第18話 アルヴィ様の笑顔の裏には
「娘、いい加減に離れろ」
彼女が不満げに見下ろしてきます。わたしはそんな彼女に抱き着いたま見上げ、小さく訊きました。
「もう、アレはいないでしょうか」
「見ての通り、追い払ってやったぞ」
「ああ、あなたは命の恩人です」
感謝の思いを込めてさらに彼女を強く抱きしめた瞬間、無理やり彼女に引きはがされてその場に放り出されました。
「妾が恩人なら、そなたは変人じゃ。もうよい、理解した」
彼女はため息交じりにそう言って、お屋敷のほうへと歩き出しました。地を這うような音と共に、彼女の姿が屋敷の中へと消えてしまうのを見送ってから、わたしは小さく呟きます。
「変人って、失礼じゃないですか」
それから、ふとすぐそばに立っている騎士様――デューイを見て、ぎこちなく微笑みかけます。
アルヴィ様の言葉をもう一度思い出し、これからどうしようと悩みながら。
「あの、デューイ様」
「……何でしょうか」
彼はその時、馬の手綱を近くの木の幹に縛り付け、辺りを見回していました。その視線は鋭く、何か変わったことはないかと観察しているようでした。
彼の視線が自分に向けられると、少しだけわたしも緊張します。
「大変申し訳ないのですが、ご主人様から来客が来てもお屋敷の中には入れないようにと言われています」
「結構です。私の任務はこの場での待機ですから」
「そう、ですか」
でも、アルヴィ様がもしこのまま、数日間お帰りにならなかったらどうするのでしょうか。ずっと、ここでお待ちになるのでしょうか。
それに――もし、また雨が降ったら?
庭先で雨に打たれるかもしれない彼のことを思うと、雨宿りできる場所を提供しなくてはいけないはずです。
だって……このかたは、この国、フェルディナンド王国の騎士様なのですから。普通でしたら、近づくことすら許されない、身分の高いおかたなのです。
でも、こういう場合、どうしたらいいのか。
アルヴィ様の命令は、どうしたらいいのか。
何となく不安になりつつ、わたしは彼に頭を下げてからお屋敷の中へと戻りました。いざとなったら考えればいい、と無理やり結論付けて。
そして、急に思い出します。
朝食がまだでした。
「お口に合うかどうか解りませんが、こちらをどうぞ」
デューイ様に食事の差し入れをします。
焼き立てのパンと、採れたて野菜のサラダとトマトスープ。わたしだけでしたら、これだけで充分な量なのですが、男性ですから鶏肉の香草焼きも付け合わせに出しました。
こんな朝早くにやってこられたのですから、きっと朝食を取っていないだろうと思ったからです。
デューイ様は少しだけ困惑し、どう反応したらいいのか考えていたようでした。
でも、やがてわたしが差し出したトレイを受け取って礼儀正しくお辞儀をします。
「ありがとうございます」
「すぐに、椅子も運んできます」
「ここで大丈夫です」
「いえ、雨上がりですよ? 濡れてしまいます」
わたしは彼が近くの地面に腰を下ろそうとするのを押しとどめ、急いでお屋敷の中から椅子を一つ持ってきました。それから、テーブルは……裏庭に出していた木箱が役に立ちそうだと思って引きずってきます。
「申し訳ありません」
彼は相変わらず困惑しつつ、わたしに頭を下げてきます。彼がトレイを木箱の上に置くのを待って、わたしは彼に訊いてみました。
「あの、ご主人様にどういったご用事だったのでしょうか。何か、お急ぎの?」
「それは……」
彼は苦笑して見せます。「殿下の許可を得てからではないと、説明はできません」
「ああ、そうですよね」
わたしは小さく唸り、少しだけ考えこみます。
そして、別の質問をしてみました。
「あの、そういえば聞いたことがあるのですが。ご主人様――アルヴィ様が国王陛下の命をお救いしたというのは本当なのでしょうか」
「それは……事実ですね」
「今回も、もしかしたら?」
「それも説明できかねます」
「うーん」
それもそうか、とわたしは笑いました。
そして、これ以上何を訊いても答えは得られないだろうと思い、そのままお屋敷の中へ戻ろうとしました。
しかし、今度はデューイ様から質問を受けました。
「アルヴィ・リンダールとは、どういった男性なのでしょうか?」
「え?」
「我々が得ている情報では、力のある魔術師であるということ、気まぐれで気難しいということ、その程度です」
「うーん、お優しいかただと思います」
「優しい?」
「はい」
わたしが頷くと、デューイ様は躊躇いがちに言いました。
「優しい、とは聞いたことはありません。何というか……悪い噂も聞こえています。彼は他人を寄せ付けない、冷たい人間なのだと。優しいのは見かけだけだ、とも」
「そんなこと」
わたしは首をぷるぷると横に振りました。
アルヴィ様はわたしを助けてくれましたし、それに。
昔、見たアルヴィ様の行動は……とても魅力的に感じました。
そう、ずっと昔のことですけども。
わたしがアルヴィ様を意識始めたのは、確かに薬屋で姿をお見かけしたのがきっかけですが、それ以上の理由がありました。
ノルティーダはかなり栄えている街だと思います。交通の便がいいというのも理由なのでしょうが、年々、行きかう人々が増えてきています。だから、思わぬ事故も多いのです。
随分前に、王都からきた行商人の馬車がノルティーダで事故を起こしたことがありました。御者の注意不足が原因だったのか、幼い少年を跳ね飛ばしたのです。
少年の両親らしき二人が顔を青ざめさせ、少年のぐったりとした身体を抱えて悲鳴じみた声を上げる場所に、偶然アルヴィ様が居合わせたようで、少年の命を救ったのです。
その、アルヴィ様の持つ医療魔術で。
今にも死にそうだった少年の頬に赤みが差し、意識を取り戻したときのアルヴィ様の笑顔。
それは、本当に……魅力的で。
「助かってよかった」
と囁いたアルヴィ様の声も、今でも思い出せます。
あまりにも必死な感情が見えた気がしました。
そして、その後に続いた言葉が、とても切なげな感じで。
「自分は、無力ではないのだろうか」
確かに、あの美しい笑顔に誰もが目が眩むのでしょう。実際、わたしもそうでした。
でも、それだけじゃないんです。
あの笑顔の裏に、何か影が見え隠れしています。寂しそうにも思えますし、苦しそうでもありました。
理由はないのですが、本当のアルヴィ様は、もっと違う表情を持っている。
そう思えてなりませんでした。
「まあ、どちらでもいいのでしょう」
そのデューイ様の声に我に返り、わたしは彼のほうへ視線を投げました。
デューイ様は静かに笑い、まるで自分に言い聞かせるように続けます。
「こちらの願いを聞き入れ、仕事を受けて任務を遂行させるなら彼がどんな人間であろうと気にする必要はないのでしょう。よい噂を聞かなくても、優秀な腕を持っているなら……何も気にすることなど」
何なのでしょうか、この感じ。
わたしのイメージするアルヴィ様は、とても美しい存在なのに。
何か、少しだけずれているような気がする。
わたしは自分の心の中に芽生えた違和感を抱えたまま、お屋敷の中へと戻りました。
そして、自分の右手を見下ろし、指輪を見つめて唇を噛みました。
この違和感の答えを、彼女は知っているでしょうか。
「妾がそんなこと、知るわけなかろうが!」
結局、見事に一刀両断されました。




