第24話 事が終われば返してあげる
でも。
相手は中身は女性だとはいえ、肉体はアルヴィ様、男性の肉体なのです。
気づけばわたしの腕は彼女に掴まれ、その場に押し倒されていました。
「汚さないで、ってロマンティックな響きね」
わたしの身体の上に馬乗りになった彼女は、意味深な笑みを浮かべていました。押さえ込まれて身動きの取れないわたしを見下ろし、さらに言うのです。
「もしかしてだけど。あなた、この男のことが好きなのかしら。だから、そんなことを言うの?」
「違います!」
「あらぁ」
「アルヴィ様は、好きな人がいるんです! そんな、勝手なことは!」
わたしが必死に言うと、何事か考えこむ様子を見せました。目を細め、唇を噛む姿はどことなく悩ましげにも思えます。
わたしが何とかもがいて彼女の拘束を解こうとしていると、ルークがわたしの胸元に乗ってきて、彼女を睨みつけました。
「おい、女! そう簡単に上手くいくと思うにゃよ! ご主人の肉体を操ってるのも今のうちだ! ご主人が目を覚ませば、その身体から追い出されるんだからな!」
「……あらあら、可愛い使い魔ねぇ」
彼女は少しだけ我に返ったようで、表情を引き締めてルークを見つめます。「確かに、それは否定できないわよね? だったら、急がなきゃいけないわ」
「お願いです、その身体、アルヴィ様に返してください」
どうやっても彼女を――アルヴィ様の肉体を押しやることができず、疲れ切ったわたしは懇願に近い声でそう言います。
でも、彼女はあっさりと首を横に振り、薄く微笑んで見せました。
「事が終われば返すわよ。とりあえず、男性の身体で得られる快感ってやつを、確認してからじゃないとね。こんなイケメンなら、ハーレム作るのも簡単でしょうし」
「ハーレム?」
「そ。好みの女の子を侍らすの、楽しみじゃない?」
「やめて」
そんなの、考えたくありません。
アルヴィ様のイメージじゃない。そんなの、絶対に許されない。
そんなのは。
「しっかし、あなた、胸ないわねえ」
突然、彼女がわたしの胸を服の上から触りました。
一瞬遅れて、わたしは悲鳴を上げました。今までにこんな声、出したことなんてない、と間違いなく言える金切り声になりました。
だって。
だって!
「アルヴィ様の身体で! 何を!」
火事場の馬鹿力ってやつなんでしょうか。
叫ぶと同時に、彼女の腕を振り払い、胸元にいたルークも跳ね飛ばし、自分の胸を両腕で守るように抱きしめます。
手が震えています。
だって、だって、こんなのは!
「娘ぇ! 俺様まで跳ね飛ばすことねーだろーが!」
床の上にくるりとバランスよく飛び降りたルークが叫んでいますが、それどころではありませんでした。
「ね? 正直に言いなさいよ」
アルヴィ様の顔をした魔女――そうです、魔術師なんかじゃない、魔女がそう言うのです。「本当は、あなた、この男のことが好きなんでしょ? だったら、あなたにとってもいいチャンスじゃない?」
チャンスって何ですか。
こんな状況、受け入れられません。
アルヴィ様、早く何とかしてください。早く目を覚まして、こんな魔女なんか、こんな魔女なんか!
お願い、どうか。
「ね、アタシの邪魔をしないでくれたら、そのうち、この肉体でイイコトしてあげる」
彼女はそう言って、わたしの頬に手を伸ばしました。
そして、ゆっくりと、その指先をわたしの頬の上に滑らせて。
ひどくそれは、艶っぽい仕草で。
「やだ……」
わたしはぼろぼろと涙をこぼしながら、その場に座り込んでただ震えていました。「こんなの、厭です。こんなの、絶対……」
「やだ、泣かないでよ」
彼女は困惑したように、慌ててわたしの頬から手を引きました。「ちょっと待って、まるでアタシがいじめてるみたいじゃない」
「いじめてんだよ」
ルークが呆れたように言うのが聞こえました。
でも、わたしは目を閉じて顔を覆うことだけで精一杯で。
「不本意だわぁ。アタシ、女の子には優しいのがモットーなのに!」
彼女はそうため息をつき、疲れたように立ち上がりました。わたしはその気配を感じて顔を上げると、彼女にもう一度懇願します。
「お願いです。その身体はアルヴィ様のものです。やめてください」
「困ったわねえ」
彼女は小さく笑い、でも断固とした口調でそれを拒否しました。「でも、あきらめられないの。こんなチャンス、もう二度とないから」
「でも」
わたしが何とか立ち上がって彼女の腕を掴むと、カサンドラは冷たく笑います。
「邪魔しないでちょーだい。いいじゃない、ちゃんと後で返すって言ってるんだから」
「でも」
わたしは首を横に振って言いました。「事が終わったら、って言ったじゃないですか。事って。つまりそれって」
「うっさいわねえ。あまり、しつこい女は嫌われるわよ?」
ふと、彼女は目を細めてわたしの腕を乱暴に振り払います。
そして、何事か口の中でぶつぶつとつぶやいたそれは、きっと魔術の呪文の詠唱だったのでしょう。彼女の手のひらの上で生まれた光が、奇妙な文字に彩られながら帯となってわたしのほうへと伸びてきます。
咄嗟に逃げようとしましたが、それはあっという間にわたしの身体を取り巻いて凄まじい光を放ちました。
「あなたを放っておくと、何をするか解らなさそうだしね。ちょっと、おとなしくしてて?」
彼女がそう言って笑うのを、わたしは随分と低い位置で見上げていました。
――何、これ。
彼女の顔が遠い。
床が近い。
そして、わたしがふと横を見ると、見覚えのある身体がそこにあって。
「嘘」
わたしはぼんやりと声を上げました。
わたしの目の前に、わたしの身体があります。床に座り込んで、ぼんやりと自分の身体を見下ろしている自分、ミア・ガートルードがそこにいて。
それをわたしが見ている。
随分と低い場所で。
恐る恐る今の自分の身体を見下ろすと、そこにあったのは黒い前足。
黒い毛の……ルークの身体。
「嘘でしょ!?」
わたしは茫然としていました。
わたし、わたしの身体。
ちょっと待って、何この状況。
「マジか」
ミア・ガートルードが茫然と呟いています。「俺様の身体が」
つまり、これって。
「じゃーね、お二人さん。また会うことがあったら、元に戻してあげる」
アルヴィ様の肉体を持ったカサンドラが、酷く優しい声でそう言った後、ひらひらと手を振って見せました。
そして、目を開けていられないくらいの光が弾けたかと思うと、その場から彼女の姿――アルヴィ様の身体は消えていて。
残されたのは、床の上に転がっている、彼女の元の肉体。
身体が入れ替わってしまったわたし、ミア・ガートルードと使い魔のルーク。
わたしはミア・ガートルードの顔を見上げ、ルークは元の自分の小さな身体を見下ろして。
ただ、茫然とするしかなかったのです。




