第114話 残酷なことをしている
「……何?」
アルヴィ様の反応も少し遅れたようでした。
何か理解できないことを聞いたと言わんばかりに難しい表情をして、コーデリア様に視線を投げます。でも、シュタインから目を離すことはしたくなかったのか、すぐにその眼は白い魔物へと戻ってしまいました。
「惚れた……」
シュタインの表情も、どこかアルヴィ様に似て困惑が混じっていました。
この場に漂う空気も、微妙に間の抜けたものに変化しています。
そんな中、コーデリア様はくくく、と笑い声を上げて言葉を続けました。
「そうじゃろう? お主がやっていることは、相手の気を引きたいがための嫌がらせじゃろ? その魔術師の眼を自分に向けさせ、憎悪という感情を起こさせようとする」
「だから何だと言いたいのです?」
シュタインの眼に嘲りのような色が浮かびました。その次の言葉を発するために動こうとした唇でしたが、コーデリア様はそれを静かな笑顔で遮りました。
「妾は解っておるのじゃよ。お主は孤独な魔物じゃ。リーアの森の奥深くに追いやられたが、そこには大した娯楽はない。魔物が多く住まう森とはいえ、お主に似た存在はいないのじゃ。会話できる相手もおらず、ただ長い時間だけが遅く流れる。それがどれだけ退屈か、そして絶望的なほどに孤独か、よく解っておる」
「――そうですか?」
「人間の魂を汚すために画策するのは楽しかったじゃろう。しかし、それは単なる暇つぶしなのじゃろ? 弱い人間を追い込むのはあまりにも簡単で、すぐに終わる。手強い獲物を追い込む楽しさはそこにはない。お主は、そこの魔術師に何を期待した?」
「期待ですか」
「少なくとも、その魔術師はお主を殺すだけの力を持っておる。戦えばどちらかが死ぬじゃろう。だから、嫌がらせという名の行為を以て挑発した。ただ唯一、お主と対等に戦えるじゃろう相手。気になって仕方なかったのだと予想できる。まるでそれは、子供が好きな相手を攻撃するのによく似ておるではないか」
「……なるほど?」
シュタインが鼻白んだように嗤いました。「だから惚れていると?」
「違うのか」
「もちろん」
「すまないが、その表現は心の底から気持ち悪い」
そこに、アルヴィ様の冷え切った声が響きます。
でも、コーデリア様の視線はシュタインからそれることはありませんでした。
「じゃがのう、残念なのは、どんなに挑発しても、どんなにその魔術師の周りの人間を攻撃しても、そやつの怒りは一瞬じゃ」
コーデリア様は苦々しく笑います。
シュタインの表情は嘲笑の形のまま崩れず、コーデリア様の美しいその顔を見つめながら僅かに首を傾げました。
「一瞬ですか? たとえ周りの人間が苦しんで、痛みや絶望の中で死んでも?」
「ああ。何故ならば、その魔術師はこの世の全てのものに興味がないからのう」
――興味がない。
わたしはアルヴィ様の表情をじっと見つめていました。
すると、少しだけ何か感情が揺らぎが見えたような気がします。すぐに消えてしまって、いつもの穏やかな笑みに変化してしまいましたが。
「その魔術師は、いわば死体なのじゃ。この世界のどこにも心は向いておらん。だから、どんなに嫌がらせをしようが、どんなに憎悪という感情を引き起こしてやろうが、すぐに忘れる。興味のないものは都合よく頭の中から消え去ってしまう」
そこでコーデリア様は憐れむような声でシュタインに言いました。「どんなに恋焦がれても、お主の心はこやつには届かん。恋が憎しみに変わり、やがてそやつを殺したとしても、絶対に手には入らないものがあると理解するがよい」
「恋ではありませんがね」
シュタインが僅かに肩を竦め、厭そうに唇を歪めました。「そう見えたとしたら、不本意極まりないことです」
「あのね、コーデリア」
アルヴィ様はさすがに困ったような表情を作り、何か言おうとしました。
そこでやっと、コーデリア様の視線はアルヴィ様に向けられましたが、そこには冷酷が光だけが煌めいています。
「だから妾のことも簡単に忘れたのじゃろう? あらゆるものに退屈し、怠惰に生き永らえ、人間を喰らう妾のことも。助けてやると言ったその口は、ただの嘘を吐き出すためのもの。妾を封じ、そのまま放置した。完全なる孤独の中に」
――アルヴィ様の表情が何だか苦痛のような、後悔のようなものを含んで。
「……そうだね。それは事実だ」
アルヴィ様は静かに頷き、続ける言葉を探しているようでした。でもきっと、コーデリア様はどんな言葉も欲してはいません。わたしでも……その理由は解る気がしました。
「お主にはもう、どんな期待もしておらん。だから、どうでもよいのじゃ」
「コーデリア、僕は……」
「どうでもよいと言ったじゃろ? もう妾の主は決まっておる。この娘、ミアじゃ。多少、愚かな娘ではあるがのう、だからこそ愛着もわいてきたことだし、妾はミアさえ何もなければそれでよい」
そこで、コーデリア様はわたしの腕を掴み、優しく引き寄せました。
あああああ、愚かって言った!
そりゃ、確かに頭はよくないと思いますけども!
――と、いつものわたしだったらそう突っ込みを入れていたかもしれません。
でも、わたしは自分の頭の中が冷え切っていることを自覚していました。
何だろう、この……虚無感は、と思います。
わたしはただぼんやりと笑っていました。さぞかし空虚な笑みだったことでしょう。
「不思議ですね」
シュタインはそこで静かにため息らしきものをこぼしました。「つまり、我々は同類だということですね、女王」
「同類とされるのは気に喰わん」
コーデリア様が吐き捨てるように言いました。「妾の魂は唯一無二。代わりになるものは何もない」
「……そうでしょうね」
シュタインは小さく頷き、静かにその視線をアルヴィ様に向けました。「何だか急に、私もどうでもよくなりました。私を滅するならどうぞ。邪悪なものを排除するという快感を、正義感と一緒に楽しんだらどうでしょうか」
――殺せという意味でしょうか。
わたしがアルヴィ様とシュタインを交互に見やり、事の成り行きを見守ります。
そしてアルヴィ様は少しだけ眉根を寄せ、その右手を上げて魔術の呪文の詠唱を始めました。
彼の手のひらの中に弾けた呪文の文字列は、今まで見たことのない配列をしていました。
赤き夜を白く染め上げようとでもしそうなほどの光が辺りに弾け、シュタインはその魔術を抵抗もせず受け止めたようでした。
ただ――その瞬間、シュタインが目を閉じて自嘲の笑みを浮かべたのも見えました。
「残酷なことをしているという自覚はあるかの?」
コーデリア様が静かに問いかけます。
アルヴィ様はゆっくりと『それ』に歩み寄り、身を屈めました。
白い光が消え去り、シュタインの姿はどこにもなくて。
赤く色づく足元の草の中から拾い上げたそれは、白い宝石のついた指輪でした。
「……君も知っている通り、僕は利己的な人間だ」
アルヴィ様は指輪を弄びながら、うっすらと微笑みました。「例え何があろうとも、僕の関係者に害なす魔物は許さないし、許せない。これは正義感でもない。自己満足の類だよ」
「……そうじゃろうな」
コーデリア様が鼻を鳴らし、口を閉ざしました。
「ルーク」
アルヴィ様は手に持っていた指輪を、宙を浮いて羽ばたいていた彼に放り投げました。
「おっ?」
いきなりのことで慌てたような小さな影でしたが、その指輪をがぶりと咥えてふがふがと言葉を発します。「ほすじん! ほれろうすん……」
ばさばさ、と翼を羽ばたかせながらルークがアルヴィ様の頭上を飛び回っています。
アルヴィ様は彼に視線を投げることもないまま言いました。
「預かっていてくれ。そのうち、それを上手く使い魔として扱える魔術師と接するかもしれないし、そうしたら手放せばいい」
「え」
ルークが口を開け、咥えていた指輪を草むらにぽとりと落としました。「ご主人が持っててくれにゃ! こんなん、俺様は持ってたくな」
「頼むよ」
頭上で、赤い色がじわじわと夜を侵食していきます。
森に渦巻く魔力の流れが、まるで嵐のように吹き荒れていて、わたしの中にある魔力とも共鳴しているのを感じます。
きっと、アルヴィ様もそうなのでしょう。
そしてアルヴィ様は予感もしている。
――そろそろ、なのだ、と。
「僕は門に向かう。君たちは屋敷に帰っていてくれ」
アルヴィ様のその言葉に、真っ先に噛みついたのはルークです。
「俺様も一緒にいくにゃ!」
そう叫んだ途端、拾い上げた指輪をまた口の中からぽとりと落とします。
「わたしもいきたいです」
わたしもルークと同じように言った途端、頭上でコーデリア様の舌打ちが聞こえました。
「悪いけど、危険だから連れていけない」
「じゃあ、俺様だけついてく! 俺様だけだったら、危険な状況になったらすぐに逃げられるし!」
ルークが必死といった様子で叫ぶと、僅かにアルヴィ様は考えこんだ後に頷きます。
「……そうだね、ルークだけなら」
「厭です」
わたしは慌ててアルヴィ様の近くに歩み寄りました。何とか一緒にいかなきゃ、アルヴィ様だけをいかせたら……きっと後悔する。
だって、アルヴィ様の願いは、きっと。
「コーデリア、ミアを頼むよ」
アルヴィ様がコーデリア様に優しい口調でそう言うのを、わたしは遮ろうとしました。
「お願いです、アルヴィ様!」
「娘」
コーデリア様がわたしの肩に手を置きました。でも、どうしても譲れませんでした。
わたしはコーデリア様を仰ぎ見ます。
「コーデリア様、わたしのことを主とおっしゃっていただきましたよね!」
「……そうじゃな」
「だったら、コーデリア様にもお願いします。わたし、アルヴィ様と一緒にいきたいのです」
「……そうか」
コーデリア様は顔を顰め、小さくため息をつきました。




