第113話 存在意義とは?
「こちらの用件は予想がついているんだろうね?」
アルヴィ様は冷ややかな笑顔で言いました。「君は神眼の一族の人間に手を出したのかな?」
「さあ? 誰のことです?」
わたしがもし、アルヴィ様にあんな笑顔で話しかけられたら、怖くなるだろうと思えるのに、この白い魔物はただ笑うだけでした。
「僕は身内に手を出されるのは一番厭なことなんだって前に言わなかったかな?」
「身内?」
「もしくは僕の仕事の依頼者。関係者」
「そうでしたか」
シュタインの笑みはさらに強くなりました。「確かに、聞いたかもしれませんねえ」
「お前」
アルヴィ様が目を細めて彼を睨みつけた瞬間、頭上が――空が赤く歪みました。
風が唸り、それは獣の呻き声のようでもあり。
木々が騒めいたのは、会話をしているようでもあり。
夜が生きている。
そんな感覚が全身を走りました。
「退屈すぎたのですよ」
シュタインは僅かに空を見上げながら囁きました。
赤い空に浮かぶ、赤い月。雲はなさそうですが、雲に似た何かが凄まじい速さで動いているのが解ります。
鳥よりも大きく――まるで、人影にも似た黒いものが飛んでいる。
その光景は、どこか畏怖を引き起こすものでした。
それを見上げたまま、シュタインはくくく、と笑い声を上げます。
「森の奥にいる私に、娯楽はどこにあると思いましたか?」
「娯楽?」
アルヴィ様がつまらないことを聞いたと言いたげに鼻を鳴らします。「魔物に娯楽が必要だと言いたいのかい?」
「当然でしょう」
シュタインが視線をアルヴィ様に戻しました。「我々魔物と、人間の時間の流れは違います。生き急ぐ人間とは違って、時間つぶしが必要なのです。だから、森の奥に迷い込んできた人間の子供をいじめたり、からかったりしていただけでしょう」
「いじめ、か? 人間の生死にもかかわることなのに?」
「あなたが見逃してくれていたなら、私はただ暇つぶしを楽しめました。しかし、それを悉く邪魔をしようとしますね? 眠らさせていた子供を解放した後、確かに一度は森の奥に引きましたが、大人しくしていると約束はしていませんでしたよ?」
シュタインの視線はアルヴィ様に突き刺さるようで、その圧力を受けてもアルヴィ様の表情は動きませんでした。
「だから?」
「娯楽がなくなれば、新しいものを探すのが当たり前でしょう?」
シュタインが一歩、アルヴィ様の方へ歩み寄ります。その途端、彼の足元に生えた雑草すら奇妙な騒めきました。
「少なくとも私は、あなたに不快感を与えられたのならそれで満足ですよ」
「不快感ね」
アルヴィ様はそこで右手を上げ、短い呪文を詠唱しました。すると、彼の手のひらの中に魔力が集結していき、術式の文字が奇妙な模様と共に浮かび上がってきます。
「悪いけど、近づかないでくれるかな? それとも、早々に始める?」
「解っていますよ。あなたは私のことが嫌いですよね?」
アルヴィ様の言葉や、手のひらの上に浮かび上がった光を気にした様子もなく、シュタインは微笑みました。
いいえ、気にはしているのでしょう。アルヴィ様に近寄ろうとしていたその足は止まったから。
「そうだね。正直に言えば好きじゃない。君は本当に悪意の塊だからね」
「人間は、自分に似たものを嫌うと言うようですね」
シュタインが整った唇を歪め、悪意の形をそこに作りました。「あなたは私と似ていると気づいているのでしょう? 自分の中にある憎悪や悪意、殺人衝動。私は魔物ですし、あなたの過去も全て見えますよ。自分の好きな女性を殺されて、殺した相手を追いつめて殺した時、気持ちよかったでしょう? 快感を覚えたのではないですか?」
アルヴィ様の右手から光が弾けました。
空間を焼き尽くそうとも言いたげなその閃光。
巨大な魔力がぶつかる感覚がわたしにも伝わってきて、思わず息をとめました。ルークがわたしの胸にしがみつき、「硬い」と呟いたのも聞こえましたが、言い返す余裕はありません。
コーデリア様がわたしを庇うように目の前に立ったままで、思わずわたしは彼女の服を掴みました。
アルヴィ様の立っている位置は変わりませんでした。
でも、シュタインの姿は消え、彼の魔力が感じる方へ目をやると、彼は近くにあった巨大な木の枝の上に立っていました。生きているようにうねり、蠢き、次第に天に向かってさらに伸びていこうとしている木。
彼に体重はないのでしょうか、彼が乗っている木の枝はそれほど太くはないのに、撓んだりすることもありません。
「そうだね、気持ちよかったよ」
アルヴィ様は無表情のまま口を開きます。「命乞いが……心地よかった」
ぞわり、と背中を這い上がる感覚。
「あれほどの憎悪を感じたことはなかった。それまで、誰かをあれほどまでに憎んだことはない。それは否定しない」
「そう、あなたの内面は醜いですよね。まあ、それを簡単に認めるとは思いませんでしたが」
シュタインが小さく笑い声を立てました。「近親憎悪というものでしょうか、あなたが私に感じたものは? だから、あなたは私の存在を嫌いながらも、森の奥にいることを許したのでは? 私の存在を許すことで、あなたは自分の存在を――生きていることを許そうとした。そうではないのですか?」
わたしたちよりも高い位置から見下ろすシュタインの表情は、多分見間違えなどではなく、アルヴィ様を蔑んでいるようなものでした。
それが――すごく不愉快で仕方ありません。
思わず、ルークを抱き留める自分の腕に力が入ります。
「だとしても、それがどうした?」
アルヴィ様の声は落ち着いています。
だから、まだ安心できる。
そしてまた、アルヴィ様が魔術の呪文の詠唱を始めました。
「あなたの存在意義とは何でしょうか?」
シュタインはまた空を見上げます。
異形のものの影が見える赤い空。さっきよりももっと色が強い赤。
「そして、私の存在意義とは?」
シュタインはどこか自嘲じみた口調で続けました。「私は魔物であり、人間を惑わすもの。それが森の奥で大人しくしていると? あり得ないでしょう?」
風の唸り声が咆哮へと変わりつつあります。
シュタインの魔力の気配も、アルヴィ様の魔力の気配も、そしてルークやコーデリア様、わたしの体内にある魔力すらも膨れ上がっていくのが感じられました。それは本当に、恐怖を覚えるくらいにあっという間に。
「醜い人間――、あなたが生きている理由。それは死んだ女性に会うためですね?」
シュタインの声は、風の唸りにもかき消されずに聞こえてきます。「もうすぐ、死者の世界の門が開きます。あなたの心が揺らいでいるのが解りますよ。早く私を殺して、門の前に行こうと考えていることも」
「……そうだね」
アルヴィ様が頷いて見せました。「だから、君の話に付き合っている暇はない」
また、アルヴィ様の魔術がシュタインの方へと放たれます。
凄まじい轟音と、風圧。コーデリア様がわたしの身体を抱き留め、その風圧と粉塵から守ろうとしてくれていました。
地面から巻き上がった土煙が少しだけ落ち着くと、シュタインが立っていた巨大な木はなくなっていました。どうやら、アルヴィ様が魔術で粉砕したのでしょう。
でも、シュタインの気配は消えていない。つまり、生きている。
「意外としぶといね」
アルヴィ様が視線を投げた先に、シュタインがいました。
今度は地面に立ち、アルヴィ様の攻撃などなかったかのように、平然として。
「お互い、魔力が上がっていますからね」
彼はそこで悪意のある笑みを強めました。「だから、死者の門が閉じるまであなたをここに足止めをして、『彼女』に会えなくすることもできると思うのですよ」
「そんなことができると?」
アルヴィ様の魔力が弾けそうなほど、膨れ上がります。それと同時に、アルヴィ様の感情が噴出した気がしました。嫌悪とか、そういったものが。
でも、アルヴィ様が怒りを露わにすればするほど、シュタインは楽し気に笑います。
「ああ、いいですね。私はね、人間の憎悪が好物なのです」
「僕は……嫌いだよ」
何となく。
アルヴィ様の口調に余裕が感じられませんでした。
いつもだったら、アルヴィ様は口が上手くて相手を煙に巻くことも得意で、相手より有利な場所に立って翻弄するというのに。
今のアルヴィ様にはそれが感じられない。
多分、内心の焦りがそうさせているのだろうと思います。
きっと、ヴァイオレット様に会いたくて、シュタインどころではないのだろうけど。
でも、それも間違っている気がする。アルヴィ様を死者の世界へとつながる門に行かせてしまったら。もしかしたらヴァイオレット様と一緒に、『あちら側』に行ってしまわれるかもしれなくて。
――約束。
クリスタルの約束は守ってもらえる?
アルヴィ様は――嘘が上手だ。一緒にいて、お仕事をされているアルヴィ様を見て、それはよく知ってる。
アルヴィ様はいつだって、笑顔で嘘をつくのだ。
「憎悪なんてものとは無関係の場所で生きていたかった。しかし、そうもいかないんだよ。人間という生き物はね、いつだって」
アルヴィ様は笑ってはいませんでした。暗い輝きがその双眸に浮かんでいるのが見えて、不安になりました。
何だか本当に危険な感じがして。
――自分にできることはないの!?
わたし、何のために一緒にきたの!?
お役に立つため!
そうなんでしょう!?
わたしは必死に自分を奮い立たせ、コーデリア様を押しのけて前に出ます。ルークも腕の中から放り出し、宙に投げ出された彼が不満そうに一声鳴くのを聞きながら自分に言い聞かせました。
わたしにだって、アルヴィ様に教えていただいた浄化の魔術がある!
今やらなきゃいけないことが、確かにある!
わたしが浄化の魔術呪文の詠唱を始めると、その気配に気づいたシュタインがちらりとこちらに視線を投げました。そしてアルヴィ様の視線も。
「ああ、厄介な人間が一人、いましたね」
「ミア、下がりなさい」
「厭です! わたしだって、アルヴィ様のお役に立ちたくてここにいるんです! だから!」
精一杯の抵抗。ここでアルヴィ様の命令に従っていたら、何もできないじゃないですか。
だからわたしは魔術を完成させ、シュタインへと放ちました。
本当に僅かな力かもしれないけれど、せめて、少しだけでもお役に立てれば――。
そうすれば、わたしの存在意義は確かにある。
アルヴィ様が放った力よりも白い光。それは、自分でも解りました。
白銀の世界の祝福を受けた人間であるから。それだけしか自慢できることはないけれど。
それでも、シュタインが立っていた場所を清浄な炎で焼き尽くすだけの能力はあったようでした。
「……本当に厄介なことです」
シュタインは笑みを消し、また別の場所に移動していました。「その子は、もっと魔力が弱いうちに殺しておけばよかったと思います。そうすれば、あなたの憎悪ももっと増えたでしょうか」
「そんなことはさせないよ」
アルヴィ様が冷ややかに囁き、シュタインが音もなく移動して。
白い魔物がアルヴィ様のすぐ目の前に降り立った瞬間でした。
「そこまでにしておけ、小童」
そこでコーデリア様が静かに口を開きました。こんな状況だというのに、コーデリア様はどこか呆れたような表情で、そして退屈そうに続けたのです。
「どんなに惚れたとしても、その男はお主の欲しいものは与えてくれんぞ」
「は?」
わたしは思わず眉を顰めました。




