第27話 利害が一致したところで
「いい……お方だった?」
わたしはかろうじてそう言いましたが、少しだけ力なくかすれているのも自覚していました。ルークはそんなわたしの様子などどうでもいいようで、キャンバスの前で首を僅かに傾げて続けます。
「それに、胸もでかい」
「何、馬鹿言ってるんですか」
わたしは思わず床を前足で叩きました。怒りの表現です。
でも、ルークは真剣な目でわたしを見下ろしてさらに強調するのです。
「いや、マジで」
「別に嘘をついているとは思ってませんよ」
事実、キャンバスの中の彼女は、とても美しい上に胸元も女性らしい膨らみがあって。
とても、わたしと比べたらお話にならないくらい――違う! わたしはこんなことを考えたいわけじゃありません!
「で、この方がアルヴィ様とお付き合いされていた、わけですよね?」
「うん」
そこで、ルークは困ったように笑います。「ヴァイオレットとご主人は幼馴染みだったそうだにゃ」
「幼馴染み?」
「ご主人は物心ついた時には、両親はいなかったみたいでな」
「え?」
「ノルティーダの街で、同じような立場の子供たちと暮らしていたとか。その中の一人が、ヴァイオレットだったそーだ」
「孤児なんて……何だか」
イメージが違う。
いえ、もともと、わたしがアルヴィ様に抱いていたイメージそのものが間違い過ぎなのかもしれない。
わたしは多分、アルヴィ様に完璧な人間像を求めていたのかも。
でも、現実のアルヴィ様は、血も流れているし苦しい過去も持っている。
そしてそれでも、とても魅力的な方なのだと思います。
「で、もともと魔力を持っていたご主人は、街に住む魔術師に弟子として引き取られ、魔術師となって。ヴァイオレットは孤児たちの中で強く生き延びて、道を間違って女剣士になったんだにゃ」
「道を間違った?」
「だってそーだろ。こんだけ美人なら、どこかの貴族様に嫁入りできただろ。で、贅沢三昧できた」
「うーん」
ルークの言葉選びは色々と問題があると思いますが、否定はできないと思いました。
だって、本当に美しい方なのです。一度会ったら忘れられなくなるくらい、とても魅力的で印象的な少女。
「でも、アルヴィ様によくお似合いの方です。きっと、二人並んだら近寄りがたい雰囲気を醸し出していたでしょうね」
「それは確かに」
ルークは低く唸り、さらに続けました。「魔術師として、剣士として、下手に有能な二人だったからな、一緒にいることで余計に目立ったんだろ」
「目立った……」
「目立つ人間ってのは、自分が思っている以上に敵ができるもんなんだぜ、娘」
「ミアです」
そう反射的に応えながら、わたしは少しだけ考えこみました。
敵。
アルヴィ様がおっしゃっていたこと。
敵が多かったと。恨みを買ったその結果、彼女が命を落とした、と。
つまり。
「ヴァイオレットを殺したのは、ご主人を目の敵にしていた魔術師の一人なんだにゃ。そいつはご主人をわざと狙わず、ヴァイオレットが死ぬように仕組んだ。で、成功したわけだ」
「……酷い」
わたしはいつの間にか、眉間に皺を寄せていたのだと思います。鈍い頭痛にも似た感覚がこめかみに走り、呼吸を繰り返すことでその痛みを振り払おうとします。
まあ、上手くいきませんでしたが。
「正直なところ、ご主人とヴァイオレットが一緒に行動してなきゃ、もっと違う結果になってたと思うにゃ。ヴァイオレットもきっと殺されずに済んだし、多分今頃は幸せに暮らしていたはずだし」
「そんなの……結果論じゃないですか」
わたしはルークを睨み、咎めるような口調になるのをとめられませんでした。「後からなら何とでも言えます。でも、そうなってしまったのは……仕方ないことだった」
「と、割り切れるもんじゃねーだろ?」
ルークはいきなり、わたしのそばにしゃがみこんでわたしの頭を撫でました。「ご主人は自分のせいでヴァイオレットが死んだと今でも自分を責めているし、自分の殻に閉じこもってる。それまでは、将来を約束された若い魔術師だったんだぜ? ゆくゆくは宮廷魔術師に、なんて声もかかってたのに、実際に宮廷魔術師になったのは、その……ヴァイオレットを殺した魔術師だ」
――そんなの。
絶対に許されない。
自分でも困惑しました。何だか急に、わたしの胸の中で黒い感情が芽生えたような気がしたからです。
見たこともないその魔術師に対して感じたものは、嫌悪だったのかもしれません。いえ、嫌悪以上のもの?
「宮廷魔術師ということは、今も……その魔術師はフェルディナンドの王城に?」
わたしが呼吸を整えつつ訊くと、ルークは苦々しく笑いました。
「もう、そいつは死んだにゃ」
「え?」
「何もかも終わったから、ご主人はこの森にこもってる」
「つまり」
何もかも終わった。
アルヴィ様は、仇を討った?
そういうこと、でしょうか。
もし、そうなら。
「なあ、娘」
「もう、名前に対する自己主張は無駄でしょうか」
「お前が期待するほど、いい人間じゃねーぞ、ご主人は」
「ええ、解ってます」
「ホントかにゃ」
「もちろん」
わたしは小さく頷いて、ルークが乱暴にわたしの頭を撫でるのを受け入れつつ微笑んで見せました。「そしてきっと、わたしが思っているほど強い方でもないんでしょう?」
「いや、すげー強い」
「本当ですか?」
「当たり前じゃん。もう、守りたいものも失って困るものもにゃいんだから。好き放題、やりたい放題」
「それでも」
わたしは自分からルークの指先に身体をこすりつけながら言いました。「あなたはアルヴィ様を守りたいと思ってるんでしょう? とても強いとあなたが主張する、ご主人様のことを」
「んー」
彼は眉間に皺を寄せました。明らかに返事に困っています。
でも、やがてこう言いました。
「ま、そういうこったな」
「じゃあ、利害が一致したところで」
わたしは小さく笑い声を上げました。「早く、勉強を始めましょうか」
「くっそ」
ルークはそこで深いため息をついて、肩を落としました。
コーデリア様がお戻りになったのは、翌日の夕方のことでした。ほぼ丸一日、このお屋敷にいなかったわけですけども、まさかたった一日でこんな状況になると予想できるはずもないでしょう。
とにかく、問題しかない現状。
「なんじゃ、この状態は」
彼女は我々の姿を見た瞬間、何とも奇妙な目つきでそう言ったのです。
「おー、さすが王様、一目で見抜いたか!」
応接室のソファにうつ伏せになり、魔術書を開いて難しい表情をしていたルークがそう声を上げます。寝転んだ状態で両足をバタバタさせている彼の仕草は、どう見ても行儀がいいとは言えません。
わたしはそのすぐそばの床で正座していました。まあ、これが正座かどうかは微妙なところです。猫の姿での正座というのは、正座に含まれるのでしょうか。
「それは何じゃ」
コーデリア様は、相変わらず床に転がって寝息を立てているカサンドラの肉体を見て、胡乱そうな表情をして見せました。
「色々ありまして、その、どこから説明したらいいのか」
わたしがそう言うと、彼女はさらに目を細めてわたしに視線を投げました。
「ミア、何があった」
「説明しますので、お力をお貸しください」




