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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第100話 ロマンを感じなくていいから

「世話になったわね」

 応接間の扉を開けた瞬間に、目の前にカサンドラが立ち塞がるようにしているのが目に入りました。そして、素っ気ないまでに簡単な別れの挨拶――なのでしょうか。

 彼女はそう言った後、廊下で立ち尽くすわたしを押しのけるようにしてこのお屋敷を出ていってしまいました。玄関の扉が閉まる音が遠くに聞こえます。

「……え?」

 わたしは思わず無言のままに彼女の背中を見送って、彼女の気配が消えた後に我に返りました。

 ちょっと待ってください。わたし、何も言ってない。挨拶の言葉なんて、何も。

「どうやら、泣き顔は見せたくなかったらしい」

 そう言ったのは、いつの間にかわたしのすぐそばに立っていたアルヴィ様です。

 ぎょっとして彼の顔を見あげつつ、やっぱり最近、気配を消すのが上手いような気がする、と頭のどこかで考えながら口を開きます。

「泣かれた……んですか」

「いや、かろうじて大丈夫だった」

 ふ、とアルヴィ様は小さく笑います。

 わたしはそこで応接間の中へと視線を移し、グランヴィール様とそのすぐそばに立っているリンジーを見つめました。

 リンジーは僅かに俯き、眉根を寄せて唇を噛んでいます。その瞳には、明らかに罪悪感のようなものが見え隠れしていました。

「人間同士の付き合いというのは、出会いも別れもある」

 穏やかに微笑んでいるグランヴィール様が、リンジーとわたしを交互に見やり、困ったように言葉を続けました。「何も、悪いことではない。生きていればまた再会できる」

「……はい」

 リンジーがそこで頷き、ぎこちなく微笑んで見せました。

 この別れは、彼女自身が望んだこと。でも、その事実に彼女は苦しんでいる。


 ――結構、複雑だなあ。

 そんなことを考えつつ、二人の顔を交互に見つめていると、グランヴィール様がわたしに顔を向けて笑います。

「廊下に立ったままでは会話も遠い。入りなさい」

「あ、はい」

 わたしは慌てて頷き、そっと背後に目をやりました。そこには、所在無げに立ち尽くしたままのクリスタルの姿があります。

 わたしが「入ろう」と仕草で示して見せると、彼女も無表情のまま微かに頷いて見せました。


「正直なところ、私が弟子を取れるのはこれが最後になるだろうと思う」

 わたしたちが応接間の中に入り、ドアを閉めるとグランヴィール様が壁際に立ったままそう言いました。

「最後、ですか」

 アルヴィ様は唸るようにしてそう言葉を返します。どこか、納得していないような声音でもありました。

「年齢的な問題だよ。お前がどう思っているのかは解らないが、私だってもう若くはない。弟子を一人前に育て上げるという意味では、もう時間的にぎりぎりだろうね。私にとって、死は遠い未来ではない」

「またまた、ご冗談を」

「何が冗談だ」

「僕より長生きしそうじゃないですか」

「お前が早死にしそうなんだよ、馬鹿が」

 グランヴィール様が目を細め、冷ややかな響きをその声に乗せました。


 そこで。

 きしり、という音が微かに聞こえたような気がして、わたしは思わずクリスタルの方へ視線を投げます。

 呪いの人形と呼ばれた彼女は、ただじっとその場に立ち尽くしています。

 でも、僅かに苦しそうな気配を見せた気がしました。


「まあ、いい」

 やがて、グランヴィール様は小さなため息をこぼすと、わたしに向き直って微笑みかけました。「この馬鹿に愛想を尽かしたらいつでもくるといい。君はなかなか興味深い」

「え」

「ミアに代わってお断りします」

「馬鹿の言葉は聞き流していい」

「え、あの」

「大丈夫です。ミアは僕が責任をもって魔術師として育てますから」

「責任か」

「育てます、から」

 アルヴィ様の声には珍しい感情の起伏が感じられました。

 そして、わたし自身にも。

 う、嬉しい、けど。

 はい、確かに嬉しいんですけども。


 何だかただ単に、親子喧嘩をしているのを見せられているような気もして複雑でした。

 そしてわたしのすぐそばで、クリスタルが落ち込んでいるような気配を発しているのも気になって仕方ありませんでした。


「それで、この後の予定は――ベルナルド家に行くと聞いたが」

 グランヴィール様がそこで、部屋の中央にあったソファに腰を下ろしました。そしてそれを見届けた後で、アルヴィ様もその向かい側にあるソファに歩み寄り、腰を下ろします。

「はい。師匠なら僕より詳しくご存知でしょうね。神眼の一族と呼ばれる彼らについては」

「ああ、確かに。しかし、話を聞く限り、簡単な仕事だ」

「……そうでしょうね」

「私の手助けが必要かな?」

「いいえ。今回の件は、ミアに最適な内容だと思います」


「え?」

 わたしは唐突にそう言われて二人の顔を交互に見やります。

 すると、アルヴィ様は意味深な笑みを見せ、わたしを見つめました。

「弟子である君の、初めての仕事になる」

「弟子……」

「必要な魔術はこれから教えるし、僕はできるだけ君の補佐に徹しようと思う」

「補佐……」

 幾分かの不安が現れたのだと思います。わたしの表情を見つめていたアルヴィ様は、いつもより優しい笑顔を見せてくださいました。

「大丈夫、君ならできるよ」

 ――そうでしょうか。

 でも、アルヴィ様がそうおっしゃるなら。

「頑張ります」

 わたしは背筋を伸ばし、そう言葉にして意思表示をしました。すると、さらにアルヴィ様は嬉しそうに微笑んでくださるから。


 ――やっぱり、わたしはアルヴィ様が好き。

 そう考えてしまって、胸が苦しいのです。


「さて、早速出かけようか」

 何だか妙に頭の中が働いてくれない状態のまま、わたしはアルヴィ様の言葉に頷いて見せました。

 そっと辺りを見回すと、グランヴィール様はリンジーに何か話をしていて、それを離れた場所で見つめているクリスタルの姿にも気づかされます。

「大丈夫かな?」

 アルヴィ様もクリスタルの様子に気づいたのか、彼女のそばに近寄ると囁くようにしてそう口を開きました。その途端、クリスタルがぎこちなく顔をアルヴィ様へと向けます。

「何がでしょうか」

 クリスタルの声は平坦で、何の感情も感じ取れません。

 でも。

「師匠はそう簡単に君を独りにしたりしないよ」

 アルヴィ様のその言葉に、たじろいだような気配が伝わってきて。

「それは心配していません」

 静かな声が続きましたが、アルヴィ様はその言葉を信用はしていないようでした。僅かに気遣うような視線を彼女に向けた後で、「そうか」と短く言葉を返します。

「ご主人様はあなた様に何とおっしゃったのでしょうか」

 探るようにクリスタルがそう訊くと、アルヴィ様は首を傾げて見せました。

「何も言ってないな」

「嘘が下手だと言われませんか」

「嘘は上手な方だけどね」

「そうですか。つまり、先ほどの言葉は嘘だという意味ですか? 君を独りにしないというのは」

「……君は揚げ足取りが上手だ」


 クリスタルはそのまま身じろぎ一つせず、アルヴィ様を見つめ続けています。その視線に負けたのでしょうか、アルヴィ様が不本意そうに笑みを消しました。

「自分が死んだら、君の身柄を引き受けて欲しいと言われたよ」

「ご主人様が死んだら?」

「まあ、殺しても死なないだろうから気にしなくていいと思う」

「そうですね」

 そこでクリスタルは笑ったような気配を漂わせました。そして彼女はさらにアルヴィ様に近寄り、そっと小声で続けました。

「でも万が一、もしそうなったら……わたしを消滅させてくださいますか」

「それは師匠が喜ばないだろう」

「しかし、わたしは――」

「解ってる」

 アルヴィ様も小さく囁きます。「君がそう願うだろうというのは予想していた。厭というほど理解できるつもりだよ」

「ならば」

「しかし、まだ当分先のことだ。もう少し、それは考えずにおこう」


 ――やっぱり、そうなんだ。

 わたしはじっと唇を噛んで考えこみました。

 クリスタルは間違いなく、グランヴィール様のことが好きなんです。だから、独りになるのが厭で。だから。

 ――消滅させてください、と。

 それがものすごく理解できて。

 何だかとても、いじましく感じて。


 何だか、とても。わたしは、とても。


「変な人ですね」

 わたしが彼女の繊細な想いに感動していると、そんな声が響きます。当の本人であるクリスタルから。

 そしてわたしは、そんなクリスタルの細い指を、その両手を包み込むようにして握りしめていました。冷たい指。でもとても繊細な形。

「あの、まだわたしは消滅したいわけではありませんが」

 困惑といった感情が見え隠れする彼女の声。

 そして、アルヴィ様がわたしの手首を握り、そっとクリスタルの手を解放させました。

「ごめんね、うちのは色々と変わってて」

「うちの?」

 わたしが眉を顰めつつアルヴィ様を見上げ、そしてわたしの手首にアルヴィ様の手があるという現実に口元が緩みそうになっていると。

「ミア、君は白銀の世界の加護を受けているよね」

「え、あ、はい」

「君はこの人形を簡単に浄化できるんだという自覚を持つべきだ」

「え、あ」

 わたしがアルヴィ様とクリスタルを交互に見やり、そこで唐突に気づかされることになりました。つまりわたしは、彼女に触れてはいけなかった、ということじゃないか、と。

「浄化の魔術はまだ教えていないけれど、君は多分、それを知らずとも……」

 と、アルヴィ様が言葉を続けようとして。


「ま、女の子同士がいちゃいちゃしてんのはロマンがあって、見てる分には楽しいけどにゃ」

 そこに、ルークが足元の床を蹴ってアルヴィ様の肩の上に飛び乗ってきました。

 そして。

「ロマンを感じなくていいから黙っていてくれ」

 呆れたようなアルヴィ様の声が小さく響きました。

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