第19話 そばにいて欲しいんです
彼女に疑問をぶつけたのは、その日の夜のことでした。
相変わらず庭にはデューイ様がいらっしゃって、すっかり夜も更けようという時間帯です。デューイ様は椅子に座ったままそこにいて、昼食、夕食と運んでいきましたがこの後、どうしたらいいのか解らないまま落ち着かない時間が流れていく最中のことでした。
わたしは自分の部屋にいる彼女のところにいき、こう訊いたのです。
「アルヴィ様は、本当はどういったかたなのでしょうか?」
彼女は一瞬、胡乱そうにわたしを睨みつけた後、先ほどの言葉を叫んだのです。
「妾がそんなこと、知るわけなかろうが!」
「でも、わたしの知らないアルヴィ様をご存知じゃありませんか! だって、アルヴィ様には恋人がいるなんて……わたし、知らなかったし」
だんだん、わたしの声は尻すぼみになっていきます。
このことに関しては、どう自分に言い聞かせればいいのかも解りません。
認めたくなかったのかもしれませんが。
「本当に、そなたと話をしていると疲れる」
彼女はベッドに深く腰を下ろし、僅かに俯きながらそう言いました。そして、どうしたらいいのか解らず、彼女を見守るだけだったわたしを見つめ、ゆっくりと立ち上がります。
彼女は急にわたしの右手を取り、そしてすぐに開放しました。
気づけば、もうわたしの右手には指輪が存在していませんでした。
「だんだん、馬鹿らしくなってきたぞ。もともと、なぜ妾がここに存在しているのかも悩ましい」
「どういうことでしょうか」
「魔物が人間と一緒にいるなんてことも、おかしいのじゃ。奇しくもそなたが言った通り、使い魔になるとでも理由がなければ」
「使い魔……じゃないんですか?」
わたしは純粋にそれが不思議で、首を傾げてしまいます。「だって、そのためにあなた様はここにいるのではないのですか?」
「勝手に決めるな」
「でも」
「いいか、娘」
「ミアです」
「よし解ったミア、簡単に説明してやろう。力を持つ魔物が、ただの魔術師の配下として使役される屈辱はどれほどのものか。そうとも、そうじゃ! あの小さな瓶から自由になった今、妾はどこにでもいける。あの男に一矢報いるなどと考えるのが愚かだった。そうとも、妾は自由の身なのじゃ!」
そこで、彼女は勢いよくベッドから立ち上がると、窓のほうへと歩み寄りました。
わたしは慌てて彼女の背後から抱き着き、「ダメです!」と叫びました。
「何がダメじゃ。放せ、ミア」
「名前、憶えてもらって嬉しい」
「馬鹿か!」
「はい、わたしは馬鹿です!」
「開き直るな、しがみつくな!」
わたしを引きはがそうとする彼女の腕を何とか抑え込み、必死に言います。
「お願いです、わたしを一人にしないでください!」
「何?」
「だって、外には王都の騎士様がいらっしゃるじゃないですか! これからどうしたらいいのか解らないです! それに、夜に森の中で一人きりというのは怖いんです。誰か、そばにいて欲しいんです!」
「それがたとえ魔物でもか」
「魔物でも、あなた様なら」
わたしは彼女を見上げ、その金色に輝く双眸を見つめました。「あなた様は、そんなに怖くないです」
彼女は虚を突かれたように、一瞬だけ沈黙しました。
それから、ゆっくりとこう言います。
「怖く、ない、じゃと?」
「はい。あなた様はわたしを助けてくれたじゃありませんか」
「助けた?」
彼女はそこで目を細め、舌打ちしました。「ナメクジどもからか。本当に馬鹿馬鹿しい」
「わたしにとっては一大事でした」
「とにかく放せ」
「放しても、どこにもいきませんか?」
「出ていくに決まってあろうが」
「じゃあダメです」
「娘!」
「名前を呼んでくださいー」
と、我々があまりにも馬鹿馬鹿しい争いをしていたとき、窓の外に唐突に光が弾けました。
何かが爆発でもしたのか、というくらいに鮮烈な光でした。
わたしは彼女に抱き着いたまま硬直し、窓の外を見つめます。暗闇が広がっていますが、もともと月明かりがあるのでそれほど暗いわけではありません。
だから、馬と寄り添うようにしていたデューイ様の姿も見えました。
そして、そのすぐ近くで弾けた光がゆっくりと消えていくと、そこには見覚えのある後ろ姿がありました。
アルヴィ様です。
このお屋敷を出ていったときのままの服装で、背筋を伸ばした格好でそこに立っています。
「よかったな、娘。これで一人ではなくなったではないか」
わたしの腕の中で彼女がそう言い、無理やりわたしの手を振り払うと窓から離れます。そのまま廊下へと歩いていこうとする彼女の腕をつかみ、何とか引き留めました。
「あの、本当に出ていかれるのですか?」
「……ああ、もうよい」
彼女は無表情でわたしを見つめた後、いかにも『放せ』と言いたげにわたしの手を見下ろしました。「もう、何かを期待するのはやめるべきだと思い知らされた」
「どういう、意味でしょうか」
「どうでもよい」
「でも」
奇妙な空気。
ぎこちない沈黙。
そして、外で空気が激しく動いたような気がしました。
それと、よく聞き取れなかったのですが、アルヴィ様とデューイ様が何事か話をしているような気配も。
気にはなったのですが、彼女の手首を放したら、絶対にここを出ていってしまうという確信があったので、外を見ることはできませんでした。
「……これはどういう状況?」
やがて、肩の上にルークを乗せたアルヴィ様が部屋に入ってくると、困惑したように訊いてきました。
わたしは彼女の手首を掴んだまま、こう言いました。
「話せば長くなるのですが」
「そうか」
アルヴィ様は少しだけ考えこんだ後、その視線を彼女に向けて困ったように微笑みます。「それで、君は誰かな」
「くそ」
彼女は短く悪態をつきます。そして、今までになく乱暴にわたしの手を振り払い、怒りに満ちた目をアルヴィ様に向けました。
「貴様、この妾を忘れておったか。何が『君に居場所を与えてやろう』だ、何が『独りで戦わなくてもいい』だ、優しい言葉で妾を騙しよってからに!」
「ご主人、ほら」
アルヴィ様の肩の上で、欠伸交じりにルークが言います。「随分前に捕まえたじゃんよ。人間を喰う、自称『地を這う者の王』とかいう」
「自称!?」
彼女がその鋭い視線をルークに向けます。視線だけで殺せそうなほどの力を持って。
「地を這う……」
アルヴィ様は少しだけ視線を宙に彷徨わせた後、軽く手を叩いて微笑みました。「ああ、そうだった、思い出した」
「ご主人……、だからいつも言ってるじゃん。興味のないやつのこと、忘れるのはやめろ、って」
「すまない、色々あって……忘れていた」
アルヴィ様は申し訳なさそうにそう言いましたが、彼女の怒りは冷めやらず、敵意だけを向けているのがその表情から解ります。
でも、すぐに彼女はため息をこぼし、アルヴィ様から視線をそらして苦し気に言いました。
「人間は信用ならん。もう、どうでもよい」
「すまない。その……君、ええと、コーデリア」
「貴様に名前を教えたこと、後悔しておる」
アルヴィ様は笑みを消し、ひどく真剣な表情で彼女――コーデリアに近づきました。彼女は無言で後ずさり、アルヴィ様から一定の距離を取ろうとします。
そして一瞬だけ、彼女の視線がわたしに向けられて。
意味深な響きと共に、その言葉は発音されました。
「そういえば、あの女はどうした」
「あの女?」
そこで、アルヴィ様の表情が強張った気がしました。
「そうじゃ。おぬしのそばにいた女剣士。名前は何と言ったか」
何となく、わざとらしく、ですけども。
ルークがアルヴィ様の肩の上でばりばりと爪とぎを始めました。あまりに乱暴にやるものですから、痛いだろうと思ったのに、アルヴィ様の表情は何も変わりませんでした。
そして、短く応えたのです。
「彼女は死んだよ」




