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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第11話 幼女の次は

 その日は快晴でした。

 早朝からアルヴィ様のために朝食を作り、彼が起きてこられるまで一階の掃除をしておりました。

 ここ数日間の掃除のために、台所はすっかり綺麗になっていて、物置状態と化していたダイニングテーブルと椅子も姿を見せ、そこで食事を取れるまでになっています。

 ダイニングテーブルの上には、焼き立ての小さなパンとチーズオムレツ、畑で採れた野菜を使ったミルクスープの皿が乗っています。

 台所にやってきたのはルークが先で、椅子の上にちょこんと座ってミルクスープを見つめます。

 そして、相変わらず朝が弱くて眠そうなアルヴィ様が姿を見せ、ちょっと遅めの朝食を取っていたときのことです。


 どんどん、とドアを叩くノッカーの音に、わたしは椅子から立ち上がって玄関へと向かいました。

「どちら様でしょうか」

 少しだけドアを開き、そこに立っている青年を見上げます。

 短い黒髪と、黒い瞳。真面目そうな顔つきの、背の高い青年です。きっと、アルヴィ様よりもお若いのでしょう。見た目は二十歳前後に見えました。

 その服装から、街の人間とは思えませんでした。

 とても洗練されたデザインの服。

 もしかしたら、王都からこられた? と考えていると、相手は静かにこう言いました。

「私はラルフ・エルマルといいます。こちらにお住まいだという魔術師の方にお会いしたくて参りました」

「ラルフ……エルマル」

 わたしは僅かに驚いた表情をして見せたでしょう。

 そんなわたしを見て、彼は困ったように笑います。どことなく、気の弱そうな笑顔でした。

「私は、ヒューゴ・エルマルの息子です。その、魔術師殿はいらっしゃいますか?」

「あ、はい」

 わたしは慌てて頷きました。「少し、ここでお待ちいただいてもよろしいでしょうか? ご主人様に確認してまいります」

「ご主人様……」

 一瞬だけ、彼は不思議そうにわたしを見たようでしたが、すぐにそれは消えて笑顔となりました。

「ありがとうございます」


「また随分と朝早くからの来客だね」

 わたしが台所に戻ると、アルヴィ様はテーブルに頬杖をつき、小さくため息をこぼします。でも、ゆっくりと立ち上がってわたしに言いました。

「応接室に通してもらえる? 仕方ない、すぐにいくよ」

「はい」

 わたしはすぐに玄関に戻り、アルヴィ様のご命令通り、彼を応接室へと案内しました。

 とりあえず、玄関から応接室までの廊下はゴミが撤去されて綺麗になっています。多少の埃っぽさは隠せてはいませんが、それは仕方ないとあきらめるしかありません。

 応接室の中も、以前に比べて随分綺麗になりました。

 読んでいる本以外は全て本棚に戻すだけで、こんなにも整然として見えるなんて、と思います。

 ラルフ様は壁一面の本に驚いたようでしたが、礼儀正しくソファに座り、アルヴィ様がやってくるのをお待ちになりました。

 そして。

「何のご用事でしょうか」

 そう言いながらアルヴィ様が応接室にやってくると、ラルフ様はソファから立ち上がり、真剣な眼差しをアルヴィ様に向けました。

「あなた様が父に渡した薬について、お聞きしたいことがございます」


 わたしはその時、応接室の隅に立っていました。

 アルヴィ様の後についてやってきたルークが、抱き上げろ、と言いたげに足元に寄ってきたので、その小さな身体を抱きかかえて二人の様子を観察します。

「薬、ですか」

 アルヴィ様はソファに腰を下ろし、相手にも座るよう促します。

 ラルフ様もアルヴィ様の向かい側のソファに腰を下ろすと、若干緊張した面持ちで続けました。

「どこから話をすればいいのか解りませんが……父、ヒューゴ・エルマルの様子がおかしいのです」

「おかしい?」

「使用人から、父の様子がおかしいと連絡が入りまして、慌てて私はノルティーダへと戻ってきたのですが……」

「連絡が? あなた様はお父上と一緒にお住まいではないのですか?」

 アルヴィ様が首を傾げると、ラルフ様が申し訳なさそうに説明を追加しました。

「その、私は今、王都にて商売をしています。父も少し前までは王都に一緒におりました。しかし、色々と問題を起こしまして、一人だけノルティーダに戻ってきております」

「ああ、問題。そのようですね」

「私もこちらに一時的に戻ってきたのですが……確かに、父は昔の父ではありません」

「ほう?」

「その……全くの別人のように思えます」

「どういうことでしょう?」

「それをお聞きしたかったのです」

 笑顔のままのアルヴィ様と、真剣な表情のラルフ様。

 奇妙な緊張感が空気を震わせているような気がしました。


「何を、飲ませたのでしょうか?」

 ラルフ様の眼に、僅かでしたが剣呑な輝きが生まれたように思えました。

「飲ませたのは薬ですね」

 でも、アルヴィ様の瞳のほうがもっと強い光を放っています。

「何の薬ですか?」

「さて……お宅の使用人、いえ、幼い少女たちから話をお聞きではないですか?」

「幼い……」

 ラルフ様の眼に苦渋の色が浮かびます。そんな彼に、アルヴィ様はどこまでも穏やかに、優しく言葉を発音します。

「あなたのお父上は、死に至る病を患っておられた。僕はその命をお救いしたまでのことです」

「しかし」

「しかし、何です?」

「父はほとんどの使用人にいとまを申し付けました。ノルティーダの屋敷には、今はほとんど幼い子供たちはおりません」

「おや、それはご不便でしょう。新しい使用人でもお探しですか? ならば僕のところにきても意味はないでしょうに」

「いえ!」

 そこで、ラルフ様は俯いて深くため息をつきました。「使用人など探していません。それより……いや、むしろ今のほうが私にとってはありがたいのですが、それでも理解が追い付かない。何が起きたんでしょうか。何があったんでしょうか。魔術師様、あなたは父に何をしたんですか?」

「……何がおっしゃりたいのですか?」

 アルヴィ様の声が静かに響きます。

 ラルフ様はのろのろと視線を上げ、アルヴィ様を見つめなおしてその表情を苦し気に歪めました。


「父は、幼い子供には興味を失っております」

「それはそれは……」


 ――興味を失った?

 わたしは二人の会話を聴きながらそっと首を傾げました。

 一体、何の話をしていらっしゃるのか。


「確かに、以前の父は問題がありすぎました。幼い子供にしか興味を出さず、王都にてその……問題行動が知られ始めたせいで、こちらに戻る羽目になりました。いえ、これは当然のことです。正直なところ、父という男は野放しにしておいてはいけない人間でした」

「ほう」

「王都で働いている私の評判も落ちましたし、商売にも色々差支えが出てきておりますし、とにかく困ったことだと思っていました」

「それで?」

「しかし、今は」

「はい」

「幼女ではなく、興味が老女へと移ってしまった」


「老女……」

 わたしは思わずそう呟いていました。

 わたしの腕の中で、ルークが微かに身じろぎします。

「幼女の次は老女か、変態は恐ろしーな」

 と言いながら。

 いえ、変態というよりも。

 なぜ、そんなことに? なぜ、急に?


「父は今、年配の女性……、しかも未亡人辺りに標的を定め、暴走を始めております。今までは幼い少女たちが相手でしたが、これからは身体の大きな女性が相手です。男性らしくエスコートをしなくては、などと言いつつ、身体も鍛え始めています。一体、何が起きているんですか。何が原因なんですか。一体、どういうことなんですか」

 だんだん、ラルフ様の声は大きく、混乱を露にしていきました。

 でも、アルヴィ様の様子はずっと変わらず、平静を保っておられます。

「ほほう。身体を鍛え始めているとは、健康的ですね」

「健康的とかそうじゃないとか、そんなのはどうでもいいんです! 一体、何があったんですか! お聞かせください!」

 ラルフ様はソファから立ち上がり、アルヴィ様に詰め寄ってほとんど懇願に近い口調でそう叫びました。

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