第12話 君は、女の子なんだから
「あなた様は、『死』をいうものを身近に感じたことはありますか?」
ソファに座ったまま、アルヴィ様は優しく彼を見上げてそう言いました。
「何の話ですか。私は」
ラルフ様の表情の険しさは一層激しくなり、苛立ちも隠せてはいませんでした。それでも、アルヴィ様は僅かに首を傾げ、こう続けます。
「もし、自分の命が残り少ないと解った時、もしくは大切な人間がこの世界から消えてしまった時、あなたは今までと同じ自分でいられますか?」
「いや、だからですね」
「人間は誰しも、転換期というものがあるのですよ。あなたのお父上もそうなのでは?」
「転換期?」
ラルフ様はそこで眉を顰め、少しだけ考えこむような仕草をして見せました。
アルヴィ様はそこで彼にもう一度ソファに座るよう促し、ラルフ様も不承不承といった様子でそれに従います。
アルヴィ様は少しだけ落ち着きを取り戻したラルフ様に、微笑みかけました。
「あなたのお父上は、確かに問題のあるかたのようでした。そこにいるうちの……ミアも巻き込まれましてね。もう少しで毒牙にかかるところでしたから」
「うっ」
ラルフ様が唇を噛んで居心地悪そうに居住まいを正します。
「問題を起こしてノルティーダに戻ってこられたとおっしゃいましたよね? 王都からここまでかなりの距離があります。ノルティーダはそれなりに栄えている街でしょうが、王都に比べればとても小さすぎる。もし、王都に戻れないまま、ここで死に至る病に冒されたと知ったら、あなたはどうなさいます?」
「どうとは……?」
「自分の人生を無為に思うことはありませんか?」
「それは」
ラルフ様がアルヴィ様の言葉を聞いて、苦し気な息を吐き出しました。
わたしも何となく、ですが、アルヴィ様のおっしゃりたいことが解った気がしました。
「あなた様のお父上は、商売上手のようだ。ノルティーダで一番大きなお屋敷を持っているということからも、やり手だということが解ります。でも、もし死が自分に近づいてきていると解ったら、今の不名誉な状況を変えたいと思うことだってありうるでしょう?」
「それは……そうかもしれませんが」
「幼い少女にかまっている時間がどこにあります? 地に落ちた評判を何とか回復させるにはどうされます?」
一瞬の間がございました。
ラルフ様は疲れ切ったように自分の手でこめかみを押さえ、目を閉じて口を開きます。
「回復させようとしている……と、思われますか?」
「さて、僕には解りません。ただ、急激な変化には理由があるのではないかと申し上げています」
「う……ん」
ラルフ様は低く唸り、そっと目を開いて申し訳なさそうに微笑みました。「私は、あなた様が父に飲ませた薬が原因だと考えておりました。それが原因で父が狂ってしまったのだ、と」
「そう思われても仕方ないのかもしれませんね」
アルヴィ様は優しく頷きます。そして、ラルフ様の次の言葉を待ちました。
「確かに、父はノルティーダで住み続けることを拒み、王都に戻ろうとしています。その理由が、未亡人の年配の女性たちを集めたハーレムを作るとかとんでもないことを言うものですから」
「ハーレム、ですか」
「最初はそれしか言っていませんでしたが、確かに後になって、その方法も明確に言葉にしています。王都に、彼女たちが安心して住める大きなお屋敷を作るのだそうです」
「お屋敷?」
「はい。裕福ではあるものの、例えば身内がいない場合。寂しく一人で暮らしていくよりは、同じ年ごろの女性たちが集まる家があれば、楽しいのではないか、と。健康的な食事と、綺麗に掃除された部屋、娯楽が充実した屋敷。そこで、楽しく暮らしていくのだ、と。もちろん、そこでは身の回りの世話をする者たちがいて、彼らに給料を払わなくてはいけない。だから、そこで住まうには彼女たちからお金をいただくことになりますね」
「商売上手でいらっしゃる」
アルヴィ様は小さく、声を上げて笑いました。「年配の女性で、身寄りがない場合、一人暮らしは不安でしょう。いつ病気で倒れるか解りませんから、もし財産があるならそれを使うことも有意義ですよね」
「そう、ですね」
ラルフ様はそこで少しだけ苦笑しました。「ただ、父はそこで彼女たちに囲まれて両手に花の生活を送るのだ、とか言ってますから、ちょっと不安で」
「なるほど」
アルヴィ様もただ笑います。
わたしはルークを抱いたままお二人の会話を聞いていましたが、何だか意外な展開で驚いてしまいました。
ヒューゴ様がお考えのそれって、素晴らしいことなのではないでしょうか?
ハーレム、とか聞きますとちょっと変な気はしますけど、全然方向性が違うような気がするのです。
「ただですね」
ラルフ様が重々しい口調で続けました。「父の評判は、王都ではすこぶるよろしくない」
「でしょうね」
「そこで、お願い――いえ、報酬を払わせていただきますので、あなた様の手をお借りしたい」
「私の?」
「はい。あなた様の話が本当ならば、父の命を救ってくれた恩人でもあります。死の病に打ち勝つ薬を作ることのできる、優秀なおかたです。魔術師としても、きっと、素晴らしいお力をお持ちなのだと確信します」
「それはそれは、買い被りもいいところですね」
若干、アルヴィ様が困ったように目を細めて見せました。
「いいえ、ぜひお願いいたします。お力をお貸しください。父がもう一度、王都で暮らせるようにお力添えを」
「さて……」
悩むように言葉を濁すアルヴィ様を見て、ラルフ様が思い切ったように口を開きます。
「報酬は一千万ゴルトお支払いします。あなた様が父を救ってくれた、薬の金額と同じだと思います。この報酬で、もう一度父を救ってくださいませんか!?」
「ありゃりゃ」
わたしの腕の中でルークが小さく呟いています。「こりゃ、ご主人、折れるな」
その言葉の通り、アルヴィ様は少しだけ考えこんだ後、躊躇いがちに頷きました。
「どこまでお力になれるかは解りませんが、やってみましょう」
「ありがとうございます!」
ラルフ様はそこで勢いよく立ち上がり、アルヴィ様に手を伸ばしました。
アルヴィ様は苦笑した後、彼と軽く握手を交わしました。
急遽、アルヴィ様はルークを連れてノルティーダへと向かうことになりました。どうやら、そのままラルフ様たちと一緒に王都へ向かい、お仕事となるようです。
「ええと、ミア」
アルヴィ様は少しだけ心配そうにわたしに言います。「君はここで留守番をしてもらうことになる。さすがに連れてはいけないからね」
「はい」
それは当然のことです。
何の特別な力も持たないわたしは、きっと足手まといになるはずです。
「大丈夫です、ご主人様。とにかく、この屋敷中の掃除をして過ごしつつ、お帰りをお待ちします」
握った拳に力を入れつつそう言うと、彼はわたしの頭を撫でてくださいました。
うう、心臓が暴れます。
撫でていただけるのは、本当に嬉しいんですけれども。
「掃除は助かるけど、一階だけにしておいてくれ。二階には大切なものが多すぎる。捨てられると困るものも多いからね」
「かしこまりました。一階だけですね」
「それと」
「はい」
「来客が来ても、追い返しなさい。屋敷の主は不在だと言って、鍵をかけたまま絶対に相手を屋敷の中には入れないように。君は、女の子なんだから」
「……はい」
そう応えた時、ちょっとだけ胸が苦しくなりました。
理由なんて解りません。ただ……女の子扱いされたのが嬉しかったのか、辛かったのか。自分でもよく解りませんでした。




