第112話 次の再会を待とう
「どうなのですか?」
クリスタルが静かに続けます。「もしそうならば、わたしも人間になれる可能性が」
「駄目だ」
アルヴィ様は天を仰いだままの状態で応えます。「シュタインは僕が殺すつもりだから」
「え?」
「あれは……僕の周りの人間を狙っている。性格の悪い奴だから、君が僕につながりのある存在だと知られたら、酷い扱いを受けるのは間違いない」
「でも、殺されると困ります」
「悪いけど、これだけは譲れない」
アルヴィ様はそこでクリスタルに向き直り、目を細めて笑います。「僕はあいつのことが嫌いなんだ。それに、あいつも同じだ。隙あらば僕に嫌がらせをしてくるしね」
「それでも、わたしは」
クリスタルがアルヴィ様のすぐそばに歩み寄り、彼を見上げて何か言おうとします。
でも、アルヴィ様はクリスタルの肩を叩いてそれを押しとどめました。
「ああ、解った、もういいよ。君の願いは叶えてあげる」
「え?」
「人間にするんじゃない。前、言っていただろう? 師匠がいなくなったら、消滅させて欲しい、と」
「ああ……、叶えてくださるんですか?」
ふと、クリスタルの声に困惑らしき感情が混じりました。
そして、アルヴィ様の唇にも笑みらしきものが浮かんで。
「ああ、ミアなら簡単に君を消滅させられると思う。その魂ごと、浄化できるはずだ」
――え、わたしですか!?
急に話を振られたせいで、わたしはぽかんと口を開きっぱなしになっていました。
アルヴィ様に言いたいことがあるのですが、視線がこちらに向けられることはありませんでした。
えええええ?
これって丸投げってやつじゃないですか!?
「そう。あの師匠が死んだら、僕が立派な墓を作る。その隣に、君の抜け殻になった身体を埋めて墓を作れば、二人並んで万事解決。これでいいかな」
「……それなら」
クリスタルは少しだけ考えこんで見せました。
そして、そっと頷きます。
「それまでわたしは我慢すればいいわけですよね。頑張ります」
「何を?」
わたしは思わずそこで口を挟みました。続ける言葉を探していると、急に辺りに魔力の流れを感じてこの場にいる全員の身体に緊張感が走りました。
「勝手に話を進めるな、馬鹿息子が」
と、グランヴィール様の声が暗闇に響き、クリスタルの背後に空から降り立ったように見えました。その爪先が地面に触れた瞬間、風の精霊らしき気配が立ち上り、すぐに消えます。
アルヴィ様と同じような魔術を使うのだなあ、と一瞬だけ考えましたが、それは逆だと思い直します。アルヴィ様が同じ魔術を使うのだ、と。
「いつになったらただの息子と呼んでいただけるんでしょうか」
アルヴィ様が目を細めつつ言うと、グランヴィール様が頭を掻きながら笑います。
その仕草とか、穏やかな表情とか、顔立ちは全く違うのにアルヴィ様に似てるものを感じるのは、きっと師匠と弟子というつながりがあるからなのかもしれません。
「馬鹿は馬鹿と呼ぶしかない。自覚はあるか」
飄々とした様子でそう言ったグランヴィール様に、似たような笑顔でアルヴィ様も返します。
「いいえ、全くさっぱり」
「だから馬鹿だというのだよ」
「師匠にそっくりその言葉、お返しします。自分の使い魔くらい安心させることもできないのでは」
「何を言う。クリスタルは使い魔などではない」
グランヴィール様はそこでクリスタルの背後から、彼女の両肩に手を下ろしました。途端、クリスタルの身体がびくりと震えました。
アルヴィ様が肩を竦めつつ首を傾げます。
「では、どんな扱いをしていらっしゃる?」
「クリスタルは娘のようなものだよ」
その言葉を聞いた途端、クリスタルの気配が落ち込んだような気がします。
表情は全く変わらないのですけども。
「娘? なるほど?」
「では馬鹿息子、逆に訊こう。お前はそこのミアという少女をどう思っている? 娘ではないだろうし、恋人か?」
「あり得ません」
あああああ。
今度はわたしが落ち込む番でした。いや、落ち込むなんて馬鹿馬鹿しいのですけども!
だってわたしは……そう、召使というか弟子?
……あれ? それで充分かなあ。
うん、充分です!
よし、立ち直った!
「過去に生きるのはやめなさい」
ふと、グランヴィール様の声が真剣な響きを帯びました。
アルヴィ様の表情も引き締まったのが、わたしの視界の隅に映ります。
「過去ですか」
「時間は否応なく進むものだ。ヴァイオレットのことは」
「やめてください。それは聞きたくない」
「赤い夜がやってくると知って、お前はどうするつもりだ?」
「どうするつもりとは?」
「死者の世界ともつながると言われている赤い夜、だ。お前が考えていることくらい、簡単に予想がつく。ヴァイオレットに会いたいのだろう。死者となっていてもなお」
それに対するアルヴィ様の返事はありませんでした。
ただ、顔色が僅かに白くなっていることが返事そのものだと思えました。
「会うだけか? 死者の世界に道がつながっていたら、お前は」
「年寄りは話が長いものですよね」
アルヴィ様がグランヴィール様から目をそらし、わざとらしくため息をこぼしました。「何ですか、これは足止めでしょうか。こちらは、急いでリーアの森に戻らなくてはならないのです」
「何故だ」
「説明している時間が惜しいので、ここで失礼します」
そこでやっとアルヴィ様がわたしの方に目を向け、そっと微笑みます。「じゃあ、いこうか」
「あ、はい」
「待ちなさい、馬鹿息子」
「聞こえません」
アルヴィ様の足取りは、どことなくいつもより早足だった気がします。
まるで、グランヴィール様から逃げようとしているかのように。
でも、次の言葉でアルヴィ様は足をとめることになりました。
「クリスタルとの約束は守ってもらえるのだな?」
「え?」
アルヴィ様は顔をしかめ、グランヴィール様のほうに視線を投げました。
グランヴィール様はその優しい声にしては似つかわしくない無表情のまま、こう続けたのです。
「約束だけして、逃げるわけではない。そう信じていいのだな?」
「おっしゃる意味が解りませんが」
アルヴィ様も無表情で応えました。「できない約束はしませんよ」
「ならばよい。次の再会を待とう」
「……はい」
ほんの少しだけ、アルヴィ様の声に影が落ちたような気がしました。
リーアの森へは、風の精霊の力を借りての移動となりました。
ほぼ深夜でしたから、誰かの目を気にすることもなく、好き勝手に魔術を使えるのは便利だと言えます。
しかし、風の精霊に身体を宙に持ち上げられ、短い飛行を楽しむ――といういつもの流れはありません。
空に浮かび上がった瞬間に、ぞわぞわするような感覚が背中を這いあがってきます。それは強大な魔力の流れなのかもしれません。
頭上の月はさっき見たよりも赤くて。
まるで、わたしたちは月に押しつぶされそうな感覚があって。
さらに、遥か前方にあるはずのリーアの森の方向から立ち上る気配が、あまりにも禍々しくて。
森が赤い。
遠目でも解りました。
暗闇に黒く浮かび上がるはずの木々は、まるで燃えているかのように真っ赤に染まり、輝いていました。
「にゃんだ、あれ」
アルヴィ様の肩の上で、吹きすさぶ風を受けて艶やかな毛皮をたなびかせているルークが、胡乱そうな声を上げています。自分の翼があるのに、飛ぼうとせずにアルヴィ様の服に爪を立てつつ、大人しくしている彼。
「やべーぞ、あれ。この俺様も、近づくにつれて……おおおお、魔力が高まる感じにゃ!」
「そうだね」
アルヴィ様がルークの身体が肩から振り落とされないように、手で押さえながら頷きます。「僕もミアも、影響を受けるだろうね。レストリンゲの実を食べて、魔力を得た人間だし」
「なるほど……だから」
わたしもまた、アルヴィ様のもう片方の手で抱きかかえられている状態で空を飛んでいるわけですが。
背中を這い上がる感覚はどんどん強くなっていくのは、赤い夜が原因なのでしょうか。
心臓が高鳴るのも。
アルヴィ様の手が触れている場所が気になって仕方ないのも。
でも、そんな考えもすぐに消えました。
赤く燃える森。
アルヴィ様のお屋敷があるべき方向すらも、解らなくなるような感覚。
森が――生きているように、木々が揺れていて。
いいえ、生きているのです。木々が動くのは、彼らが意志を持っているから。
森の中にあった通り道、小径、獣道。それらの全てが、形を変えていこうとしていました。
そんな赤いだけの世界の中で、真っ白に輝く存在がありました。
凄まじい光がそこから弾け、それと同時に言いようのない不安が襲ってきます。
空から見下ろしただけでも、その光がシュタインだと解ったからです。
精霊の力を借りて、彼の前に降り立ちます。
アルヴィ様がわたしを自分の身体の後ろに追いやり、いつの間にか腕輪になっていたはずのコーデリア様の背中もわたしの目の前にあって。
ルークすら、アルヴィ様の肩の上ではなく、わたしの胸の中に飛び込んできて。
「……これはこれはお揃いですね」
森の真ん中で、シュタインは穏やかな笑みを浮かべ、こちらを見つめていました。




