第106話 口が悪いけど、頭も悪い
「いや、本当にじゃじゃ馬というかお転婆というか、エメリン様は困ったお方なのですよ。本当、あの『神眼の一族』の奥方様はですね!」
情報漏洩は信用に関わると言った先ほどの唇はどこにいってしまったのか、ノーベルトは悪気の欠片すら感じさせぬ口調で続けました。
「実は、エメリン様とはベルナルド家に嫁がれる前からのお付き合いでしてね、まあ、本当に変わりものというか何というか! 馬を乗り回すくらいは可愛いもので、玄関からは外に出ず、窓が彼女の通り道という、正直に言うとそろそろ年齢を考えてもらいたいところではあるのですがね、あれはどうにもなりませんな!」
「そう」
アルヴィ様の笑顔は全く変化がありません。
穏やかで、優しい。
見習いたいなあ、と思いながらわたしは途方に暮れていました。
ノーベルトの言葉はあっという間に速度を上げ、まるで嵐のようにというかどしゃぶりの雨のように叩きつけられてきていて、わたしは置いてけぼりを喰らった気持ちになっていったからです。
エメリン様がベルナルド家に嫁いだ時の話、そこでの雑な扱い、しかし当の本人は気にした様子もなく好き勝手にやっている様子、子供が――イヴァン様が生まれてからも扱いは変わらず、それに憤りを感じているノーベルトの心情。
色々言われましたが、だんだん頭の中を素通りしていって、後半はあまり内容が入ってきませんでした。
商品を眺めていたコーデリア様も、どうやら飽きたようでわたしのすぐそばに立っています。何となくですが、装飾品に姿を変えようかと悩んでいる気配が伝わってきます。
――でも。
「今思えば、エメリン様に最後にお会いした時は、少し元気がなさそうでした。病気だったからでしょうか?」
そこで、ノーベルトの表情が不安げに曇り、アルヴィ様の顔を真剣な眼差しで見つめてさらに続けました。「もし、彼女が私と同じ病でしたら、魔術師様は治療のために動いて下さいますか」
「もちろんだよ」
「では、ベルナルド家への道をお伝えいたします」
「ああ、道順は知っているから大丈夫」
アルヴィ様は軽く右手を上げて、彼の言葉を遮りました。「有名だからね、神眼の一族のことはね」
そう言いながら、その視線は手元にある小さな鏡に落ちました。
アルヴィ様の魔術に寄って、悪い気配はほとんど『封印』されているはずなのに。
突然。
「有名にしてやったのは私なのだ、くそったれめ!」
と、辺りに怒号が響き渡ったのです。
「え」
ノーベルトが身体を強張らせ、慌てたように辺りを見回します。
そして、アルヴィ様が目を細めて低く囁きました。
「もう少し、大人しくしていて欲しかったね」
「え、何ですか魔術師様! 一体、誰が」
と、ノーベルトがアルヴィ様の手の中にある鏡を見てさらに息を呑みました。
鏡はアルヴィ様がかけた封印を破ろうとしているかのように、鋭い光を放っていました。
それは今や、魔力など持たない一般人であるノーベルトの瞳にも映っているようで、彼はただ茫然としているだけです。
「……鏡、鏡が喋った? 鏡、なのに」
と、呟くだけで精一杯といった様子。
「大人しくしていてくれたら、もうちょっと持ち出すのが簡単だったのだけど」
アルヴィ様がそう言った瞬間、我に返ったらしいノーベルトが慌てたように立ち上がりました。
「もしかして、これは高く売れるものだったのでしょうか? あの、差し上げると……私は申し上げましたでしょうか。ええと、もう手遅れでしょうか。何か別のものと交換するわけには」
おろおろと言った彼に、アルヴィ様はにこりと微笑みかけて見せました。
「お互い、商売人だよね。こういう時でなければ、気が合いそうだけど。でも、これは僕が引き受けるよ」
「あああああ」
「少なくとも、このまま君が誰かに売り付けたら買った人間が死ぬかもしれないし。僕が……というか、ミアが何とかしないと誰の手にも負えないと思うしね」
そう言いながらアルヴィ様がわたしを横目で見やります。
――え?
「あの……」
わたしは働かない頭のままアルヴィ様に尋ねました。「アルヴィ様は商売人なんでしょうか?」
「娘ぇ! 突っ込むところはそこか!?」
呆れたように言うルークの声も遠い気がしました。
「いいか、人間! 余計なことをしたら殺すぞ! くそが!」
鏡は相変わらず怒鳴り続けています。奇妙な声。頭の中に反響するかのような、人間とは違うもの。
「ミア、ちょっと汚い言葉が飛び交うかもしれないけど大丈夫?」
アルヴィ様が困ったように眉根を寄せていると、鏡はアルヴィ様の手のひらの中でさらに叫びます。
「話を聞け! この人間風情が! 私は貴様らと比べても長い年月を生きてきているのだ!」
「生きている? それはどうかな?」
「人間ごときが! 魔術師など、何の役にも立たん低俗なものどもが! 貴様ごときがこのわたしに触れようなどおこがましいのだ!」
「そう?」
アルヴィ様はさらに鏡を覗き込んで微笑みます。
すると、鏡は地の底から響くような低い笑い声を上げつつ言いました。
「私には『見える』のだ、魔術師よ。貴様が無力で、つまらぬ存在であることも! そして、貴様がそれを理解していることも、だ!」
「へえ?」
「貴様は誰も救えない! 女一人助けられない人間が、そうやって笑っているのが許されるとでも思っているのか?」
きしり、という音がアルヴィ様の手の中から聞こえます。
その白い指に力が込められたのが解ります。
でも、笑顔はそのままで。
唇の形もそのままで。
「いや、笑っていればいいのだ! どうせ貴様には生きていく欲望もない、何の価値もない人間だ! だからせいぜい笑い、他の人間に媚びへつらい、生きていく価値のない世界で這いつくばって生きていけばいいのだ! つまらない一生だな、人間よ!」
「ふうん」
アルヴィ様は僅かに首を傾げて見せました。「君こそ、随分とつまらないことを言うんだね? まるで人間のように」
「当たり前だろう、くそったれが! 私は人間の穢れを飲み込み、人間の下賤な感情を理解し、力を得た! そしてこの力で人間の命を奪い、さらに強大になるのだ! 人間など私にとっては餌にすぎない! 死ね、このくそ野郎! 魔術師なんぞ、くそくらえ! カマでも掘られてろ!」
がしゃん。
アルヴィ様がその鏡を無造作に床に落としました。
割れてはいません。でも、割れそうなほど、耳障りな甲高い音を立てたと思います。
「君は生きているのかな?」
その鏡を踏もうとするかのように足をかけ、アルヴィ様は低く笑いました。「生きているとさっき言ったよね? じゃあ、死ぬのは怖いと感じる? 壊されて無に帰るのは?」
「くそが!」
「本当に口が悪いけど、頭も悪いよね? 今の状況、理解してるのかな?」
「死ね、魔術師! この封印を解け! そうしたら貴様の生気も吸い尽くし、殺してや」
「本当、頭が悪い」
辺りの空気が冷えました。
「僕には、君を破壊する力がある。それすらも解らないのかな?」
アルヴィ様の鮮やかな笑顔。
それを見ているわたしの背中に、ぞくぞくするような感覚が走りました。
――あああ、どうしよう。
わたしはぼんやりと思います。
――アルヴィ様って、やっぱり。そう、すごく、すごく。
そう。
――格好いい、んです。
「娘、何を考えてるのじゃ。何か愚かなことを考えておるようじゃが」
と、何となくわたしの内心を読んだかのようなコーデリア様の声がすぐそばで響き、さらにそれにはため息も続きました。
そんなわたしたちのことは見えていないのでしょう。アルヴィ様の視線はずっと鏡へと向けられたままで、笑顔も美しいままで。
「もし君に命があるというのなら、命乞いしてごらん? さあ」
アルヴィ様の靴が、その言葉と同時に鏡の上に降りて。
きりきりきり、と奇妙な軋む音が響きました。
「待て! ちょっと待て!」
鏡が慌てたように叫びます。「貴様に私の力を貸してやろう! 何もかも見通す力だ! その代わりに人間を贄として差し出せ! さすれば、貴様の名声も」
「名声などいらないし」
「そこの処女を差し出せ! 私はその娘を喰って、もっと力を」
「しょじょ」
――とは、誰のこと……。
わたしが困惑してコーデリア様の顔を見上げると、そこには冷徹な彼女の顔がありました。
「君ね――」
アルヴィ様が何か言いかけるより早く、コーデリア様の恫喝が店内に響きます。商品を震わせるような力と共に。
「この娘は妾の非常食じゃ! やらんぞ!」
「突っ込むのはそこか?」
すぐにルークが困惑した声を上げました。




