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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第119話 また、会いましょうね<アルヴィ視点>

 耳鳴りがした。

 辺りに渦巻く魔力の流れが、妙に現実離れした空間を作っている気がする。

 でも、これは現実だ。そして、急いで何とかしなくてはいけないことなのだ、と解っていた。

 考えろ、考えろ。


 一体、どうすればいい?


 ほんの少しだけ目を閉じて自分の考えの中に沈む。


 胸が痛かった。

 何のために僕はここにいるんだ? ヴァイオレットを追わなくてはいけない。彼女は厭がるのが目に見えていたとしても。

 そのために今夜を待っていたはずなのだから。

 しかし――。


 そうなんだ、と思う。

 今、自分は選択しなくてはいけない。

 この世界から逃げるのか、それとも――。


「ルーク」

 僕が目を開けて彼の名前を呼ぶと、はっとした様子で小さな使い魔は顔をこちらに向け、一直線に僕の胸の中に飛び込んできた。

「ご主人! やべーぞ、あれ! どうすん……って、それよりご主人!」

 僕の服の胸元に爪を立てつつ、ルークが必死な目をこちらに向ける。

 それを見下ろして、先ほどとは違う胸の痛みが襲った。

 そうだったな、と笑う。

 彼はいつだって僕のそばにいて、ただ純粋に僕を慕ってくれていた、と思い出す。

 そんなことすら忘れていた? いや、気づきたくないから考えてこなかっただけだ。

「解ってる、ルーク」

 僕は彼の小さな頭を撫でた。耳の感触の柔らかさと、その温かさに触れて胸の痛みが和らぐ。

「色々とごめん。それと――」

「何を解ってるってい」

「さっきの指輪、持ってるかい?」

 僕はルークの言葉を遮って続けた。「誰かに押し付ける予定だったやつ」

「指輪?」

 ルークは怪訝そうに首を傾げ、何かを思い出したかのように自分の右前足を上げた。すると、まるで腕輪のようにあの指輪をそこに嵌めていた。

 伸縮自在なのか、それとも無理やり押し込んだのか、と苦笑しつつ、僕はその指輪をルークの前足から抜き取った。

 そして、自分でも予想していなかったことをこれからするつもりだった。


 指輪を手のひらの上に乗せ、魔術の呪文を唱える。

 それは、封じたはずの彼を呼び出すもの。


 手のひらの上から膨大な魔力の放出と共に指輪は消え、白い魔物がその場に元の姿を見せた。

 彼は最初、驚いたように目を見開いていたようだった。きっと、僕から呼び出されることはないと思っていたのだろう。確かに僕も呼び出すつもりはなかった。

 でもこの際、そんなのは関係ない。


「……予想外ですね」

 彼はそっと目を細め、静かに笑って僕を見つめる。

 酷薄そうな笑み。長くて白い髪が赤い夜の影響を受けているせいか、若干の赤みを帯びていた。

「俺様も予想外にゃ」

 僕の胸元からそんな声も聞こえたけれど無視をしておく。

「説明が面倒だから、手っ取り早く言うよ」

 僕は笑って彼を見つめ直し、短く告げた。「君を僕の使い魔として契約する」

「……それは」

 彼の笑みの形は変わらなかったけれど、明らかに嫌がっている気配が伝わってきた。しかし、一度僕の魔力に寄って封じられた彼には拒否する術はない。彼は大人しく従うしかないのだから、問答無用で呪文の詠唱を始めることにする。

「お断りします」

 彼が続けてそう言ったけれど、それは遅すぎた言葉だ。

 魔術が完成し、僕と彼の間に魔力のつながりができる感覚を覚えた。

 使い魔と契約するということは、お互いの魔力を共有することでもある。ただし、負担は魔術師側の方が多い。僕は自分の魔力を彼に与えることで、たとえどれほど離れていたとしてもお互いのことが手に取るように解る。

 通常ならば、使い魔との契約は複数とするのは好ましくはない。

 僕にはルークという使い魔がいて、もうすでに魔力を分け与えている。

 新たな使い魔と契約すれば、また魔力の消費が増えるということだから。


 しかし、こうなったら相手を選んでいる場合でもないし、シュタインと契約しても大丈夫だと踏んだ。レストリンゲの実から得た膨大な魔力のお蔭でもある。


「冗談にしては面白くないですね」

 シュタインは自分の身体に纏わりついたであろう、契約の術式を振り払うような仕草をして見せた。しかし、当然のことながらそれは無意味だ。もう、契約は完成している。

「冗談で君みたいな厄介な相手を使い魔にするつもりはないよ」

「そうでしょうね」

 彼はそれでも笑い続ける。「それで、私に何をさせようとしているのですか?」

「ああ、それはね」

 僕は彼に近づき、彼にだけ聞こえるように言った。「コーデリアがミアに手を出そうとしたら全力で邪魔して欲しいんだよ」


「……は?」

 シュタインはそこで、明らかに困惑したように目を細めた。

 僕が彼に近づいたことも彼の警戒心を煽ったのか、少しだけ後ずさりながら何か疑っているような視線を僕に向けてくる。

「コーデリア……」

 ちらり、と彼は横目でコーデリアたちに視線を投げる。

 そして、さすがに笑みが完全に消えた。

「……状況が理解できかねます」

「僕もだけどね」

 僕らの視線の先では、男性の姿となったコーデリアと、困惑しておろおろしつつも少しだけ嬉しそうな表情のミアがいた。どうやらミアは、純粋にコーデリアのことを凄いと考えているようだ。純粋というか、単純だな。

「君への命令は簡単だ。さっきも言ったとおり、コーデリアを見張ってミアを『性的に』襲うのを防いで欲しい」

「性的に?」

 そこでシュタインは僕に視線を戻した。

 無表情から、楽し気な笑みに変わるまで時間は必要としなかった。


 ――イラつく。


「なるほど? なかなかあの女王は趣味がいい」

「僕は無駄口は嫌いだから、黙って従ってくれないか」

「そうですか。私はあなたが厭がることをするのが好きなので。ぜひとも、女王には頑張って欲しいものです」

「お前」

 僕がシュタインを睨みつけると、彼は涼しい顔をして首を傾げて見せた。

「むしろ、あなたへの嫌がらせの一環として、私があの子を強姦したいくらいですがね。残念ながら、彼女は悪意を持った相手を寄せ付けない力を持っているようですから、私には無理でしょう。つまり、女王も――いえ、あの王もあの子が厭がるなら手を出せないのでは? 合意の上での淫行なら別にとめる必要など」

「いいから黙ってろ」

 僕はそこで手を上げて彼の言葉を遮った。

 しかし、僕がイラつくほど彼は笑みを強くするだけだ。それがさらにむかついて仕方なかった。

「とにかく、使い魔となった君は僕の命令を聞けばいい。簡単だろう?」

「残念ながら簡単ですね」

 鼻で嗤う彼の笑みを消したくて、僕はわざと厭な言いかたを選んだ。

「嫌う人間に使役される屈辱を味わえばいいと思うよ」

「早く死んで欲しいですね」

 シュタインの笑みは消えることはなく、妙に鮮やかにも感じた。しかし、内心の怒りや嫌悪感というものが明確に伝わってくる。僕の言葉に苛立っているのは間違いはない。

 よりにもよってこいつを使い魔にしたことを、微かに後悔した。

 しかし、ルークに頼んでも魔物としての強さではコーデリアに負けてしまう。


『妾がその男に負けると思うか?』

 唐突に、コーデリアの声が僕の頭の中に響いた。

 気づけば、コーデリアはミアの頭を撫でながらこちらに視線だけを向けていた。

 何だろう、シュタインに感じるものとは違う苛立ちが湧き起こる。

『試してみればいいんじゃないかな? やってみれば?』

 僕が頭の中でそう返すと、コーデリアは薄く微笑んで見せた。

「挑発には乗らんぞ、魔術師よ」

 そこで彼女が声に出してそう言うと、ミアが我に返ったように身体を震わせて僕の方を見る。

「あ、あの! アルヴィ様、何だかとんでもないことになってますけど!」

「解ってる。何とかするよ」

「あ……でも」

 そこで、ミアが気まずそうに僕から目をそらす。そして、コーデリアの服の裾を掴んで表情を曇らせた。

 彼女の視線がゆっくりと、死者の世界につながる門の方向へと動くのを、僕は複雑な想いで見つめる。

 コーデリアがミアをまた抱き寄せるのを見て、僕の胸の内にある奇妙な思いはさらに強まった。

「ごめんね、ミア。色々……その、迷惑をかけたことを謝るよ」

 僕の言葉に、彼女はこちらを見ようとしないまま力なく首を振るだけだ。


 ずっと願っていたことが、叶わなくなる。

 でも、これは仕方ないことなのだとも思う。


 決められた道なんて存在しない。

 でも、その道を決めようとしたのは僕だ。

 どんな嘘をついてでも、他人に迷惑をかけようとしても気にせず、ただ目標地点に向かって歩いていただけ。

 他人を拒否し、近づかないようにしたのも僕だったし、師匠から離れたのも僕からだった。いつだって周りの人たちはこちらに手を伸ばそうとしてくれていたのかもしれないけれど、それを見ようとしなかった。


「考えたのだけれど……」

 僕はルークを抱きしめたまま言葉を続けた。「僕はまだしばらく、こちらの世界にいようと思う」

「え」

 そこでミアが表情を強張らせて僕を見つめる。コーデリアの服を掴む白い指にも、さらに力が込められているのが見えた。

「何かと問題は山積みだし、クリスタルとの約束も守れていない」

 ――元々、守るつもりはなかった約束。

 あの場限りの約束のつもりだったけれど、やっぱり一度交わしてしまった約束は守るべきだ。

 少なくとも、昔の僕だったらそう考えていたはずだ。


 ――今のあなたって最低。


 ヴァイオレットはさっき、そう言った。

 その通りだ。どうやっても否定はできない。


「でも……いいんですか?」

 ミアが不安げにその睫毛を揺らした。今にも泣きそうだと思った。

「だってアルヴィ様は、ヴァイオレット様のことが誰よりも好きで。今夜を待っていらしたんですよね?」

「待って……」

 確かに、赤い夜を待っていた。

 もう一度、ヴァイオレットに会うために。

 でも。

「このまま、向こう側に行ったら彼女に嫌われる」

 ――いや、もう愛想をつかされている可能性が高い。

 自嘲の笑みが自然と唇に浮かぶのを自覚しつつ、僕はそれを消そうと唇を噛んだ。


 そして。


「それって……」

 ミアの声が震えていた。「まだ、わたしはおそばに置いていただけるということですか?」


 何だろう、胸が痛む。

 何だか今夜は情緒不安定なのだろうか。感情が奇妙に揺さぶられることが多い。


「もちろんだ。それにこれからはもっと……お互い、色々話すべきだと思ったんだ。僕は君のことを何も……見ていなかったよね」

「いいえ!」

 ミアは慌てて首を横に振った。「アルヴィ様はいつだって、わたしにとてもよくしてくださいました! とても優しくて……だから」

 そこでミアはコーデリアの胸に頭をぶつけるようにして埋めた。

 自然と、コーデリアが彼女を抱きしめるような体勢になる。

 それはあまりにも自然な動きであったのに、僕には不自然なことに思えて仕方なかった。

「……一緒にいられるのは嬉しいです」

 ミアの声は小さく、か細かった。「でも、ごめんなさい。喜ぶのはダメですよね。アルヴィ様の幸せはここにはないのに」


 彼女の顔は見えなかった。

 でもきっと、泣いているのだろうと思えた。


「幸せはあったんだと思うよ。ただ、気づいていなかっただけだ」


 コーデリアがミアの背中を優しく撫でるのを見て、僕は目をそらした。

 そして、僕はそのまま門へと歩き出した。

 背後で、ミアが何か言うのが聞こえた。でも、僕は振り返らずに急いで門の前に立った。


 凄まじい魔力の放出の渦。

 門から無限に湧き出てくるのだろうかと思えるくらいの、死者や魔物たちの姿。

 僕の服や髪の毛が風圧に負けて乱されていくのを感じつつ、ヴァイオレットの名前を呼んだ。でも、とても相手には届かないだろうと思える声にしかならない。

 その頃には、僕の胸の中にいたルークは押し寄せる魔力に負けてしまったようで、いつしか僕のところから離れてミアの近くに戻ってしまっていた。


 それでも、数度彼女の名前を呼んでいると、消えたはずの彼女の姿が僕の目の前に降り立った。透き通った姿。人間ではない存在。

「つまんないこと言ったら殴るからね」

 彼女は怒りを露わにしたままそう言ってくる。眦を吊り上げて、今にも噛みつこうかと言わんくらいの勢いだった。

「ごめん。身辺整理ができてなかった」

「は?」

「君のところに行くことばかり考えてた。だから、周りの人間のことなんて何も考えてなかった」

「でしょーね」

 彼女は呆れたように鼻を鳴らす。何をいまさら、といったところか。

「だからもう少し、こっちに残ることにする」


「……あっそう」

 一瞬の沈黙の後、ヴァイオレットは少しだけ口調を和らげて言った。「で、どうするつもり?」

「身辺整理だよ」

「はあ? 死ぬの、諦めてないの?」

「人間はいつか死ぬよ」

 僕は苦笑を返した。「いつか、きっと君のところに行ける。それまで、やり残したことをやっておかないとね」


「そう」

 彼女はまだ僕を疑うような表情で見つめている。「だったら、殿下ともちゃんと話し合っておいて。きっと、苦しんでるはずだから」

「そうだね」

 僕は素直に頷いた。「あんな人だったけれど、君のことを本当に好きだったはずなんだ」

「う……ん」

 そこでヴァイオレットが困ったように笑う。

 やっぱり、彼女は笑っている方がいい。それを見ている僕も、自然と口元が緩んだ。

「ありがとう、ヴァイオレット。それと、本当にすまない」

「……それは、何に対する謝罪?」

「君を死なせてしまったこと」

「今更ね」

「今更だね」


 それでも、ずっと後悔していた。

 僕のせいであることは間違いないのだから。


「ねえ、アルヴィ」

 そこで、ヴァイオレットが優しく微笑む。

「何だ?」

「いい加減、あなたは自由になってもいいと思うの」

「自由?」

「あなたは生きてるんだから、好きにやりなさいよ、ってこと」

「好きにやってるよ」

「そう?」

 彼女はそこでまた僕の肩を叩こうとしてすり抜ける。こうやって改めて感じることは、ヴァイオレットって結構バカだな、ということ。

「何か変なこと考えたでしょ」

 しかし、勘は鋭い。

 僕はただ微笑んで見せた。


「ま、いいわ」

 やがて、彼女は目を細めて言った。「あなたがもし老衰で死んだら、意地でもわたしがお迎えにいってあげる」

「お迎え、ね……」

「もしくは、アレだわ!」

 彼女は拳を握りしめ、にやりと笑う。「あなたが結婚して子供が生まれることになったら、意地でもわたしがその子供として生まれ変わる!」

「それは厭な感じだな」

「何よそれ」

 ヴァイオレットは唇を尖らせ、不満を露にした。でも、少しだけ機嫌は良くなったようだった。

「まあ、わたしもそんなことができるかどうか解んないけどね。でも、こういうお別れの言葉の方がわたしは好き」


 ――お別れの言葉。


「僕は君のことが今でも好きだ」

 そこで、思わずついて出た言葉。

 すると、虚を突かれたのか彼女は一瞬だけ言葉を失って。

「そう? わたしも好きよ」

 照れたように言う彼女の表情は柔らかい。


 ヴァイオレットはやがて小さく続けた。

「また、会いましょうね。いつか。遠い未来で」

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