第22話 寝る前には鍵をかけて
「簡単に言うものじゃの」
コーデリア様が呆れたように言います。ソファにゆったりともたれかかった姿で。
「魔術を教えるといっても、その娘、まともに魔力も持っていない。魔術師になるのは無理じゃろ」
「うん、それは問題だけどね」
アルヴィ様が穏やかに――というより、眠そうな目つきで言います。「運がいいことに、ここはリーアの森だよ。森の奥に、レストリンゲの実がなる場所がある」
「レストリンゲ?」
わたしが困惑してそう呟くと、コーデリア様がちらりとわたしを見て短く言います。
「食べれば魔力を与えてくれる果実じゃ」
「そんなものがあるんですか?」
「あるよ。昔、僕も食べたことがある」
アルヴィ様も視線もわたしに向けられます。「ただ、手に入れるのは少々厄介だ。何しろ、レストリンゲの木からは毒の瘴気が漂うのでね。その木がある場所は命あるものが近寄るのも難しい」
「毒……」
わたしは眉を顰めて考えこみます。
もしそれが本当だとしたら、そんなところにいくなんて絶対に無理だと思うからです。
じゃあ、どうやって手に入れるんでしょうか。アルヴィ様のような魔術師なら、いける場所なんでしょうか。
「ご主人……」
わたしの腕の中で、ぐったりとしたルークが声を上げました。「俺様だって、もう二度とあの場所にいくのはごめんだにゃ。すっげえ苦労したんだぞ、あの時は」
「うん、そうだろうね」
アルヴィ様が苦笑します。「でも……どうしても無理かな? もう一度頼めないか?」
なるほど。
どうやら、使い魔であるルークは、アルヴィ様の命令でその実を手に入れたことがあるようです。
しかし、思い切り厭そうな声が上がっています。
「無理無理! 毒だけじゃないんだからな! あの瘴気に汚染された魔物がうじゃうじゃいる場所に、何でこんな絶壁断崖娘のためにいかなきゃならんのよ!」
「言葉は選んだほうがいいですよ」
わたしは腕の中にいるルークをもう一度本気で根性いれて撫でまわします。すると、息も絶え絶えといった様子の鳴き声が上がりました。
よし!
――何がよし、なのか解らないけど勝った気がするからよしなのです!
「やっぱり、無理かな」
アルヴィ様が困ったようにため息をついた後、ふと顔を上げてコーデリア様を見つめました。
言いたいことがすぐに理解できたらしく、コーデリア様は心底厭そうに顔をしかめ、鼻を鳴らします。
「おぬし、本当に妾のことを使い魔か何かと勘違いしておるのではないか」
「できれば対等の存在でいたいとは思っているよ」
「どうせ口だけじゃろうがの」
コーデリア様はそこで小さく笑い、低く脅すかのような声色で言いました。「恩を売るのも悪くはない。もし本当にレストリンゲの木があるのなら、その実は人間の世界では高く売れるものじゃ。さて、その実を持ってきたら、そなたは妾に何を返す?」
「お返しか……さて、どうするか」
アルヴィ様の目は、先ほどよりももっと眠そうになっている気がします。その口調もいつもよりゆったりとしていて、身体からもいつもの生気というものが感じられません。
「まあ、よい。気が向いたからいってやろうかの」
コーデリア様はそう言って、ゆっくりと立ち上がりました。
そのまま応接室を出ていこうとなさるので、わたしは慌ててその背中に問いかけます。
「あの、コーデリア様。なぜ、そんなによくしてくださるんですか?」
「何?」
ふと、彼女の足がとまりました。
「なぜ、優しくしてくださるんです? わたしなんかのために」
「そなたのためではないぞ」
コーデリア様が笑います。「そこで今にも寝てしまいそうな、魔術師に恩を売るためじゃ。ただの気まぐれよ」
――本当かなあ。
わたしは釈然としませんでしたが、とりあえず無理やり納得しようとしました。
そのまま、お屋敷を出ていく彼女を見送ってから、少しだけ考えこみました。結局、納得いく理由は見つかりませんでした。
そして。
「おい、ご主人! 寝るなー」
わたしの腕の中から逃げ出したルークが、応接室のソファに座ったままのアルヴィ様の胸元に乗り、じたばたと暴れています。
何をしているのか、と彼を見ると、ルークは少しだけ慌てたようにアルヴィ様の頬を前足でぱしぱし叩いていました。それでも、アルヴィ様は目を閉じたまま身じろぎ一つしません。
「お疲れなんですね」
わたしがそう呟くと、ルークが困り切ったような目でわたしを見上げます。
「魔力の使い過ぎなんだよ! マジ、今回の仕事はヤバかった! ちょっと無茶しすぎたんだ」
「じゃあ、ゆっくり休まないといけないですよね。こんなところで寝たら風邪ひきます」
わたしはアルヴィ様の寝顔を見下ろし、ちょっとだけ心臓が暴れるのを感じながら静かに言いました。
そんなにお疲れであるのなら、二階のアルヴィ様のお部屋で休んだほうがいいと思ったのです。でも、わたしの力ではアルヴィ様をお運びするのは無理です。
だとすると、せいぜい毛布を持ってくるくらいしかできないかも――。
「風邪とか、そんな悠長なことを言ってんじゃねーの!」
ルークの慌てようは、何だか意外でした。
風邪とかが問題じゃないなら、何が問題なんでしょうか。
ルークは何を心配しているのか。
「おい、ご主人! せめて、この屋敷に鍵をかけろ! おい! おいってば!」
爪を立てないように、それでも激しくバシバシ前足でアルヴィ様の頬を叩いていたルークですが、やがて疲れたように肩で息をしつつ、その場に座り込みました。アルヴィ様は熟睡しているようで、全く何の反応もありません。
ちょっと、それは驚くくらいの深い眠りのように思えて、だんだんわたしも不安になってきます。
「鍵? あの、ルーク……様、とは言えない。ルーク、あなたは何を言ってるのです?」
「使い魔差別すんにゃ! 俺様にもちゃんと様をつけろー!」
「それより、何が問題なんです? アルヴィ様が眠ってしまうと、何が?」
ルークは不機嫌そうに鼻を鳴らし、こう続けます。
「ご主人は、かなり力の強い魔術師なのは解る? レストリンゲの実を食べたせいもあるけど、もともとすげー力を持った奴だったわけ!」
「ああ、有名な魔術師様であることは街の誰もが知るところです」
「だろ? でもにゃ、魔力の使い過ぎで、たまにこんな風に死んだように寝ることがあるわけだ。そうすると、全くの無防備、誰に襲われても気づかにゃい。だから、いつもはこの屋敷に鍵の魔術をかけてから寝る」
「鍵の魔術……」
「つまり、あらゆる敵から身を守るための魔術。それをする前に、今、寝てる。めっちゃヤバい。マジヤバい」
「なるほど」
つまり、危険、だと言いたいわけですよね、ルークは。
でも、そんな危険ってどれくらいあるんでしょうか。
だって、このお屋敷でアルヴィ様をお待ちしていた間、来客は王都の騎士様たちだけでした。それ以外は誰も――。
「そうよねぇ。でもぉ」
突然、聞き覚えのない女性の声がその場に響き渡りました。
眠っているアルヴィ様の身体にしなだれかかり、その細くて美しい指先でアルヴィ様の頬を撫でながら、長くてボリュームのある黒い髪の毛をもう片方の手で掻き上げている女性。
色気のある――むしろ、色気しか感じない女性が、なぜか急にわたしたちの前に出現していて。
「アタシには、いいチャンスだったわぁ。このイケメンが寝てるときじゃないと、近寄れないじゃなーい?」
絡みつくかのような声音の女性は、そのままアルヴィ様に抱き着いてニヤリ、と笑って見せました。
「……誰?」
そう言ったわたしの声が震えていたような気がします。
そして、ルークが激しく威嚇する音で喉を震わせているのも聞こえました。
「アタシはカサンドラ。魔術師、つまりこのイケメンの同業者ねぇ」
彼女は赤い唇を歪めるようにして笑います。その唇の合間からちろりと見える舌の色気も、どこかぞっとするものが感じられて仕方ありませんでした。




