第25話 追わなくちゃいけない
どうしよう、どうしよう。
わたしが混乱という名の激情に頭の中が吹き飛ばされそうになっている間、どうやらルークは平然とこの状況を受け入れているようでした。
「全く、ご主人のせいだぞ、これは」
そうぶつぶつと不満そうに呟き、ミア・ガートルードの姿で床に胡坐をかき、乱暴にばりばりと頭を掻いています。わたしだったら絶対にそんな仕草はしないはずの、男らしさ。
「あああああ」
わたしは思わず大声を上げてルークを睨みつけました。「何で、もっと慌てないんですか! どうするんですか、これ! どうしたらいいんですか! 嘘でしょ!? ねえ!」
「いいから落ち着けっての」
彼はいきなり立ち上がって、わたしを――使い魔の肉体である小さな猫の身体を床に手で押さえつけました。その凄まじい力で床に押し付けられ、両手両足を床にべったりとつけて伸び切ったわたしを、呆れたように見下ろしている気配が頭上にあります。
「落ち着けるはずがないじゃないですかー」
必死にそう言っても、ルークの声は静かに続きます。
「慌てんなよ、何とかなるにゃ。ご主人が目を覚ますまで待ってりゃいいし、そうしたら、俺様たちだって元に戻してもらえるだろ」
「じゃあ、いつ、目を覚まされるんですか」
そう訊くと、ルークはわたしから手を放して肩をすくめて見せました。さあ、知らないな、と言った感じで。
わたしは何とか起き上がり、ルークを見上げました。
すると、ルークは苦笑しつつ首を傾げます。
「前に寝込んだ時は、起きるまで一か月かかったにゃ」
「一か月」
そんなに長く?
そんなにアルヴィ様が目を覚まさなかったら。
そうしたら。
「既成事実とやらが出来上がってしまったら、どうしたらいいんですか」
わたしが真剣にそう訊くと、返事はあっさりとしたものでした。
「ん? 美少女だって噂の王女様と結婚すりゃいーじゃん」
「ダメです!」
思い切り叫んだ瞬間、どうやったのか解りませんが、わたしの小さな身体は宙を浮いていました。背中の翼が勢いよく羽ばたいている音が聞こえます。
でも、あまりにもびっくりしたせいか、思考能力が一気に低下し、羽ばたきかたもよく解っていないせいもあって、そのまま床へと落ちました。
「痛い……」
「下手くそー」
ニシシ、と奇妙な笑いかたをするルークですが、その顔はわたしのものです。すっごく不愉快。すっごく納得いきません。
ちょっと待って、羽ばたきかた、練習しなきゃ。
歩くことはできても、飛べないんじゃ移動が大変です。何とか覚えないと。
何とかもう一度立ち上がり、翼の扱いに悩んでいると、ルークがまた呆れたようにわたしに言うのです。
「俺様たちに何ができるよ? もし、このねーちゃんを追っていったとしても、何もできるはずないじゃん?」
彼は床に倒れこんでいるカサンドラの身体に近づき、足でちょいちょい、とつついています。その身体は、死んでいるわけではなさそうです。呼吸音は微かでしたが、その胸は確かに上下していましたし、顔色も血色よいものでした。
――ああ、そうか。
わたしはふと、思いついたことを口にします。
「あの女の人は身体を交換したわけですよね? つまり、この身体の中にアルヴィ様はいらっしゃるんでしょうか。そして眠っていると?」
「んー」
ルークは目を細め、カサンドラの肉体のそばにしゃがみこみました。「ご主人の気配、感じねーな。もしかしたら、いねーかも」
「いない?」
「うん」
ルークはそこで明るく笑い、わたしに視線を向けました。「もしかしたら、あのねーちゃんと一緒にいってるのかもしれにゃいな。そしたら、もっと安全だ。目を覚まし次第、帰ってくんだろ」
「一か月後に?」
「どうかなー。もしかしたら、明日くらいに目が覚めるかもしんねーし」
「適当なこと言わないでくださいー」
わたしは思わず、前足で床をぱしぱしと叩きます。肉球、痛い。
大体、一晩で目が覚めるか一か月かかるか解らないってことは。カサンドラの狙い通り、その目論見が完遂されてしまうかもしれないということです。
状況はあまり解りませんが、隣国で舞踏会がある。
そこに、カサンドラはアルヴィ様の肉体を使って忍び込んで――。
あれ?
「忍び込む、んでしょうか」
わたしは床を見下ろしたまま考えこみます。
普通、王城で行われる舞踏会に招待される人というのは、やはり王族であったり貴族であったり、身分の高いかたたちだと思います。
どんなに有名だとはいえ、一介の魔術師が招待されるわけはありません。
忍び込む。
アルヴィ様の肉体で王城に忍び込んで、もしそれが王城を守る騎士様たちに見つかったら?
殺されてしまうことだって考えられるのでは。
「ダメー!」
わたしはそう叫ぶと、ルークに向かって飛び掛かりました。ルークが慌てて身を引いたせいで、ぶつかった衝撃でその身体が床に倒れこみます。
がつん、という鈍い音がして、ルークが後頭部に手を当てながら唸るのを聞いても、わたしはそれを心配することもできません。
「アルヴィ様が殺されてしまったら、どうするんですか! 大体、国宝を盗み出すってとんでもない大罪です! 王女様を襲っても、国宝を盗んでも、どっちにしろアルヴィ様が危険なことに違いはないはずじゃないですか!」
わたしは倒れこんだルークの顔面にしがみつくような形になりつつも、必死に叫び続けます。もう、悪い予感しかしないのです。
そうです、もしそんなことになったら。
アルヴィ様の肉体なんですから、咎められるのはカサンドラじゃない、アルヴィ様なのです。もし、まずい状況になったら、カサンドラはアルヴィ様の肉体を捨てて逃げてしまえばいいわけで。
そうしたら、カサンドラの罪を負うのは間違いなくアルヴィ様。
わたしのお腹の下で、ルークが何かもごもご言っているようでしたがくぐもっていて聞こえません。
「やっぱり、追わなくちゃいけないと思うのです! とめなきゃ! アルヴィ様だって、目が覚めた時にとんでもない状況になっていたら困るはずじゃないですか」
――そうです。
それに。
アルヴィ様には、心に決めたかたがいらっしゃる。
いいえ、いらっしゃった。
きっと、その人しかアルヴィ様の心の中にはいないのです。他の女性などどうでもいいと思っていらっしゃる。
それなのに、もしもあのカサンドラが余計なことをして――その、既成事実とやらを作ってしまったら。
挙句の果てに、その王女様を……その。その、子供が、あああああ。
やっぱりダメです!
絶対、アルヴィ様は苦しんでしまうと思う。そんな状況は許されるはずがありません。
「ちょ、おま、ぺっ、ぺっ、毛が口に」
ルークがもごもご言いながら、必死にわたしの身体を押しのけようとしています。「どんなプレイだよ、これ。俺様のきゃんたまが口に入るぞ!」
そう聞いて、一瞬の後にその言葉を理解しました。
どうやら、見事にわたしの小さな身体がルークの顔に針ついていて、ちょっと変な体勢になっていたようで。
血が逆流するかのような羞恥心を感じつつ、わたしはルークから飛びのきました。
「ごごごごご、ごめんなさい!」
「ホントだよ!」
「でも、ルーク!」
「様をつけろー!」
「追いましょう! ねえ、あなたならできるんでしょう!? アルヴィ様の使い魔なんですから! 追って、とめなきゃダメです!」
「でもよー」
ルークは起き上がり、また床の上で胡坐をかいて、さらに耳の中を指でほじくりながらため息交じりに続けます。「今の俺様は、お前の身体なんだぜ? 何だよこれ、本当に魔力の欠片もない小娘じゃねーか! ただの人間の女に、どーしろって言うんにゃ!」
「でも、何か方法を考えてくれますよね? 何とかしてくださいよ!」
「無理」
「ちょっと、ルーク!」
「けっ」
彼は詰まらなさそうに唇を尖らせ、わたしをちらりと見つめます。
それから、呆れ切った表情で自分の――ミア・ガートルードの服の胸元を引っ張り、中を覗き込んで目を細めました。
「それより、本当に絶壁なのな、お前」
「何してるんですかー!」
わたしはもう一度、ルークの顔に飛び掛かりました。




