り着き、そのまま王都へと向かう道に入った時には、空は薄暗くなってきていました。
「腹減った! 何で人間の身体ってこんなに腹減んの早いの?」
「それに比べて、あなたの身体は全然お腹空かないですね」
夕闇の道を歩きながら、ルークがぶつぶつと呟いています。
でも確かに、朝食を食べただけでずっと歩いているのですから、お腹が空くのは当たり前です。疲れ切って道端に座り込んだルークを見下ろし、わたしはその場で空に飛び上がりました。
もうすぐここにも完全な闇がやってきます。
少し前までは、この道にも商人らしき人々が歩いていたのに、もう誰も通る気配はありません。
我々の状況は最悪だと思います。ノルティーダに到着したときに、先を急いで街を出たのは失敗でした。
そうです、我が家に寄って食事を調達すればよかったのに。それに気づいたのが遅すぎる。ああああ、もう!
戻るべきか、どうしよう。
そんなことを考えつつ、辺りを見回していると自分の脚の下の方から何か声が聞こえました。
翼を羽ばたかせながら下を見下ろすと、そこには見覚えのない人影がありました。
「よーよー、ねーちゃん、一人かい?」
言葉遣いも仕草も、乱暴さをそのまま形にしたかのような男性たちがルークを――ミア・ガートルードの周りを取り囲んでいました。人数は五人ほどいて、その誰もが身体が大きく、屈強さを自慢にしているかのような人間たちなのです。
「あんまり金は持ってなさそうだけど、女だったら色々役に立つしな?」
そんな、物騒なことを言いながら、一人の男がルークに詰め寄ります。
ルークはその場に座り込んだままで、彼らを見上げていました。
――まずい。
夜盗でしょうか?
とにかくまともな人間たちには見えませんでした。
だって、彼らの手には銀色に輝くナイフのようなものが見えたからです。
わたしが慌ててルークのそばに降りようとした瞬間、ルークが苛立ったようにその右手を上げました。
「うぜぇからさっさと失せな!」
ルークはそう叫び、その右手から凄まじいまでの光を爆発させました。
そして。
「おー、小娘! 馬が手に入ったらしいぞ!」
と、ルークが胸を張って立ち上がります。彼の肩に降りたわたしを見つめ、親指を立てて笑いながら。
何て清々しい笑顔なんでしょうか。まるで、唇から見える歯が輝いているかのようにすら思えます。
「いや、あの、ルーク……」
わたしは茫然と辺りを見回しました。
ルークの周りの地面が派手に抉れ、土煙が湧きおこっています。
そして、死屍累々というか、何というか。夜盗らしき男たちは、誰もが地面の上に転がっていて、痛みに呻いているようでした。
少し離れた場所には、彼らが乗ってきたと思しき馬が数頭、そして夜盗が使うには豪華すぎるような黒い馬車もとめてありました。
「きっと、食料も積んであんだろ」
ルークはくくく、と笑いながら馬車へと歩み寄り、その扉を開けて中を覗き込みます。そして、馬車の中に色々な荷物と食料が詰めてあるらしい袋を見つけ、手を叩きます。
「やったぜ!」
ちょっと待って。
もしかして、わたしたちの方が夜盗なんじゃないでしょうか。




