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ご主人様と呼ばせてください!  作者: こま猫


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第10話 掃除から始まる生活

 とにかく、明らかにゴミだと思われるものを台所から撤去し、台所の勝手口から裏庭へと運び出しました。

 集めたゴミは街の集積所に少しずつ運んでいかないといけないですから、何だか途方に暮れてしまいます。

 それでも、台所に存在していた獣道が少しずつ広がり、床らしきものがどんどん広がっていくのは素晴らしいことでした。

 掃除に専念していたせいか、夜が明けてだんだん高くなる太陽のことも、朝食のこともすっかり忘れてしまっていて。


 突然、台所のドアが開いて、わたしはびくりと身体を硬直させました。

 ドアが開いたところに、その表情に若干の疲れが見える――それとも眠気でしょうか――アルヴィ様が立っていました。

 ――おはようございます。

 慌ててわたしがそう口を開く前に、ドアがパタン、と閉じられました。

「あれ?」

 眉を顰めてその場で立ちすくんでいると、もう一度ドアがゆっくりと開けられました。

「ごめん、思い出した。そうだった、君がいるんだったね」

 アルヴィ様は微笑みながらそう小さくおっしゃいましたが、その口元は少しだけ困ったような形でもありました。

「……君、名前何だっけ」

 困っていらっしゃったのは、わたしの名前を思い出せなかったせいなのでしょうか。

「ミア・ガートルードです」

「ああ、思い出した」

「ええと、おはようございます」

 わたしが背筋を伸ばし、できるだけ礼儀正しくお辞儀をすると、床の上で小さな足音が響き、ルークがわたしのほうへ歩み寄ってくるのが見えました。

「興味のない人間のことはすぐ忘れる頭を持ってるからな、うちのご主人は」

 ルークがそう言いながら、わたしの足首辺りに身体をこすりつけてきました。何となくの流れで、その身体に手を伸ばして少しだけ撫でると、彼の喉がごろごろいうのが聞こえてきます。

「風呂に入るときには気を付けたほうがいいぜ、娘」

「お風呂、ですか?」

「ご主人がお前の存在を忘れてドアを開けるかもしれないからな」

「ああ、なるほど……」

「厭なことを言わないでくれないか」

 そこでアルヴィ様が不機嫌そうに息を吐き出しました。「実際に起きそうな気がして困る」

「まあ、見てもカッティングボードだけどな」

「うう」

 わたしは小さく唸りました。

 まあ、そんなことはどうでもいいのです。

 まず、わたしには目下の問題というものがあります。

「それより、ご主人様」

 わたしがアルヴィ様を見上げてそう口を開くと、彼は少しだけひるんだように目を細めます。

「……そう呼ばれ慣れていないので、どう反応したらいいのか悩むね」

「すみません。こんな朝から申し訳ないのですが、謝罪をしなくてはなりません」

「何?」

「食事の用意ができておりません」

「ああ、別にいいよ。もともと、朝食は食べない習慣になっている」

「それは……」

 わたしは純粋に疑問に思い、首を傾げます。「お昼と夜しかお食べにならないのですか? お腹、空きませんか?」

「君は食べていいけど」

 アルヴィ様は困ったように笑います。「何しろ、台所がこんな状況だ」

「それもそうだけどにゃ、あと一つ、ご主人が少食なのは原因がある」

 ルークが床を蹴って浮かび上がり、わたしの肩に乗ってきました。「料理が下手だからな、作っても食べたくならにゃいのだ」

 料理が下手?

 何だか意外な感じがしました。

 何もかも完璧なおかただと思っていたのに。不得意なことなど何一つなさそうな印象をお持ちなのに。

 きっとこれも、アルヴィ様のそばにこなければ知らなかった事実なのでしょう。

「わたし、幼い頃から家で家事をこなしてきています。あの、もしご迷惑でなければ……お口に合えば、なのですが、毎食作らせていただいてもよろしいでしょうか? もちろん、不要でしたらすぐに片づけますので」

「もちろん、助かるよ」

 アルヴィ様の優しい笑顔は変わりません。でも、辺りを見回すとそれは苦笑に変わりました。

「とにかく、掃除は中断して少し休みなさい。君は食事を取るべきだ。君はもう、裏庭に出てみたかい?」

「はい。少しだけ、不要だと思えるものを外に出させていただきました」

「ならば、そこに畑があるのも気づいた? 薬草が主だが、野菜も育てている。食べられるものだったら自由に使っていい」

「ありがとうございます」

 確かに、外に出たときに畑らしきものがあるのは見えました。木の柵に囲まれた、かなり大きなスペース。

「後で薬草のことも教えよう。君には覚えてもらわないと、食事が危険なものになる」

「はい」

 ――危険なものに。

「普通の植物に似たもので、見わけのつきにくい毒草もある。君は知ってる?」

「ああ、例えばリグリス草とかでしょうか」

 見分けのつきにくい毒草で有名なのは、ノランという植物によく似たリグリス草だと思います。

 ノランは香草の一種で、色々な料理に使われていますが、時々、それによくにたリグリス草が間違って使われてしまうことがあるのです。リグリス草は吐き気を誘発させるのだと聞いたことがあります。

「知ってるの?」

 アルヴィ様はどことなく面白そうにわたしを見つめます。

「はい。わたしの家の前に、薬屋がございます。そこの主人に聞きました」

「なるほどね」


 薬草に興味がある、と自分から聞きに行ったのです。

 その薬屋には、アルヴィ様が時折姿を見せておりましたので、どちらかといえば――むしろ、薬草のことよりもアルヴィ様のことを何でもいいから知りたくて接触したのですが。

 でも、薬草についての興味深い話が聞けました。

 だからなのかもしれませんが、ただのパン屋の娘にしては薬草については詳しくなれたと思います。

 まあ、ほんの少しだけですが。


「とにかく、そろそろ休もう。僕でもお茶くらいは入れられるからね。応接室にいっていなさい」

「お手伝いはご入用ですか?」

「人間がそばにいる状況に慣れていないんだ。悪いけど」

「承知いたしました」

 わたしはそこで素直に頭を下げ、肩にルークを乗せたまま台所を出ました。

 応接室で待っていると、大きなティーポットとカップを木のトレイに乗せて、アルヴィ様がいらっしゃいます。

 ハーブティのいい香りが部屋の中に広がります。

 わたしはせめてカップにそそぐことくらいはやろうとソファから立ち上がっていたのですが、アルヴィ様に押しとどめられ、彼の手元を見守ることになりました。

 ソファに座り、促されるままにお茶を飲んでほっと息をつきます。

 でも、ルークはからかうように言うのです。

「娘、よくあの台所を見た後で飲めるな、それ」

「え?」

「普通の女だったら、絶対飲めないだろ」

「そうですか?」

 わたしは少しだけ考えこみました。まあ確かに、とても残念な台所ではありました。一応、調理する場所くらいは確保されていましたが、床には雑多なものが転がっていたわけですから。

 でも、もしもあれ以上とんでもない状況であったとしても。アルヴィ様がいれてくださったお茶を断るなんてありえません。

 もし、これが毒でもいいじゃないでしょうか。死んでもいいくらいです。

 それに。

「とても美味しいです、これ」

 わたしがそう言うと、アルヴィ様は困ったように「そう」と笑います。

 そして、彼は少しだけ沈黙した後にこうおっしゃいました。

「逆に申し訳ないから、僕も掃除を手伝おう。少なくとも、君が住める状況にしなくてはいけない」

「いえ、お気遣いなく!」

「面倒だから放置しすぎただけでね。魔術を使えば少しは掃除が楽だろう」

「ああ……」

 なるほど、と思います。

 確かに、わたし一人の手ではなかなか終わりそうにありません。せめて、少しくらいはご厚意に甘えてもいいでしょうか。

「申し訳ありません」

 そう言いながら。

 何だかとても、嬉しく感じました。


 アルヴィ様は、せめて一階くらいは掃除をすべきだった、と言いながら色々とお手伝いをしてくださいました。

 それからの数日間は、とても忙しく、充実していたと言っても過言ではありません。アルヴィ様のお手伝いのおかげで、一階のほどんどの場所が綺麗になっていきました。

 そして、一階にある小さな部屋をわたしの部屋としていただき、そこで寝起きすることとなったのです。


 こんなに幸せでいいのかなあ、と少しだけ不安になり始めたころ、来客がありました。

 来客――彼はラルフ・エルマルと名乗りました。

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