第108話 孤独な方なんですよね
「……君のことは傍に置いておくと言わなかったかな?」
困惑したようなアルヴィ様の声に、わたしも同じく困惑の表情を返しました。
自分が何か変なことを言っているという自覚はありました。
そう、それは確かに聞きました。だからこそ嬉しいと感じたことであったのに。
だったらどうして、こんなにも不安に感じることがあるのか。
それは。
「ちょっと、道の端に寄ろうか」
そう言ったアルヴィ様の声が少しだけ遠く感じました。
大通りを行きかう人たちの邪魔にならないように、アルヴィ様は傍らにある店の脇道へと歩み寄ります。
わたしもその後を追って、若干の暗がりへと身を隠します。
薄闇のため、顔を上げてもアルヴィ様の表情はうっすらとしか見えません。でも、いつになく冷ややかな表情に思えました。
「あの……?」
「ごめんね。正直に話そう」
「え、あ、はい」
「……君がね、僕のことを慕ってくれているというのは解るよ。それなりに時間を一緒に過ごしているからね」
「え……」
わたしは何て言葉を返したらいいのか解らず、必死に考えます。そんなわたしを見下ろしながら、アルヴィ様は低く続けました。
「ただ、はっきり言っておこう。僕が君を引き受けたのは、偶然が重なったからだ。気まぐれであったし、成り行きだ。君は食事を作るのが得意だし、僕は不得意だ。家の掃除などしなくても、僕は生活はしていけると思っている。でも、快適に過ごすためならやらなくてはならないとも理解しているんだ。つまり、僕は君をいいように利用しているわけだ」
「あ、はい」
間抜けな響きのわたしの声に、アルヴィ様は苦笑されたようでした。
「正直に言うと、困惑してるんだ。君がどうして、僕にそれほどまでに入れ込むのか」
「だって、アルヴィ様はわたしを助けてく」
「それこそが成り行きだよ」
彼はわたしの言葉を遮り、僅かに不機嫌そうな声音で続けました。「僕は確かに、一度身内と認めたら全力で守るつもりではあるよ。だから、君のことはあらゆる危険から守るべきだと考えている」
「ありがとうございます」
「でもね、ミア」
さらにアルヴィ様の声が低くなりました。「君も理解しておいて欲しい。君は確かに、僕のそばにいてもいい。でも、いなくてもいいんだ」
「……え」
わたしはきっと、変な顔をしたでしょう。
暗くてよかったと思いました。
「君が独り立ちすることに関しては、僕は賛成だ。君はいつか、僕のそばを離れて暮らすことになるだろう。君はまだ子供で、世の中のものを見慣れていない。だから、目新しい存在である僕というものに興味があるだけなんだと思う」
「そんなことはありません」
「あるんだよ」
そこで、アルヴィ様は深いため息をこぼして微かに笑います。
でもきっと、それは声だけで表情は笑っていないだろうと思えました。
「君が僕に対して感じているものは、きっと子犬が飼い主に対するものと同義だと思う。つまり、忠誠心と愛情だ。しかしそれは自分の飼い主だからだよ」
「え?」
「時間が経てば、きっと君も気づくだろう。目に映るものが増えて、色々な人間と接して、君の世界は広がる。僕のそばにいるだけでは、成長できないこともある。いつか、離れた方がいいと思う時がくるんだよ」
――それは、そうなのかもしれませんが。
確かにそれは正論だと思いますが。
でも……わたしの感情は、それだけじゃない。
飼い主に対するものなんかじゃない。
そう言いたいのに。
「でもアルヴィ様、わたしは」
「ねえ、ミア?」
またアルヴィ様に言葉を遮られてしまいます。言いたいことが何一つ口にできないもどかしさ。
「君は僕の何を知っている? 上辺だけを見ているんじゃないかな?」
「そんなことは」
「ルークが僕のことをよく詐欺師と呼ぶけどね、それは正しい。僕の表情、笑顔、全部作り物だよ。君が僕を優しいと感じているのなら、それは紛れもなく錯覚。僕は優しいわけじゃない、誰にも興味が持てないから扱いが誰に対しても同じになるだけ」
――それは。
そうなのかもしれません。
アルヴィ様の瞳は、誰に対しても同じように優しい。笑顔を向けているのはわたしだけじゃなく、他の人に対しても。
わたしが特別なんかじゃない。
それは……ちゃんと解ってる、と思う。
「僕は優しくなんかない。君が好ましく感じている相手はただの『偽物』だ」
まるで、自分に言い聞かせるかのように繰り返される、アルヴィ様の言葉。
そして、あまりにも唐突にアルヴィ様の両手がわたしの頬を包み込むかのように触れました。
それはとても優しい手つきで。
そっと、触れるだけの感覚で。
わたしは全身の血液が逆流するかのような感覚に翻弄されました。
「そこまでにしてやってくれんか」
そこに、冷静なコーデリア様の声が響きます。
何だか現実味がない状況すぎて、この場にアルヴィ様とわたしだけ、という感じがしていましたが、確かにコーデリア様もルークもこの状況を見守っていたのでした。
ルークは薄目を開けて呆れたように欠伸をしつつ、アルヴィ様の肩の上にいて、コーデリア様はわたしのすぐ後ろに立っています。
「この娘は妾の主じゃ。守る義務というならば、妾にこそある」
コーデリア様の手が伸びて、アルヴィ様の手をわたしの頬から振り払いました。
少しだけ残念な気がしたのは秘密です。
どんな理由であれ、アルヴィ様の手の温かさに触れるのは……嬉しいから。
「そうだね、悪かった」
アルヴィ様はあっさりと手を引いた後、穏やかに続けました。「ごめんね、ミア。冷たいことは言いたくないけど、君は少し、僕に過剰な信頼感を抱いているように思える。お互い、もう少し距離感を大切にすべきだと思うよ」
「距離感……」
「何故なら、僕らはきっと解り合えないからだ。だから君はいつでも……無理だと思ったら、自分の家に帰っていいんだ」
「いいえ」
わたしの返事は最初から決まっていました。「わたしはアルヴィ様のおそばにいたいです」
――困ったな、と言いたそう。
アルヴィ様の気配がそう語っていました。
「とにかく、そろそろ行こうか」
アルヴィ様がそうおっしゃって、先ほどよりもずっと暗くなった道を歩き始めました。
その背中を追いかけながら、わたしは思うのです。
確かに、わたしはアルヴィ様のことを全て理解しているわけではありません。
わたしが知っているのは――。
血の海。
アルヴィ様のお屋敷の二階にある、ヴァイオレット様の絵。
今もきっと、アルヴィ様の心の中にいらっしゃるのはヴァイオレット様だけ。
だから、他の誰にも興味が持てない。
「アルヴィ様は……きっと」
わたしは隣を歩くコーデリア様にだけ聞こえるように囁きました。「孤独な方なんですよね」
「孤独か」
コーデリア様は静かに返してきます。「確かにそうじゃろう」
「……だからきっと、作り物だと言ったあの笑顔も……自分を守るためのもので」
「ふむ」
「わたしはずっと……アルヴィ様はとても強い方なのだと思ってました。でもそうじゃない。わたしが思っていたよりも」
――弱い方なのだ。
それは言葉にはできませんでした。
多分、先ほどのアルヴィ様の言葉は最大の拒否の表現。わたしに家に帰ってもいいのだ、自分は優しくない、と言いながら、それでも冷酷にはなりきれない。
そんな気がします。
わたしはアルヴィ様の上辺だけを見ているつもりはありません。
そりゃあ……最初はそうだったかもしれないですけど、でも。最近はそれだけじゃないって思うから。
「お主は妾が思っていたよりも大人のようじゃの」
コーデリア様が小さく囁いてきます。とても楽しそうに言うものですから、少しだけ悔しい気もしました。
「……本当にそう思ってます?」
「さて?」
「コーデリア様ー」
「人間とは面白いものよな」
「え?」
「我々魔物はどんなに時間を経てもさほど変化しないものじゃが、人間とはほんの一瞬で変わることもある」
「変わる……」
「コーデリア」
そこに、少し前を歩いていたアルヴィー様の声が飛んできました。こちらの会話を聞かれていたか、と心臓が暴れたのですが、どうやらそれは杞憂のようでした。
「何じゃ」
「気のせいだろうか、何だか変な……魔力の流れを感じないか?」
「お主が持っている鏡のせいじゃろ」
「いや、違う。本当に微かな……」
アルヴィ様は瞬時にして首を横に振りましたが、その後、何か感じ取ろうとするかのように口を閉ざして辺りを見回します。
しかしやがて、アルヴィ様は小さなため息をこぼすと足取りを早めました。
「何だか厭な予感がする。急ごう」




