第117話 王であり、女王でもある<アルヴィ視点>
僕にとって、ヴァイオレットは特別な存在だった。
幼馴染みで、恋人でもあった。
お互いのいいところも悪いところも理解して、お互いがその欠点を補う立場であろうとした。
でも結局、彼女は僕のせいで死んだのだ。
僕と一緒にいたから。
だから目をつけられた。
もしも、ヴァイオレットが僕と恋人という関係でなかったら、あいつらに目を付けられることはなかっただろうか?
彼女が死んでから、僕はそれをずっと後悔と共に考えてきた。
そして考えれば考えるほど、苦しくなった。
もう、彼女はこの世にいないのだ。
守りたいと思った彼女がいない。
一緒に生きていきたいと思った彼女がいない。
彼女を殺した男を追いつめ、この手にかけて血を浴びた瞬間だけ、心から笑うことができた。おそらく、誰かを殺して嬉しいと感じたのはあれで最初で最後だろう。
ヴァイオレットが痛みを感じた分、与えてやれた、と思った。
本当に嬉しかった。
そう、嬉しかったのだ。
でも、それは間違った行為だ。
理性では理解していても、どうにもならないことがあるのだと僕は知った。
師匠は今までにしたことのない苦し気な表情で、笑い続ける僕を抱きしめてくれた。
「宮廷魔術師候補を殺したのですから、僕もただでは済みませんよね?」
笑いながら僕がそう言うと、師匠は「そうだね」と短く応えた。
このまま師匠のそばにいるわけにはいかない。僕という存在をそばにおけば、きっと迷惑をかけてしまう。
だから、僕は彼の庇護のもとから逃げた。
使い魔のルークだけを連れて、王宮からの処刑人がくるのを待った。
そうすれば、僕もヴァイオレットのそばにいける。自殺では駄目なのだ。誰かに殺してもらわないと、きっと僕はヴァイオレットと同じところには行けない。
でも結局、僕は生き永らえることになった。
この辺りのいきさつに関しては複雑だ。
「殿下は……気にしてるでしょ?」
歯切れ悪く、ヴァイオレットがそう言った。「わたしが殺される時、相手が言ってたのよ。アーク殿下を惑わす魔女め、って。ま、失敗したわよね。わたしたちは下手に王家の人間と関わりすぎたのよ。いくら殿下がわたしを気に入ってくれたとはいえ、もっと……空気を読むべきだった。きっと、殿下のことだからわたしの死に責任を感じたんじゃないかって思う」
確かに、と僕も思う。
殿下を恨まなかったと言えば、嘘になる。
僕は確かにあの一件の後、殿下への態度が変わった。
それまでの関係とは真逆だ。
殿下は僕をからかうこともなくなったし、それに僕が悪態をついて返すということもなくなった。お互い、どうしても壊せない壁を作った。
もちろん、解ってはいた。
殿下が苦しんでいること。
僕と同じように、後悔していること。
でも、同じ苦しみを持つ僕らとはいえ、立っている場所が違う。結局、そういうことだ。
僕らは最初から、関わるべきではなかったのだ。
「殿下の件は、まあ、何とかなったと思う。随分、気にされていたけどね」
少しだけ考えこんだ後に、僕はヴァイオレットにそう言った。僕の声に潜んだ薄暗い感情に彼女は気づいただろうか。
「まあ、殿下はあんな変な人だったけど、根は真面目だったからね。だと思ったわ」
冗談めかして彼女は笑い、そして目を細めて僕を見つめる。「……あなたは殿下を慰めてくれた?」
――冗談だろう?
僕は思わず失笑した。
「もう、関わりたくないよ。それに、お互いのためにもなる。僕が殿下のそばにいれば、否が応にも君のことを思い出すだろうし」
「仲直りしたら?」
「直す仲なんてないよ。元々、仲は悪かった」
「そうねー」
ヴァイオレットはニヤリと笑って首を傾げる。「あなたくらいよね? 殿下のこと、面と向かって変態って言ったの」
「確かに。怖いもの知らずって怖いよね」
「他人事のように言わないでよ。あなたのことなんだからね!」
「そうだね」
――でも、もうどうでもいい。
「どちらにせよ、殿下は過去を忘れるべきだ」
僕はもう忘れられる。
何もかもが終わる。
いや、終わらせるのだ。
「だから、僕もいない方がいい。そう……思わないか」
「あ、バカ? バカかな?」
ヴァイオレットが不機嫌そうに目を細めて僕を睨む。ああ、久しぶりだな、とも思った。いつだって、彼女は僕を叱る立場だった。そして僕は彼女にだけは頭が上がらない。
何だか本当に、昔に戻った気がした。
ヴァイオレットがいれば、いつだって僕は過去の自分に戻れる気がする。
どこから湧いてくるのか解らない自信と、何かを楽しいと思う感覚。
もうずっと、忘れていた何か。
それを取り戻せる。
「ほんっと、あなたっていつも後ろ向きなんだから!」
ヴァイオレットがそう言った瞬間、ルークが叫んで僕の背中に体当たりしてきた。
「思わないにゃー!」
ルークに関しては、預け先の心当たりがある。
僕は数少ない友人の顔を思い浮かべた。
僕の服の裾に噛みついて暴れている小さな使い魔を抱き寄せ、撫でながら……ルークとも長い付き合いだったな、と考える。
でも、僕がいなくなっても何とかなるはずだ。友人――ラウールには随分と不義理をしてしまったけれど、きっとあいつのことだからルークのことを引き受けてくれるだろう。
何だかんだいっても、彼は情に厚い男だから。
でも、当の本人――本猫が厭がっているのが問題か。
そして……ミアは。
どうしようか。どうしたら一番、彼女のためになるだろうか。
そんなことを考えていると。
「ばーか」
僕の背後から、ヴァイオレットの呆れたような声が聞こえた。「女の子を泣かすなんて、最低よ? ホント、バカは死ななきゃ治らないっていうけど、あなたの場合は死んでも治らないかもね?」
……最低か。
確かに、その自覚はあった。
目の前にいる少女が泣きながらコーデリアに縋り付いている。
僕が「ごめんね」と言った直後に、彼女の瞳から消えた光と、入れ替わりに浮かんだ諦めの色。
それを見ても、僕の心は動かない。
動かないはずなのに、少しだけ後ろめたさもあった。
今更ながら、何故この子を自分の屋敷に入れたのだろうと後悔した。
最初は単なる気まぐれだったのだ。
森の奥で退屈だったから。
そこに、子犬のように無邪気に飛び込んできた彼女が、とても眩しく感じたから。
そう、彼女は『生きて』いたから。
僕とは違って、この世界に希望を抱いていたから。
だから少しだけ、興味を持った。
それだけに過ぎない。
退屈な屋敷での生活が、少しくらいは明るくなるかと考えただけ。
それなのに。
「ねえ、アルヴィ?」
背後でヴァイオレットがため息をこぼし、また僕の肩を叩こうとしたらしい。しかし、その手は僕の身体をすり抜けて、白く輝く彼女の腕が僕の胸から生えている、という奇妙な現象を見下ろすことになった。
「あ、ごめんごめん!」
慌てたような声と同時に、彼女の腕が消える。どうやら引き抜いたらしい。
僕がそっと振り返ると、照れ笑いをしながら頭を掻いている彼女がいた。
「何だか昔と同じノリになっちゃうんだよね」
「だろうね」
僕も笑う。「でも向こう側に行ったら、触れるようになるだろうし」
「うーん」
そこでヴァイオレットが笑みを消して眉根を寄せた。「っていうか、それ本気?」
「何が?」
「本気で『こっち』にくるつもりかって訊いてるの」
「そうだね」
「つまり、死ぬってことだよ?」
「そうだよ」
「厭だな」
ヴァイオレットは困ったように僕を見つめていた。
しかし、僕は単純に不思議に感じただけだ。
「どうして?」
「どうして……って」
彼女は肩眉を跳ね上げ、にやりと笑う。見慣れた表情。あまりにも懐かしくて、言葉を失いそうだった。
「あなたは生きてるじゃない?」
「……もう、死んだも同然だよ」
「どうして?」
「どうして……って」
ヴァイオレットは少しだけ僕に近寄る。僕を見上げて笑う。
そこで気づく。彼女の視点が以前より低いということ。
「わたしは死んで、あなたは生きてる。ほら、あなたの身長も伸びたよね?」
「そうだね」
「これが生きているのと死んでいる人の差じゃない?」
彼女は肩を竦めて続ける。「わたしの時間は、あの時にとまってる。でも、あなたの時間は動いてた。だから、あなたは前のあなたじゃない」
「僕は僕だよ。以前と変わっていない」
「そうね。悲しいことに、それは事実かも」
「悲しい?」
「そうでしょ? あれから時間が経った。あなたは変わるべきだったんじゃない? 大人になるべきだったのよ」
「……大人になっただろう?」
「身体だけね」
「言うよね」
「後悔してるんでしょ?」
ヴァイオレットの言葉で我に返る。
彼女は僕の心を見透かしたように微笑んでいた。
「わたしが死んだのは、僕のせいだー! とか、思ってるんでしょ?」
その口調はからかうようであったけれど、苦しげでもあった。「でもわたしは、あなたに生きていて欲しい」
「つまり……一生、後悔して苦しんで生きていけと?」
「違うわよ」
また、ヴァイオレットが僕を殴ろうとした。
やっぱり相変わらずだ。すぐに腕力に頼ろうとする。
「あなたはそろそろ、生き返るべきなの」
彼女の声はとても力強く感じた。何の迷いもない、信念のある声。
「死体みたいになって生きてるのは間違ってるってこと!」
彼女は僕の身体に飲み込まれた腕を見下ろし、小さく舌打ちしてから手を引き抜いた。「あなたは今、生きていることに責任を持つべきだわ。今のあなたを見たら、お師匠様は何て言う? 失望するでしょ?」
「それでも、僕は」
――ミア、本当に悪いことをしたと思っているよ。
僕は心の中でそう彼女に話しかける。
――君が、それなりに僕を信頼してくれているのは解ってる。でも、やっぱり僕はこの世界から逃げ出したいと思う。
だから、僕はコーデリアに任せようとした。
ミアは何故か、コーデリアにとても懐いている。普通ならば、あれだけの魔力を持つ魔物に近寄る人間はいない。
でも、結構ミアは大物なのかもしれない。
コーデリアなら、ミアを預けても安心だ。きっと、ミアを守ってくれる。
「任せるがよい」
コーデリアが力強くそう言うと、自分でも意外なほどに安心したのを感じる。
ああ、これで本当に終わるんだ。
そう思った瞬間、コーデリアの声が僕の頭の中に響いた。
『さて、魔術師よ』
それは僕にだけ聞こえる――僕にだけ聞かせようとする彼女の言葉。
赤い夜の影響で、凄まじい魔力がこの森に渦巻いている。その影響を受けて、コーデリアの魔力も桁違いに跳ね上がり、ほんの少し身体を動かしただけで辺りの空気を震わすほどになっていた。
『何?』
僕も頭の中でそう応えると、コーデリアが厭な笑い方をした。
彼女は今、泣いて震えているミアを抱き寄せたまま、その唇を歪めていた。
『お主は知っておったかのう?』
『だから何を?』
『妾は子孫を残すのにつがいなど必要とはしない』
「は?」
一体、何を言い出したのかと困惑していると、彼女は目を細めた。
『妾は地を這う者の王。そう言ったことがあったじゃろ?』
『……そうだね』
『王であり、女王でもある。つまり、性別は関係ない』
『うん?』
『妾はこの身一つで子孫を増やせるのじゃが……、ありがたいことに、赤い夜の魔力を受けて、さらに妾の力は強大になっておる』
『……そうだね』
『これまでは人間の女性の身体を模しておったが、今は男性体にもなれるのじゃ』
――何?
僕は目を細めて彼女を見つめた。
理由もなく、背中に厭な感覚が這い上がるのを感じながら。
『感謝するぞ、魔術師よ』
コーデリアはさらにミアを強く抱き寄せて、その唇の口角を上げた。『お主はこの娘を捨てた。だから、妾が拾い上げる』
『コーデリア?』
『無理強いはしないが、妾はこの娘を自分のモノにする。そして、妾の子を孕ませるつもりじゃ』
「ちょっと待て」
思わず、素で変な声が出た。




