第21話 守護神か邪神
結構長い間、彼女に抱き着いていたと思います。
涙が何とかとまってくれると、自分が酷く疲れ切っているのが解りました。それと、急激に襲い掛かってくる自己嫌悪とか、羞恥心とか。色々なものにつぶされそうです。
「顔を洗ってくるとよい」
よほど情けない顔をしていたのでしょう、彼女はさりげなくわたしにそんなことを言ってくれました。
「すみません、コーデリア……様」
「様?」
くくく、と彼女が笑います。不思議とそこには楽し気な雰囲気だけがあって、わたしを馬鹿にした様子も皮肉っぽさもありません。
「まあ、どう呼ばれようが妾は構わんがな。しかし魔物と馴れ合うと、後々、厄介になることだけは覚えておくとよいぞ」
「そうでしょうか」
「そうじゃとも」
「でも」
わたしはそこで鼻をすすり上げ、鼻声のまま言いました。「あなた様は、わたしの守護神のような感じなのでしょう? 守ってくださるとおっしゃいました。だから、一緒にいて仲良くするのも問題ないですよね?」
「守護神というよりは邪神じゃがな」
「邪神……」
そんなことをおっしゃいますが、コーデリア様は優しいと思います。
ええ、間違いなくそう思います。
それからの日常生活は、何とも奇妙で穏やかなものになりました。
アルヴィ様はお忙しいのでしょう、それから全然お屋敷には姿をお見せにならず、幾度も夜を繰り返して毎日が過ぎていきました。
コーデリア様はお屋敷の中でのんびりなさっていましたが、彼女の定位置は応接室のソファの上になっていました。
多分、気を遣って下さったのだと思います。
ずっと、わたしの部屋にいらっしゃったのですが、わたしにはちゃんとした寝床がないと気づいたようで明け渡してくれたのです。
アルヴィ様がお戻りになったら、コーデリア様のお部屋も準備してもらうよう、お願いしなくては。
随分と一階の部屋は片付いてきましたし、何とかなると思うのですけども。
で、ここまで掃除が進んでくると、気になるのは二階の存在です。
アルヴィ様は、二階の掃除はいいとおっしゃいました。
大切なものが多すぎるから、と。
――あれ?
ふと。
わたしは少しだけ、不思議に思います。
失って困るような大切なものは、この屋敷には置かない、とおっしゃっていたのに。
二階には、大切なものがある?
まあ、言葉の綾というものもありますし、気にするほどのことはないのでしょうが。
でもちょっとだけ、引っかかりました。
「では、買い出しにいってまいります」
わたしはその日、一通りの掃除を終えるとコーデリア様にそう声をかけて、ノルティーダへと向かうことにしました。
毎日の食べ物は……野菜などには困りませんが、コーデリア様の食事用の肉類がほとんど底をついていたのです。
アルヴィ様から預かったお金もありますし、買い物には困りません。
ただ、あまり使いすぎないように気を付けないとなあ、と思います。
本当、いつお帰りになるのでしょうか、アルヴィ様は。
「一緒にいってやろうか、ミア」
コーデリア様がわたしを守る、という役目のためにでしょうか、そう言って下さいますが遠慮しておきます。
一緒に行動したら、ノルティーダでみんなの視線を一身に受けるのが目に見えています。それほどまでに目立つ存在なのです、コーデリア様は。
とりあえず、目的を済ませたらすぐに帰ってこようと急いで準備をして外へと出ました。
ここのところ、本当にいい天気が続いていて、散歩がてら街までいくのも苦になりません。
本当、平和な毎日でした。
アルヴィ様のことを考えると、少しだけ胸が苦しくなるのを除いては。
そして、買い物をしたり掃除をしたり、コーデリア様と会話をしたり、こっそりアルヴィ様の本棚にある本を読んだり。
そんな日常が続き、来客も全くないまま時は過ぎて。
アルヴィ様がルークと一緒にお戻りになったのは、結構日にちが過ぎてからでした。
「ごめん、随分遅くなった」
玄関ホールに現れたアルヴィ様の表情には疲れが見えましたが、優しい笑顔でわたしたちの前に立ってそう言いました。
ルークは相変わらずアルヴィ様の肩の上に乗ってましたが、すぐに飛び降りてわたしの胸の中に飛び込んできます。
「撫でろー」
とか言いながら。
まあ、言われたからには気合いれて撫でますけども。
そりゃもう。
うにゃうにゃいう猫を胸に抱きながら、アルヴィ様の後について歩き、応接室へと入りました。ソファの上にいるコーデリアを見て、一瞬だけ驚いたような表情をして見せたアルヴィ様でしたが、すぐにその口元に困ったような笑みが浮かびました。
「やあ、コーデリア。随分と馴染んだね、この屋敷に」
「そういうお主はどうじゃ。また、妾のことを忘れておったのか」
皮肉げに笑うコーデリアを前に、アルヴィ様は僅かに肩をすくめて見せました。
――忘れていた、のかも。
何となくそう思います。
「とにかく、何事もなかったようで何よりだよ」
アルヴィ様は空いているソファに腰を下ろすと、足を組んでため息をつきました。「とにかく、疲れたよ。肉体的にじゃなくて、精神的に、ね」
「どんな仕事をなさっていたのですか?」
わたしがぐにゃりと伸び切ったルークを抱えながらそう訊くと、アルヴィ様は小さく唸って続けました。
「まあ、大声では言えないけど。フェルディナンドの王城には、色々とあってね。あの地下にはこの国にとって、とても重要なものが住んでいるのだよ」
「地下に、でしょうか」
「ああ」
「ええと……何が、ですか?」
住んでいる。
つまり、生き物。人間。それとも。
「うーん。まあ、守り神みたいなものかな」
「ああ、コーデリア様のような?」
「妾は邪神じゃと言ったろう」
すかさずコーデリア様から突っ込みがはいりましたが、とりあえず聞き流しておきます。
アルヴィ様も聞き流したようです。
「住んでいるけれども、寝ていてもらわなくてはならない守り神だね。それが目を覚ましそうだったから、寝かしつけてきた。それだけかな、仕事としては」
「簡単におっしゃいますが、大変なお仕事だったのですよね?」
「うん、まあ、そうかな」
「お疲れ様でございました。ごゆっくりお休みください」
わたしがそう言うと、アルヴィ様は楽し気に笑い、小さく頷きます。
「ああ、ゆっくり休むよ。報酬も随分もらったしね、当分はこの屋敷に引きこもって暮らせる。いっそのこと、この森を閉鎖して人間がここにやってこられないようにすべきだとも思う」
「閉鎖……」
「もう、人間と接するのは本当に疲れるからね。当分、関わりたくない」
「いいと思います」
「そう?」
「はい」
アルヴィ様は少しだけ、観察するかのような視線をわたしに向けました。
どうも、居心地悪くてわたしは目をそらしてしまいましたが。
「ええと……ミア」
また、わたしの名前を忘れそうになられたのでしょうか。一瞬の間をおいて、アルヴィ様はわたしの名前を呼んでくださいました。
わたしはもう一度視線をアルヴィ様に戻すと、そこには不思議な色をした彼の双眸がありました。何か、考えこんでいるかのような色です。
「急に僕は思ったのだけどね」
「はい、何でしょうか」
探るように言葉を返すと、アルヴィ様は意外なことをおっしゃいました。
「君がもし、この森でずっと暮らしたいというなら、君は今のままでは危険だと思う。普通の、女の子であってはいけない」
「え?」
「せめて、何か身を守るための魔術を覚えるべきだ」
「魔術……」
「しばらく暇になるだろうし、教えようと思うんだよ。僕がね」
「え」
「厭かい?」
「と、とんでもない!」
わたしはすぐに首を横に振って叫びました。「ぜひ、教えてください!」
そして、我を忘れたわたしは、抱いていたルークを抱きつぶしそうになっていたようです。腕の中でルークが「むぎゅー、絶壁につぶされるー」と唸るように言うのを聞きつつも、それに反論するのを忘れていました。




