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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第105話 仕入れ先の情報は

「どうもありがとうございました」


 アルヴィ様の魔術の呪文が終わるとすぐに、驚いたようにその男性は起き上がりました。先ほどまでの顔色の悪さもなく、動きもきびきびとしていて、乱れた髪の毛を手櫛で直した後は、若返ったようにも思えます。

 いいえ、最初からそれほど年齢はいっていなかったのかもしれません。

 ただ、生気を奪い取られていたせいで年老いた感じに見えていただけなのかも。


「びっくりしました。急に体調が悪くなりましたもので、店を閉めて医者のところに行こうとしていたところでした」

 男性はそう言いながら我に返ったのか、アルヴィ様に軽く頭を下げながら続けました。「申し遅れました。私はこの店の店主、ノーベルト・ベリークと申します。魔術師様、あなた様のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、僕はアルヴィ・リンダール」

「アルヴィ……リンダール?」

 その途端、店主――ノーベルトは驚いたように目を見開きます。「ああ、噂でそのお名前を聞いたことがあります!」

「悪い噂じゃないことを祈るよ」

「それはもちろん――。ああ、すみません。こんなところで立ち話もなんですから、どうぞ」

 彼は少しだけ興奮した様子で、アルヴィ様を店の奥へと導きました。一応、おまけのようにわたしたちもその後に続きます。

 それほど広くはないと思っていた店内ですが、それはたくさんの商品があるからそう見えていただけなのかもしれません。奥には接客のためだと思われるソファセットがあり、ノーベルトがアルヴィ様をそこへ腰を下ろすように促しつつ微笑みました。

「すぐにお茶をお入れしますので、お連れ様もどうぞ」

 と、彼はわたしたちにも目を向けましたが、わたしの腕の中にいるルークや、フードを下ろして人間とは違う肌を晒したコーデリア様の姿に驚いたようで、その声は若干畏怖のようなものを含みます。

 でも、さすが商売人と言うべきなのか、彼の笑みは崩れることはありませんでした。


「最近仕入れたティーセットでして。傷もないですし、これはなかなかの掘り出し物なんですよ」

 ノーベルトは年代物のテーブルの上に、これもまた年代物だと思われるティーカップを並べていきます。艶やかな白いカップに、銀色の縁。派手すぎず、繊細な模様。持ち手にも、ソーサーにも銀色の模様が入っています。

 黄金色のお茶からはとてもいい香りが立ち上り、カップの美しさもあって心がときめくのを感じます。

 わたしは思わず、まじまじとそれを見下ろしていました。

 何だか口をつけるのももったいない、と感じながら。

「……こういうのが好きかい?」

 わたしのすぐ横に腰を下ろしているアルヴィ様がこっそりと囁いてきます。

 そ、そういえばわたしたちの距離が近いのでした。

 緊張するので、思わず抱きかかえたままだったルークをアルヴィ様とわたしの間の隙間に下ろし、ちょっとだけ距離を置こうとします。

 しかし、ルークは不満げにわたしの膝の上に乗ってきて、撫でろと仕草で要求してきます。仕方ないので、もみくちゃに撫でまわすと、ルークはわたしの膝の上で伸び切って喉をごろごろと鳴らし始めました。

 いいですよね、あなたは何の悩みもなさそうで!

 くそう、もっと撫でまわしてやる!

「ちょ、ま! むす、娘ぇ」

 ほら、ここですよね! ここがいいんですよね!

「ミア、ルークが昇天する前に開放してやって」

 身悶えしつつ、どんどん力を失ってだらけていくルークの身体を全力で撫でまわしていると、アルヴィ様が呆れたようにそう囁いてきました。

 ……仕方ないので撫でるのはここまでにします。


「こんなに綺麗だと、割ってしまうのが怖くて使えなくなりますよね。きっと、ものすごく高価なものでしょうから」

 わたしはそう言いながらカップに手を伸ばし、そっと口元に運びました。

「割れるのが怖かったら食器など使えないよ。買っていこうか」

 こともなげにそうおっしゃるアルヴィ様は、笑いながら視線をノーベルトに戻します。

 すると、彼はすぐに頷きました。

「それならば、病を治してくださった魔術師様に進呈いたします。お帰りの際にお包みしますよ」

「いや、これはきちんと支払うよ」

 アルヴィ様は首を横に振り、そっと肩を竦めて続けました。「実は、探しているものがあってね。うちの弟子にプレゼントを買おうと思っていて、こちらの店に寄ってみたんだ」

「お弟子さん? プレゼントですか」

 店主は僅かに眉根を寄せ、わたしと――ソファには座らず、辺りに並んだ商品をゆっくりと見て回っているコーデリア様を交互に見やります。

 どちらが弟子なのか、と悩んでいるようでした。

 アルヴィ様はカップからお茶を一口飲んでから、彼の言葉に頷いて見せます。

「そう。可愛い女の子だろう? 身だしなみを整えるものを探していてね。鏡とか、アクセサリーとかで何かいいものはないだろうか?」

「……ああ」

 そこで、ノーベルトの視線がわたしに向けられました。「最近、仕入れた鏡がございますが……実はそれは、いわくつきのようで処分を頼まれていたもの、って、ああ」

 彼は手をぽん、と叩いて微笑みました。

 名案を思い付いた、と言いたげに続けた言葉は、きっとアルヴィ様が望んでいたものだったのだと思います。

「ちょうどいいと言えますね! 実はその鏡、力のある魔術師様のところに持っていって欲しいと言われていたのです。そちらのお弟子さんには似合わないかもしれませんが、お持ちしますね!」

「面白そうだね。見せてもらおうかな」

 自然な笑みを浮かべるアルヴィ様。

 でもこれは、狙って引き出した言葉だったのかも。

 わたしがこっそりと横目でアルヴィ様の横顔を盗み見すると、その気配に気づいたらしい彼の横顔がいたずら好きそうなものへと変化しました。


 ――うーん、敵にしちゃいけない人がここにいます。


 わたしは内心、そう呟きました。


「実は、とある貴族様から受け取った鏡なのです」

 と、店主はその小さな鏡を持ってきました。

 縁のところにシンプルな装飾がつけられた、ただの鏡。

 そう見えました。

 しかし、店内を歩く店主の動きに合わせて、その鏡からは異様な気配が立ち上り、まるで煙のように広がっていきます。持ち運んでいる店主にはその煙は見えていないようで、無造作にこちらに差し出してきます。

「できれば早く魔術師様の手に寄って処分したほうがいいとの話で」

「処分?」

 アルヴィ様がノーベルトの手からその鏡を受け取った瞬間、ばちり、と何かが弾けるような音が響き、火花のようなものも散った気がしました。

「えっ」

「おっと、確かにこれはいわくつきのようだね」

 驚いたノーベルトが身をのけ反らせると、アルヴィ様は苦笑してその鏡を軽く握りしめて見せました。すると、アルヴィ様の手のひらから魔法呪文の文字列が煙に纏わりつくように広がっていきます。

「悪い気配は閉じ込めてしまおう」

 アルヴィ様がそう呟くと、すぐに文字列は宙に溶けるように消え、先ほどまで辺りを漂っていた、ただならぬ気配が弱まりました。

 しかし、弱まっただけで消えたわけではありません。

 厭な気配は間違いなくそこにありました。


「悪い気配……」

 ノーベルトが恐る恐るアルヴィ様の手の中を見下ろし、首を傾げます。

「君の病気は、これに誘発されたものだろうね。……というか、もしかしたらその貴族様とやらに嫌われていた? こんなものを渡されるなんて」

「いや、そんなことはないはずですよ!」

 心外な、と言いたげにノーベルトが首を横に振りました。「その方とは長いお付き合いをさせていただいておりますし、色々と買っていただきましたし買い取らせていただきました! 嫌われてなどいないはずですが!」

「それはどうかな。貴族様という輩は、結構性格が悪いと知っているよ」

「いえいえいえ! その方は本当に悪い人じゃないですよ! 貴族様というより、どちらかというと我々と似たような性格をお持ちの方ですし、いい意味で単純というか何というか、正義感の強い奥方で」

「奥方……女性?」

 アルヴィ様のその声が低くなると、ノーベルトはしまった、と言いたげにため息をこぼしました。

「……まあ、女性ですが。これは失言でした。仕入れ先の情報はこれ以上流しませんよ? 情報漏洩は我々商売人の信用に関わりますから」

 そう言って彼はソファに腰を下ろし、アルヴィ様を軽く睨みつけました。

 しかし、アルヴィ様は穏やかに微笑むだけです。

「別にいいよ。ただ気になったのは、もしかしたらその仕入れ先の奥方やらも、君と同じような病に倒れている可能性があると思ったものでね」

「えっ」

 そこでさすがにノーベルトの表情が強張りました。


 しかし。


「……確かに、いつもより元気はなさそうでした。でも、窓から飛び降りる元気はありましたし、また壁をよじ登っていきましたし……」


 彼は納得いかないように首を傾げながらそう言って。

 奥方とやらが誰なのか、我々には理解できてしまったのでした。

 やっぱりな、という感じです。

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