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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第104話 治療魔術は得意なので

「逆に訊こう。そうでない証拠はあるかい?」

 グレアムを見つめるアルヴィ様の瞳はとても優しく、口元に浮かんだ笑みの形はとても綺麗です。綺麗だけど……作り物。そう思いました。

「それはあなた様にも同様ですね。エメリン様が夜盗の手引きをしたという証拠はどこに?」

「うん、そうだね」

 そこで、アルヴィ様はわたしに視線を向け、僅かに首を傾げて見せます。「さてミア、新しい魔術を教えようか」

「え?」

 唐突にそう言われてわたしが困惑していても、アルヴィ様はいつもと同じようにマイペースにこの場を仕切っていきます。

 部屋の中央に立ち、わたしを手で招いて呼び寄せます。

 わたしがアルヴィ様の隣に立つと、少しだけ身を屈めて小声で囁いてきました。

「意識を集中させてごらん。何か感じる気配はないかな?」

「気配ですか?」

 眉を顰めつつも、アルヴィ様の言う通り、意識を集中してみます。

 息を整え、そしてとめる。

 耳を澄ませるようにして、頭の中に何か感じるものがないかと意識を集中させても、あまり解りませんでした。

「じゃあ、その気配を探そうか」

 アルヴィ様はわたしの様子をじっと観察していたようで、静かに微笑むと辺りを見回します。「鏡とやらは、とても強い魔力を持っていたはずだ。それがこの場所から消えたとしても、残り香のように少しの間はその気配が漂う」

「残り香、ですか?」

「そう」


 アルヴィ様はとてもゆっくりと、わたしにも見えるように目の前で魔術の呪文を組み立てていきます。

 白く輝く光、宙に浮かび上がる呪文の文字列。

 じっとそれを見つめ、読み解こうとしているわたしにもう一度目をやって、満足そうに笑います。

 ――覚えなきゃ。

 アルヴィ様が教えてくださるというのだから、とにかく必死です。

 失望されたくないのです。よくやった、と褒めていただきたいのです。

 だから、その呪文の文字を頭の中に叩き込みました。


 その呪文が完成すると、部屋の中に薄ぼんやりとした光を放つ帯のようなものが現れていました。

 ちょうどわたしの目線の高さを、その光の帯が揺らめきながら伸びていきます。廊下のほうから伸びた光は、書斎の窓のほうへと進み、そのまま外へ。


「これがおそらく、その鏡の残した魔力の残り香だよ」

 アルヴィ様が静かに窓の外を見つめています。

「つまり」

 わたしは廊下のほうへと目をやって、眉間に皺を寄せてあるだろう自分の額に手を置きました。「ここを――その鏡が通っていった、ということですよね」

 そう呟くように言って、わたしは光の帯が伸びていった先ほどの動きを真似て歩いてみました。

 廊下のほうから、『誰か』がその鏡を手にして、書斎の窓の方へ近づいた。

 そして、窓の外へと出た?


 窓の外を見ると、光の帯はさらに庭のほうへと伸びているのが解ります。

 裏門へと続き、さらに路地の先へと。


「あれを追えば、鏡の在処が解るわけですね?」

 わたしがそう言いながら振り向くと、何の気配もなくすぐ後ろにアルヴィ様が立っているものですから、驚いて後ずさりました。

 バランスを崩しそうになったわたしの腕を掴み、アルヴィ様は頷きます。

「そうだね。早く回収しないとまずいと思う」

「まずい、とは」

「……死なないといいけど」

「え」

 ぎょっとした表情をしたであろうわたしを見下ろし、アルヴィ様は意味深に笑うだけです。

 そしてすぐに、アルヴィ様はグレアムに目をやると、驚いたように光の帯を見つめて声を失っているらしい彼に言いました。

「すぐに鏡は取り返してくるよ。のんびりしている時間はなさそうだからね」


 そして結果的に、その言葉の通りになるのでした。


 アルヴィ様に魔術を教えてもらいながら、わたしは光の帯を追うことになりました。

 さすがに窓の外、壁を伝って降りたと思われるルートをたどることはせず、普通に廊下を使い、玄関から外に出ます。

 そして、わたしの隣でコーデリア様が興味津々といった様子で言いました。

「なるほどな。理解したぞ」

 コーデリア様の声はとても楽し気に響きます。「その鏡とやらは、あの人形と同じじゃな?」

「人形……クリスタルと、ということですか?」

 わたしは足早に歩きながらそう訊きます。

 アルヴィ様はわたしたちよりも数歩先を歩いていて、その表情は見えません。ルークはアルヴィ様の肩の上で大人しく座っているだけ。

 コーデリア様はアルヴィ様の背中を見つめたまま、言葉を続けました。

「いわゆる、魔道具の類なのじゃろう。その鏡は力を持ちすぎたか……穢れをため込みすぎたか、その魔力が暴走しているというわけじゃ」

「そうだね」

 アルヴィ様は振り向かないまま応えます。「おそらく……危険を感じた奥方が、外へ持ち出したんだろう」

「えーと、エメリン様が、ですね?」

「そう」

 わたしの言葉に頷き、アルヴィ様は困ったように笑い声を上げました。「壊すことはできなかっただろう。その鏡は魔力を持ち、近づく人間たちの命を吸い上げる。その状態では、長く持つことすら危険だろうからね」

「命を吸い上げる?」

「そう。クリスタルは近づく者に毒をまき散らす魔道具であったけれど、きっとその鏡は逆だ。人間の生気を吸い上げることで、魔力を放つ魔道具だったんじゃないかな」

「……つまり」

 わたしが眉を顰めつつ首を傾げていると、アルヴィ様の肩の上にいたルークがにしし、と笑って言葉を引き継ぎました。

「この屋敷の跡取りを殺したのは、そいつっつーことだにゃ」


 やがて、わたしたちは路地から大通りに出ます。

 人通りが多いせいか、フードを被って顔を隠しているコーデリア様が人間ではないと気づく人々もいないようで、誰もが足早に通り過ぎていきます。

 そして、光の帯が行き着いた場所。

 そこは大通り沿いにある、小さな商店らしき建物の前でした。小さな建物ではありましたが、その中に並んでいる商品が見えるようにと大きな窓があり、そこには年代物と思われるたくさんの道具が並んでいます。

 古美術商なのでしょうか、壺や絵画、飾りのついた短剣や食器、色々なものが目に入ります。


 ここまでくると、さすがのわたしにも伝わってくる気配がありました。

 建物の中から、不穏な空気の淀みようなものが漂ってきています。

 そう、まさにそれは穢れと呼ぶべきもの。

 背筋を這い上る寒気と伴い、それは建物全体を覆いつくし、まるで黒い炎のように空気を揺らしているようにも思えました。


「鍵がかかっているようだね」

 アルヴィ様はその入り口である扉に手をかけ、がちり、という音を確認します。

 でも、鍵がかかっていたとしても何の役にも立たないでしょう。

 アルヴィ様が一言二言、何か短い呪文を詠唱すると、その手の向こう側で鍵が開く音が響きます。

 これは不法侵入ってやつじゃないでしょうか。

 しかし。

「失礼」

 などと、声をかけつつアルヴィ様が平然とその建物に入っていくので、わたしたちもそれに続きました。


「すまないが、今日は店じまいなので……」

 と、店の奥から慌てたような声が響きました。

 少しそれに遅れて、酷く顔色の悪い年配の男性がカウンターに姿を見せます。今にも倒れそうなくらい、疲れきった表情をしている彼は――。


 ――これが、生気がないということなんでしょうか。


 わたしは茫然と、その人を見つめたと思います。

 艶のない肌、虚ろな目。

 痩せて、髪の毛も乱れていて。

 老人にも見えたのですが、きっと……それほど年老いてはいないのだろうとも直感で解る、そんな男性でした。

 彼はカウンターにもたれかかった瞬間、その場に崩れ落ちるようにして膝をつきました。その弾みでしょうか、カウンターの上に飾ってあった高級そうな壺が転がり落ち、耳障りな音を立てて割れたのです。


「あ、しま……っ」

 しまった、といいたかったのでしょう。

 その男性は慌てたように割れた壺に震える手を伸ばしたものの、そこで意識を失ったかのように目を閉じます。

「ああ、大丈夫ですか?」

 そんな彼に優しく話しかけたアルヴィ様ですが、それに続いた言葉はとても優しいとはいえないものでした。「いいえ、大丈夫ではないですね。どうやらあなたは死にかけていらっしゃる」

「……え?」

 倒れこんでいるその男性は、のろのろと目を開き、アルヴィ様を見上げようとしました。しかし、それすらもつらそうでありました。呼吸はしているのかどうか怪しいと思うほど、弱々しいもので。


「どうやらこの辺りで流行っている病でしょうか。力が入らないのでしょう? しかし大丈夫です、僕が治して差し上げましょう。治療魔術は得意なので、どうぞご安心ください」

 そう言った、アルヴィ様の笑顔。

 わたしは思わず力なく笑ってしまいました。

 だってそれは、とてもよく見覚えのある笑顔であったからです。

 優しい笑顔であるはずなのに、裏に黒いものを感じさせる笑み。


 何か交渉する時の笑顔。

 悪だくみをしているのが感じられるもの。


「やっぱ、商売モードのご主人の気は苦手にゃ」

 ルークがアルヴィ様の肩の上からこちらへ飛んできました。わたしの腕の中にすっぽりと納まった小さな身体は、威嚇するかのような音を喉の奥で立てています。


「あなたの命を救って差し上げる代わりに、何か一つ、この店の商品をいただけますか?」

 アルヴィ様がその男性のすぐ脇に膝をつき、優しくそう言うのが聞こえました。

 その言葉を理解するのに少しだけ時間がかかったのでしょう。男性は虚ろな瞳にやがて小さな輝きを灯し、ゆっくりと頷いて見せました。

「病……ですか。これは……治りますか?」

「ええ、もちろん」

「ならば、ぜひ……お願いします」

「承知いたしました」

 そうおっしゃったアルヴィ様の声は、限りなく穏やかなのに背筋が凍るような気配をまとっていました。

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